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義理親を強く怨む自分から楽になるには?

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有り難し有り難し 10

主人と結婚する前は仕事に邁進し努力したらリターンがある幸せな生活でした。
結婚してから、特に出産してからは、義理親の私や実家への不満の攻撃が酷く平和な生活は送れなくなりました。
何か行事がある度に義理親の不満の攻撃を主人を通して告げられ、会えば嫌な顔で迎えられ、仲良くしたいとしても受け入れては貰えませんでした。

価値観の違いはあるのは当然なのに、私や実家へのあらゆる不満を主人に義理親はぶつけるようになり、夫婦仲も上手くいかなくなりました。
主人を通してしかコミュニケーションを取らせてもらえず、私や母が義理親の不満に対して対処しようと努力しましたが、それも出来ない状況でした。
嫁側は嫁ぎ先に全て従うのが当然の一点張りでした。
主人も上手く対処できず、義理親に言いくるめられ私を守ってはくれませんでした。

そんな状態だったので、2人目を作る機会もなく、少し落ち着いて2人目を作り出した時からは、流産三昧でした。不妊治療費も沢山かけました。1人目が余りに可愛いので、どうしても2人目が欲しかったのです。

私の人生を狂わした義理親への怨みは尋常ではなく、天罰が当たるべきと常に頭から離れません。
怨みの気持ちや義理親のことを考える時間は、更に相手に苦しめられ縛られていることなので、損をしていることはわかっています。
でも、自分の人生を狂わされたことは許せない、相手も同じだけの代償を支払うべきだと思うのはおかしいでしょうか?
私は2人目を義理親に殺されたも同然なんです。
なら、義理親も同じ損害を受けてほしいのです。

そんな義理親に当たったのも、全て私が修行する為なのでしょうか?主人を選んだのは私ですから、責任は私にあるのはわかっています。
でも、私は人は話し合えば分かり合えるという信念がありました。だから、大丈夫だと思っていました。しかし、義理親は、全てに従わない嫁とはコミュニケーションすらしてくれませんでした。
私が悪かったのでしょうか?全て従っていてら、2人目はできたのでしょうか?

こんな苦しい状況にある私をどうかお救い下さい。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつか極楽浄土で会えるのです

義理の両親を恨んでしまうのも仕方ないですね。確かに義理の両親が居なければ、もっと思いやりがあれば、子供もできたかもしれません。
ご主人も問題ありますよね。親子関係がよろしくない、というか必要以上に遠慮があるのかな。でもそのような性格の親と子供の頃から暮らしていたなら、そうなるのも仕方がないかもしれません。

でも、あなたもお分かりの通り恨みは捨てなければなりません。
恨みは怒りです。
怒りは毒です。
毒はあなたを蝕み苦しめるのです。
流産の原因はその毒なのです。
あなたが義理の両親に何を言われても、何をされても怒りをその都度捨てていたら、毒に蝕まれることが無ければ、結果は違っていたかもしれません。

しかし、後悔しても仕方ないです。
後悔も怒りですから捨ててください。

それに、もしかしたら、流産した子供は何か大きな障害があって、子供がお母さんになるあなたに苦労させたくないと思って自ら産まれることを拒んだのかもしれません。
お母さん想いの子供だったのかもしれません。

水子供養してあげてください。
水子用の位牌に名前を入れて、お菓子をお供えしてあげましょう。
浄土信仰からいえば、子供は極楽浄土で蓮の花の蕾から産まれ、ご先祖様達に優しく抱かれていることでしょう。
いつか極楽浄土で再会したら、しっかり愛情を注いであげてくださいね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

大変ありがたいお言葉感謝致します。
お坊様がおっしゃるように、義理親から何をされようと言われようと、怒りをその都度捨てられていたら、例え同じような結果になろうとも主人との関係や私の心の持ち方も違っていたと思います。私には、怒りを捨てることができませんでした。
義理親からの嫌がらせが次から次へ来るので、捨てたくてもなかなかできませんでした。
落ち着いたと思ったら、また来て、またかまたかとなりました。
怒りを抑えられず、捨てられないのは、私の真面目さゆえの性格や怒りやすい性格に起因しています。
私は義理親に負けたのです。
それが、わかっているから辛く情けなく悔しく、お坊様が言われた後悔という怒りになっていると思いました。
これ以上毒されないよう怒りを捨てねばならないのはとてもよくわかりますが、今の私にはそれは容易なことではありません。
流産した子達は、昨年お寺で供養しました。
今は、お坊様が言われましたように、極楽浄土で必ずや会えると信じることに希望を見出し生きていこうと思います。

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