他人のあら探しをすること
叔母家族と近くに暮らしているのですが、叔母は自分と同じ価値観や境遇にない人に対して、粗探しをしては批判し、自分でコントロール出来ない人を酷く嫌います。
例えば、教育熱心なご近所の女性に対して、「あんなに塾や習い事に通わせたからってね。体壊したら意味ないのに。」や「それにその娘さんも、小さいのにおしゃれな服着てね。可愛げがないね。」といつも話しています。
また、自立してバリバリ働いている女性に対しても、「女性なのに、あんなにバリバリ働いて。何だか怖いわよね。」
そんな話をしながら、私以外の叔母家族は、何の疑いもなく、「ほんとだよ。気持ち悪いね」と同調している姿が、私には、そんな事口に出したら、自分の評価を下げるだけなのにと、冷めた目で見てしまい、凄く嫌な気分になります。
人それぞれに生き方や価値観は異なって当然だと思います。違う価値観で生きる人をそこまで目の敵にするように批判することなのでしょうか。
私にも羨ましいなと思う気持ちは正直あります。ただそれを口にした事で何も解決しないですし、相手を批判する前に、自分もがんばろうと思った方が、心の栄養になるように思うのですが、私の考えは冷めているのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
妬みや偏見の塊。相手の良さをちゃんと見ていきたいですよね。
人のことを、とやかく言うべきじゃないですよね。
聞かされるこちら側だって、気分の良いものではありませんよね。
人様のことを、ああだこうだ言う人は世の中にいます。ですが、妬みや偏見の塊でしょう。そういう人は信用もされません。
同じように、そうだねと言っている人たちも、同類に見られてしまいます。
話半分で聞きながら、加わらないことが一番ですね。自分の身内がそんなこと言っているなんて、恥ずかしいですよね。
人を落としてマウントをとっても、どうしようもない。
相手の良さをちゃんと認めていけるような、そんな自分でありたいですよね◎
あなたが正しい
あなたが正しいと思います。
怒りや嫉妬はストレスの原因になるので、他人への怒りは抱かない方が良いですよね。
また、仏教では、他人の成功や幸せを喜ぶ気持ちを大切にします。
ですが世の中には、他人の成功を喜ばない人が多いのも現実です。
たとえば、世の中の景気が良くなって欲しいと言いながら、近所の会社が大儲けするのは気に食わないなど、矛盾した感情を抱いてしまうのもまた人間ですよね。
ということで、あなたは叔母さんの間違いを認識しつつも、そのような叔母さんに対する怒りを抱かないように気をつけましょう。
叔母さんに対する怒りは、あなたのストレスにつながるので。
人をおとしめれば自分がおとしめられる
拝読させて頂きました。
そうですね、あなたのおっしゃる通りだと思います。あなたのお考えに賛同します。私達は誰もが我が身のことが一番と、自分達が一番正しいと勘違いしてしまうのです。その様に人のことをおとしめてしまう様な考えはとてもさみしいことでしょうし、自らの生き方や考え方やキャパシティを狭めてしまうことでしょう。そしてその様な排他的な考え方がエスカレートしてしまいますと悲惨なことになってしまいます。日本も戦前ではその様な排他的な考え方が横行して著しい人権侵害や虐殺事件が発生し、そして戦争を引き起こしてしまい多くの方々が大変な苦しみを味わうことになりました。そして自分達も大きな苦しみを味わったのです。
その様に人の悪口を言えばいずれ自分に戻ってくることです、人をおとしめれば自分がおとしめられるのです。。
ですから、人の振り見て我が振り直せ、ですね。
あなたがこれからも沢山の方々のことを生き方を尊重し、沢山の方々と一緒に心からおおらかに豊かに充実した毎日を生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援しています。至心合掌m(_ _)m
質問者からのお礼
温かいお言葉ありがとうございます!