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死にたいです

回答数回答 3
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自業自得で死にたい。
自分が悪いと確信を持ちながら死にたいです。

地震みたいな災害とか
事故とかの確率の範疇のものでは死にたくない。

命を奪う事は僕の中では悪い事です。
でも僕が直接命を奪ったことは殆ど無い。

ご飯だって、誰かがお金の為に殺してるだけです。
虫を何かの拍子に殺してしまっても何も罪悪感は湧きません。

死にたいです。
悪く無いなら死にたくないです。
でも死にたいので悪いと確信を持ちながら死にたいです。

死刑になるような罪をするのは論外です。
国が決めた良い悪いに付き合いたくないですから。

どうするべきだと思いますか?
生きるべきというのは論外です。
生きてますから。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死は甘美な誘惑

質問拝見しました
死を夢見るのは甘美です。
とても心地良い夢のような気部にしてくれる。
死に方にもこだわりがある様ですが、死を思う夢の中では貴方が「違うが」と否定しても多少は英雄的な部分や悲劇の主人公的な部分が含まれている。
自分に酔っている所が含まれている。
死を思い描く事はsexを夢想する事にとてもよく似ていると武田鉄也さんが言っていた事を思い出しました。質問を読んだだけで貴方の全てを理解する事は不可能ですが、文書の行間からはマスターベーションの話を死に置き換えて語っている様に感じました。
私事ですが、3日前に近所の方が5階から飛び降りて死にました。医療過誤で腎臓を患い5年間腎臓透析を受け体の不調や透析の痛み怠さや食事制限の苦しみ。
70歳を過ぎて先も長く無いのに毎日が苦しいと話していました。それでも明るさを失わず、挨拶するとビックリするほどハツラツとした挨拶を返してくれる方でした。その方は死にました。5階から飛び降りて、お棺の蓋を開けて死に顔を見る事も出来無い様な有様で‥
私は泣きました。悲しくて、悔しくて涙が出ました。
寿命で死んでもこの世に残る人は悲しみを抱くものです。
そして、死は想像上のものではない、必ず訪れる現実です。死を想像の中でもて遊ぶ間はいいですが、合わせてリアルにどうなるのか考えてみてください。
子供が死ぬ事があったら、遺族に対して表面では慰めてくれる人でも、陰口を叩き不幸を喜び、「あそこの家はねえ‥‥」と言われなき噂話を垂れ流す人も一部にはいる。
それが現実リアルの一端です。
どうしたら良いかは自分で決めればいい。
人に聞いたら止められるにきまってる。
私も死ぬ事はやめとけばいいと思いますよ。
貴方が思うほどいいもんじゃない。

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個別相談可能
私は日蓮宗 今治 寺町法華寺の住職をしております讃岐英昌(サヌキ エイショウ)と申します。 今現在 しゃべって話せる僧侶を目指し精進しております。
相談時間は基本30分とし、30分を経過すると一度、電話を切らせていただきます。

働け

働け。さもなくば勉強しろ。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

「本願ぼこり」に注意して「悪人正機」について考えてみる

しさつ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「自分が悪いと確信を持ちながら死にたい」・・

ご質問を読ませて頂きまして、ふと、浄土真宗の教えの「悪人正機」を思い浮かべました。

「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

「本願ぼこり」について注意しながら、「悪人正機」を理解することによって、阿弥陀如来様の御心に適い、そして、報いる生き方について考えて見られると、何か良き得るところがあるかもしれないかなと存じました。

「悪人正機」ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E4%BA%BA%E6%AD%A3%E6%A9%9F

阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

死ぬことは、生きるよりはマシだと思います。
あなたの言うとおり、どちらもいいもんじゃあ、無いですが。
産まれないのが一番良いことです。
つまりSEXはゴミを作る行為であり、せっかく減った膿を増やす行為であり、クズです(断定)。
男からちんこを刈り取るか、女を皆殺しにしたらいいと思います。

私が聞きたかったのは、死ぬことの是非ではなくて、どうやって悪いと確信を持とうかということなんです。
人間はクズですが、悪いことなんて何もしてないんですよ。困ったことに。

川口 英俊さん
回答ありがとう。勉強になりました。

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