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歎異抄と輪廻転生

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有り難し有り難し 8

 つれづれなるままに小学館 日本古典文学全集 歎異抄を読んでみました。
 さすが親鸞聖人、輪廻転生をどう逃れるか、その難しさを嘆いておられます。
 歎異抄は「仏教の目的」を如実に示しています。

歎異抄(現代語訳)

第一部

三 ーーーすべての煩悩を身につけているわたしたちは、どんな修行によっても、生死を重ねる迷いの境地をのがれることができないことをーーーーー

五 ーーーそのわけは、あらゆる生き物は、すべてみな、過去のいずれかの世に生まれ変わり生まれ変わりした、いずれかの時の父母や兄弟だからです。ーーーーー

九ーーー限りなく遠い過去から今まで生まれ変わり死にかわってきた、苦悩に満ちた故郷ともいってよいこの世は捨てにくく、まだ往生していない、ーーーーー

2024年2月25日 21:23

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

有り難い❝お味わい❞だと思います・・・💛。

貴兄の書き込みは「質問」というより、人生経験の中から見出された「お味わい」の御意見だと感じました。
おっしゃるように、小生も若い頃は❝輪廻転生❞って何だろう・・・?。そもそも❝輪廻転生❞する「もの(実体)!?」って、一体、何なんだろう・・・などと「理屈」を考えていました。
しかし、歳を取って「理屈」では無く「タマシイ―昔の人は❝ある❞と考えていたようです。もちろん、親鸞聖人もそのようにおっしゃっています(識や神の漢字に〈タマシヒ〉と御左訓してありますので…)―」のようなものは❝ある❞のかもしれない、イヤあった方がイイ、と考えるようになりました。
〈五 ーーーそのわけは、あらゆる生き物は、すべてみな、過去のいずれかの世に生まれ変わり生まれ変わりした、いずれかの時の父母や兄弟だからです。ーーーーー〉・・・今頃は、これが「何となく」受け入れられるようになりました。
そして、その方があらゆる「生き物」の命を大切にし、お互いを❝思いやる《利他行》❞へと繋がっていくように思います。
お食事の前の「(動植物のいのちを)頂きます。(済みません、赦して下さい、あなたの命を頂かないでは、生きて行けません、という慚愧心)」にも通じるのではないでしょうか?.

それこそが、人間どうしが「喧嘩や戦争」をしなくなり、平和な世の中になる❝仏様の教え❞だと信じます。
小生の、感想です。有り難うございました。合掌 南旡阿弥陀仏

2024年2月26日 9:48
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

大塚 芳明 御住職様
 大変失礼を致しましたことをお詫び申し上げます。
 昨日事務局からメールを頂きまして当時御礼を申し上げなかったことに気が付きました。
 改めて御礼申し上げます。
 仏教は「輪廻転生」が真実で無ければ存在していません。その点で親鸞聖人は的確に仏教を把握していることに感嘆して投稿しました。
 現在の日本はそれを否定しています。という事は「死後が無い」ということです。
 これでは仏教は必要ありません。何故なら「死後が無い(涅槃)」ことを求めているのに、輪廻転生を否定されれば誰でも死ねば「涅槃」ですから、どんな生き方をしても等しく「涅槃」となります。
 「輪廻転生」が真実となれば、犬猫はおろか人間にも生まれ変わってはなりません。再び四苦を味わいます。最低六道輪廻の「天界(浄土)を目指すべく努力することが仏教です。それにはこの世が「穢土」である認識が重要です。
 この世に生まれた人間は魚や獣を殺して食を求める悪人になならない限り生きていくことができません。智慧のある人間は楽に食を求めて醜い争いを起こします。先ず平和は訪れないでしょう。それに天災が襲ってきて生活を破壊します。    正に穢土です。
 「涅槃」にはとてもおぼつかず「厭離穢土 欣求浄土」が我々衆生には願望です。
 釈迦に説法で大変失礼しました。

「仏教における修行」問答一覧

達磨大師は架空の人物ですか?

彼は「仏教をよく知らない中国人によって架空に作られた存在」または「達磨さん自体は実在したが、仏教をよく知らない中国人が適当なストーリーを考えただけ」と言われることがあって、「そうかもしれない」と思いました ・ なぜなら彼は悟りを開いたはずなのに、教えを請う凡夫に対して無視のいじめを行ったり、「これは試されているんだ」とポジティブに考えて耐え忍んだ凡夫に「仏教はそんなに簡単に教えてもらえるものじゃない、命をかけろ」と言って凡夫に腕を切り落とさせたりしました ・ とても悟りを開いた人の行為とは思えません。「自分はお前より偉いぞ、そう安安とは教えられない仏教を熟知しているぞ、自分をタダで師事できると思うな」なんていう態度は、「菩薩道」の精神から大きく逸脱していないでしょうか。知識の独占という時点で「利他」じゃなく「利己」だし、傲慢な振る舞いは「慈悲」じゃなくて「暴慢」です ・ それならむしろ、偉いお坊さんにいじめられてもくじけず「自分は試されているんだ」とポジティブに考えた凡夫こそまさしく仏に相応しいのではないかというトリックにさえなってしまっています ・ 彼がもし実在してストーリーも本当なら、彼のスタンスは間違いなく仏の教えを利他や慈悲などで解釈しないただの「知恵」でしかないとする(つまり悟りとは賢いかどうかだけで優しさなど必要ない)「小乗仏教」と批判される類のものだったことが伺えます。やはり、彼は架空のお話で色を付けられた、本来ならば謎多き存在でしょうか?

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