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夫の葬儀に来たお坊さんが…

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3年前の夫の葬儀の際のお坊さんについて疑問に思ったことがあります

先日、家族で当時のことを話していた時に、「葬儀にきたお坊さんは自分で袈裟も着れず、通夜の際はギリギリにきて葬儀社の人とほとんど打ち合わせができなかったらしいよ。」と言われました。そして、母からは「まだ列席のかたの焼香が続いてるのにお経を止めて退席したお坊さんをはじめて見たし、あんなにひどいのは初めてだった。葬儀社の人もいってたよ。」と言われました。

地元とは離れたところでの葬儀だったため当初は葬儀社の方が手配していただく予定でしたが、夫側の家族が自分のお寺にゆかりのあるところにお願いしたそうです。(とはいえ、来ていただいたお坊さんとは初対面です)

私は仏教徒ではなく、また他の葬儀に参列したことがないのでいくつかお伺いしたいのですが、
1.お坊さんは自分で袈裟を着れないものですか(私の印象としては袈裟は  お坊さんの制服のようなものと認識していますが)
2.通常、焼香が続いている間はお経はつづけられるのでしょうか
 (参列者がそんなに多かったわけでもありません)
3.ゆかりのあるお寺のお坊さんに葬儀をしてもらうのと、そうでないので は 何か違いはありますか(本人は自分の宗派もわからないぐらいお寺とは疎 遠な関係です。夫側家族の自己満足ではないですか)

当時は私自身に余裕がなくこのような話を家族でしたことはなかったのですが、夫の最後の別れをこんないい加減な葬儀だったのなら家族と友人でお別れ会という形で宗教にこだわらずに送ってあげたたかったなと思ってしまいます。

ちなみに、宗派は浄土真宗です。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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恥ずかしいですね。申し訳ございません。

正直、私も信じられません。浄土真宗はどの宗派であっても、ますばお坊さんになる得度を受けて、相当の勉強と作法を学んで教師、住職や儀式の導師ができる資格を得ます。その過程で、袈裟衣の付け方や作法を学びます。ご指摘のことですが、五条袈裟は1人で装着できますが、葬儀は七条袈裟といって最高の威儀を示す袈裟は1人で装着するのが難しいものがあるのは事実です。特にお葬儀は一生に一度の大切な儀式です。何べんも練習します。私は浄興寺派に属していますが、もともと最もメジャーな本願寺派です。皆さんキチンと作法通りに執行されると思います。読経についても、お焼香の方が全員終わるまで調整してお勤めするのが常識です。坊さんにとってもお葬儀の出勤は緊張の極致ですよ。ご遺族の方々の悲痛な想いを考えると、本当に緊張します。
うちの愚息は一応学校をでて、住職の資格を取りましたが、絶対に葬儀に1人で出すことはありません。経験している、学んだというのと実際に1人でできるというの絶対に違います。喪家の想いを考えると、そんな若僧はだせませんよ。たまたま、お葬儀が立て込んで、火葬の時間がきまっており、どうしてもこの時間に通夜や御葬式を執行せざるを得なくなって、経験未熟なお坊さんが頭が真っ白になって、そうした対応になったのかもしれませんね。本当に申し訳有りませんでした。お詫び申し上げます。私もそういうご批判を受けないように、常に初心に返って真心と誠意を持って儀式に臨まないといけないなと痛感させられました。何年経ってもご納得いただけない気持ち、心からわかりました。申し訳ございません。
浄光寺 康昭

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個別相談可能
浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

袈裟の種類によっては

浄土真宗の、儀式で使う袈裟の中には、一人では装着できないタイプのものがあります。
背後から他人に布の一部分を持ってもらったほうが着けやすい、みたいなタイプのものです。
もしかしたら、そのタイプの袈裟だったのかもしれません。
そうだとしたら、装着するときに他人に手伝ってもらうのは仕方ありません。

私は浄土宗なので、浄土真宗の葬儀には詳しくないですが、焼香が終わっていないなら読経をのばすことくらい可能な気がします。

新米のお坊さんだったのかもしれません。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

有り難い

袈裟にせよ何にせよ、自分で出来ないことはありません。しかし僧侶はそこを敢えて人の手を借りてやるのです。
人の善行を促し、また僧侶自身には有り難いという思いを自ら起こす『修行』なのです。

菩提寺に葬送の儀式をしていただく、これは正しい判断でした。葬儀社手配の僧侶といえども故人に菩提寺があるかどうかを確認しなければなりません。あれば手配僧侶は葬儀することを差し控えるのが当然です。

私の場合通夜葬儀それぞれ一時間です。その中でご焼香をしていただくので途中退席はありません。
ただ、通夜葬儀は参列者のためにあるのではありません。
僧侶はただ故人のことだけを思い執行しているので周りの動きが見えなくなるのです。通夜葬儀は僧侶にとって真剣勝負なのです。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

お寺と葬儀と袈裟と焼香

ご質問拝見いたしました。
少なからず葬儀においてNana様が疑問を持ち、満足が行かなかったという点では僧侶としてお詫びしなければなりません。
さて、ご質問の件ですが、

1.お坊さんは自分で袈裟を着れないものですか(私の印象としては袈裟はお坊さんの制服のようなものと認識していますが)

これについては先のお坊様方もお答えのように、袈裟の種類によって1人でつけられるものと、どうしても他の方のお手伝いを必要とする御袈裟があります。葬儀において着用する七条袈裟は後者の方となりますので、それを目にされたのかもしれません。

2.通常、焼香が続いている間はお経はつづけられるのでしょうか
 (参列者がそんなに多かったわけでもありません)

葬儀における読経は私の所属する宗派においては定められております。ですので、事前に葬儀社様と打ち合わせの際に焼香中の読経時間と参列者の人数を確認し、焼香に使用する香炉の数を増やしたり減らしたり調整していただきます。数百人、数千人の参列者がいない限りは読経中に焼香は終了します。

3.ゆかりのあるお寺のお坊さんに葬儀をしてもらうのと、そうでないので は 何か違いはありますか(本人は自分の宗派もわからないぐらいお寺とは疎 遠な関係です。夫側家族の自己満足ではないですか)

これについては信頼関係でしょうか。浄土真宗の多くのお寺は故人の月参り(地域やお寺の事情によって様々ですが)をしており、毎月ご家族と顔を合わせます。ですので、全く人柄も何も知らないお寺の方に来ていただくよりは少しでも知った僧侶に読経していただこうとする心が働くのだと思います。これには亡くなった方がどうこうより、親族側の意識の方が強いでしょうか。

何にせよ冒頭申し上げたとおり、家族を含め参列者全員が故人を偲び、共に涙を流してその方に感謝を申し上げる場所が葬儀の場ですので、その儀式を執行する僧侶がたとえ一人にでも疑問や不快な思いをさせたのであればお詫び申し上げなければなりません。
ただ、1つの機会として今後Nana様が御聴聞に勤しみ、お念仏をお称えいただく日がくることを願います。
合掌

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質問者からのお礼

ご回答いただきありがとうございました。たしかに、来ていただいたお坊さんは若手のお坊さんでしたので不慣れが部分があったのかと思います。しかし、思い返すと髪もボサボサでなんだか清潔感のない方でした。お坊さんにとっては経験する何百、何千の葬儀のうちの一つかもしれませんが、私にとっては最愛の夫の大切な一生に一度の葬儀です。失敗や不慣れは仕方のないことですが、お坊さんから真剣さを感じ取ることができず私も家族も嫌な気持ちだけが残ってしまったのかもしれません。
今まであったモヤモヤが少し解消されました。ありがとうございました。

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