生きる意味がわからなくなった
8月23日に息子が友達と川へ遊びに行き溺れて亡くなりました。息子が亡くなってからの日々は色を失い、時が止まってしまいました。23日に警察から電話があり現場まで行きましたがその日息子を発見することができず、警察からは現場に残らないよう言われ、私は息子を川に残してその場を離れてしまいました。苦しかったろうに、一人で寂しかったろうに、母親なのに私は息子を置き去りにしてしまった。どうにか前を向いて進まなければいけないことはわかっているのですが、息子の溺れている事を想像してしまい胸が苦しく涙がこぼれ息ができなくなります。頭がおかしくなりそうでどうしていいかわかりません。息子は苦しかった、助けてあげたかった。代わりに死んであげたかった。どれだけ苦しんで亡くなったのでしょうか。最後に助けてほしいと叫んでいたのではないかと思うと心がちぎれそうです。あの子を返してほしいです。早く息子の所へ行きたいです。
19歳になったばかりの大学生の息子を川で亡くしました。
息子の死に対し悲しみや、思いたく無いのに一緒に川に行ったお友達の事を時折憎みそうになって辛いです。どうして助けてくれなかったのか口に出してしまいそうで嫌になります。
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悲しみを表出してください。
ひとみん 様
まずは、ご子息様の事、お悔やみ申し上げますとともにご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝。
命を何かにもぎ取られたような、心の支えを失ったような感覚かもしれません。
悲しみに覆われて、怒りの矛先も向けられず、混乱している状況かと拝察いたします。
ご子息様は、あなたの声を聴いていると思いますし、あなたを見ていると思います。遺影の前でも涙が枯れるまで泣いても構いません。遺影に「なんで」と気持ちをぶつけても構いません。気持ちの整理がつかないのが当たり前だと思います。
それでいいと思います。ご自分の気持ちを否定する必要はありません。
それだけ辛い体験をしているのです。
姿を隠してしまったご子息の事は、近くに感じてもいいのです。
そして、あとは仏様にゆだねることを祈ってみてもいいと思います。
あなたの哀しみは言葉に尽くせないと思いますが、その都度吐き出してください。悲しみを表出してください。
ハスノハの皆さんが受け止めてくると思いますので。
合掌礼
今の気持ちを大切になさってください
ひとみんさん 突然の事故で息子さんを亡くされた悲しみ、想像をしても仕切れません。まだ一ヶ月も経っていない今、今までも泣いても泣ききれない状況だろうと思います。どうぞご自分の気持ちを否定せずに、今の気持ちを大切になさってください。
生きていく中には、どうしても納得のいかない出来事があります。これは息子さんのせいでもひとみんさんのせいでもありません。ただ、生きていく中には、そういうことがあるのでしょう。わからないことがあるのです。
「辛い」中でも、その「辛い」は日々変化をしていくと信じています。辛い時はいつでもハスノハにメッセージを寄せてください。ひとみんさんのお気持ちをいつでも聞かせてください。今は、「どうにか前を向いて」などと思わず、息子さんのご冥福をお祈りしましょう。私も陰ながらここからお祈りさせて頂きます。