祖父の葬儀での出来事
先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。
無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。
祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。
お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。
確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。
お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。
あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。
そのくらいの衝撃を受けました。
そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。
大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。
祖母も気付いており悲しがっていました。
こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。
そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか?
腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。
上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか?
また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。
アドバイスいただきたいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
山田 様 相談ありがとうございます。
まずはご祖父様のこと、ご愁傷さまでございます。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝。
そんな僧侶ばかりではありません。
丁寧に読経をする僧侶は沢山おります。
おそらく山田様の住まわれているところでもいらっしゃるはずです。
ただ出会いがないので、見つからないし、檀家でもないので頼みにくいというのもあるかもしれません。
ですので、最近では、終活のひとつとして、幾つかのお寺を訪問して、事前にお願いしておくということも多くあります。
また、直葬やお通夜をしない一日葬ということが最近出てきておりますが、たとえ個人の遺言があったとしても、そのような流行に流されずに、枕経・お通夜・お葬式・その後の初7日忌など、しっかりと丁寧に読経供養して、故人の成仏を祈りたいと考えておられる僧侶も沢山おられます。
そのような僧侶の方々は、「弔い直し」(葬儀式などを四十九日のときにあらためておこなう)ということを薦めしたりもしております。
あまりにも儀式を簡略化しすぎて、故人を蔑ろにしているのではないか、これでは成仏は願えないし信心もつながらないと危機感のようなものを感じているのです。
どうか信心・信仰のこともご理解ただいて、今後の事をお考えいただいたたらありがたく思います。
合掌礼。
葬儀の意味
ご相談くださいまして、ありがとうございます。
さて、葬儀とは何でしょうか?
考えたことありますか?
ただの形式だけのものではありません。
私が思うには、結婚式よりずっと大事なことなんです。
亡くなって魂が無いから全て終わり!であれば、おそらく葬儀は無用でしょう。
しかし、決してそうではありません。
肉体が亡くなってなお、あるのが魂、霊魂です。
仏教では無記と言って死後の世界を語りませんが、仏教では輪廻と言って魂がその行いにより何度も6つの世界に生まれ変わると説きます。
亡くなった方は、まず亡くなったことを認識出来ずに彷徨ってしまったり、生きた人には自分は見えず、言葉も通じず、行き先が分からずこの世で迷ってしまったり、、、。
そのような事が無いように、しっかりとガードして苦しみの無い世界へと導くのが葬儀であり、その後の7日ごとの祈りや法事であり7回目の7日つまり49日には亡くなった方が落ち着いて次の方向へと向かいます。
しかし、葬儀をしないで火葬だけだと亡くなったご本人さまが、かなり大変になります。
…書くと長くなってしまうので少しだけ、、、
私の話しは私個人の経験からお話ししますから、どう受け取られてもご自由です。戯言と受け流しても結構です。その上でお話ししましょう。
例えば亡くなった方は火葬場で死を認識せず身体にしがみ付き火葬炉の中に入ってパニックを起こしてしまいます。
白木の位牌にしっかりと霊魂を結び、身体には決してしがみ付かないようにして、自分の身体が終わりであることを認識してもらいます。、、、などなど
形式的なだけとお思いのことが、実は亡くなった方にはとても大事なことなんです。
葬儀もせず、何か不安だからと火葬の時だけお経をあげてくれと言われるのは、
僧侶にとっては、今にも沈みそうな浮き輪を掴んで、太平洋を渡らなきゃならない人に対して、頑張れよとお別れの声をかけてやってくださいと言われているようなものです。
僧侶としては、何でちゃんとした船に乗せてやらないの?沈んじゃうかも知れないよ?とかなり、遺族が亡くなった人に対して酷いと感じてしまうのです。
船(葬儀)に何故乗せないの?と、その僧侶は睨んだと思います。
一般の方が俺は葬儀はしないでいいという言葉は、ヒマラヤは素足で楽勝だから、登山具もガイドもいらないよ!と言うのに似てます。