hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自ら命を経ちたいです

回答数回答 2
有り難し有り難し 7

精神疾患を抱えています。

父がステージ4の癌で、あと2,3ヶ月との余命宣告を受けました。

母が亡くなってから10年、2人で乗り越えて来ました。

父がなくなっら独りぼっちです。

辛い精神疾患を抱えながら独りで生きて行くのは拷問に感じ、死にたいです。

hasunohaの動画を見て、精神疾患の自殺は病死ともとれるような事を仰っており、確かに脳の病気だから。

今まで希死念慮とずっと闘ってきて、疲れました。

2024年6月8日 22:57

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

与えられた命を生き抜いて下さいね

拝読させて頂きました。
あなたはお母様がお亡くなりになられた後もお父様と一緒に病を抱えながらも
一生懸命に乗り越えてきたのですね。そしてお父様が思い病となり余命宣告を受けるほどになり、あなたも死んでしまいたいと思っているのですね。詳細なあなたやお父様やお母様のことはわからないですけれども、あなたのその辛い悲しみやさみしさはとても伝わってきます。あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
今まで辛い思いをしながらもあなたはお父様と支え合い頑張って生きてきたのかと思います。そんな中でお父様の命もいくばくもない中ではあなたの心の中も不安や悲しみが覆ってしまうでしょう。
ましてあなたも精神的な病を抱えて疲れ果ててしまっているのかと思います。ですからあなたがもう自分の命も断ちたいと思ってしまうお気持ちもわかる様に思います。
できればあなたは一息ついてあなたの心身をゆっくりと休めてあげて下さい、少しでもあなたの心をゆるめて癒してあげて下さい。そして少しずつでもあなたの心を開放し回復なさって下さい。
お父様も今与えられた命をお父様なりに生きていらっしゃると思います。そのお父様が与えられた天寿を全うなさっていくのをどうかしっかりとお見守りなさって下さいね。
私達は誰でもがこの世に命を頂いて与えられたご縁に恵まれ生きていくのです、その中で老いもしていきますし、病にもなります、そして命を全うし亡くなっていくのです。そんな私達を仏様や神様が必ずお導きなさって下さいます、お救いなさって下さいます。先に往かれた親しい方々やご先祖様が優しくお迎えなさって下さいます。そして再会を果たして仏様や神様のもとで一切の迷いや苦しみからも救われて何の憂いもなく清らかに円満にご成仏させて頂けます。
いつの日かお父様もあなたも必ず与えられた天寿を全うする時仏様や神様お救いお導きなさって下さいます、お母様がご先祖様を連れて優しくお迎えなさって下さいます。そして喜び合い分かち合いながら清らかに円満にご成仏なさっていくのです。
あなた自身のことやお父様のことをどうか大切になさって下さいね。
あなたやお父様がこれからも心和やかに与えられた命を生き抜いていかれます様に切に祈っています。そして仏様や神様に導かれます様に、お母様と再会なさいます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っています。至心合掌 南無阿弥陀仏

2024年6月9日 12:12
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

キツネに憑かれて15mジャンプした人🦊

私もかつて死にたい日々が続いていました。
人間辛いことが重なると本当に死にたいと思うものです。
より確かな生き方を探している過程の心理なのだと思います。つまり死にたいは別のよい答えを探している心理なのです。死にたい心理は人が跳躍するために必要な力、人に内在する起爆剤と思いましょう。
世間で有名な某YOUTUBERさんは当時、希死念慮が続いて、私は当時、誰か知らずに、このドラマ面白いよ、 こうするといいよ、これ食べるといいよと一緒にご飯食べに行ったりしました。現在では多くの人に生きる気力を与える活動をしておられます。死にたいエネルギーが人を救う力に変わる実証をしたのです。お釈迦様も彼も私自身も皆同じ。だから貴女も大丈夫。でも死ぬのだけはNG。私も死にたい心理が続いたある時、完全敗北をしたのです。世のどうにもならんことに負けた=お任せをできた=自分ルールを捨てたのです。スポーツでもそうじゃないでしょうか。相手が強すぎる。負けたくない。張り合う。でも勝てない。悔しい。気持ちだけは負けたくない。ぐっと耐える。映画『ファーストスラムダンク』(観てね)は人間が困難に屈せず、もっと大きな価値に向かって進んでいく数々のシーンが描かれています。困難の中貴女がどこに活路を見出すか。
価値観を変え笑って頂く為にあえて狐憑きの話をします。
山形の老師から伺った話ですが、当時、狐憑きは本当にあったと。キツネにつかれた人間は3メートルは軽く飛ぶ。中には15mもジャンプした人もいたのだと。「本当ですか?(笑)」その話を数名で聞いていた時、一人が笑いながら「ちょっと待ってくださいよ。15m飛んだら着地した時、足折るじゃないスか。その人どこに、どうやって着地したんスか。(笑)」すると老師は即答。「畑です。」一同爆笑。
その話の真偽はどうであれ、お伝えしたいことは、人間には火事場のKUSO力が眠っているということ。私もこの世のどうにもならんこと(私自身)に完全敗北した時にそのキツネジャンプ力が確かに「出た」のです。コーン!コンなことで死んでたまるか!という怒りにも似た物凄い奮起力って人にはあるんですね。死に迫る心理がわくなら、苦しみに耐えてたり、抗っている無理するより自分の我こそを捨てて負ける勇気。するとそこから力が沸くのです。違うものを優先して守って握り続けていた自分を捨て自分から自由になれました。

2024年6月9日 7:24
{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ