浄土真宗での、頑張る意味
拙いタイトルですみません。最近、子供たちに教えるため、我が家が信仰している浄土真宗について調べています。知識がほぼないので、恥ずかしながら子供用の仏教、浄土真宗入門を読んでいます。
仏様がどんな命も救って下さり、行いによるプラスもマイナスもないと書かれていました。
でも、例えば子供から、プラスもマイナスもないなら、頑張らなくても良いの?と聞かれたらうまく答えられません。
阿弥陀様がどんな私達はも受け入れて下さるから、安心して色んなことに挑戦できる、とは知りました。でも、挑戦しなくても良い…?怠けても良い…?浄土真宗の中では、努力や頑張る気持ちをもつ事についてはどのように説いているのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
阿弥陀さまの慈悲があるから頑張れる
ご相談ありがとうございます。お子さまに浄土真宗の教えを理解してもらおうとするお母さまの姿勢、とても素晴らしいことだと思います。そして、仏教や浄土真宗の教えを探求される過程で生じた疑問を通じて、一緒に学ぼうとするその姿勢も尊いものです。
仰っているように、浄土真宗の教えの根本には、阿弥陀如来が私たちすべての命を無条件に救ってくださるという考え方があります。どんな行いをしても、その行いによって救われるわけではなく、阿弥陀如来の大慈大悲の力によって私たちは救われるのです。
しかし、その教えが「努力をしなくても良い」「怠けても良い」と捉えられるのは確かに悩むところですね。この点について一緒に考えてみましょう。
浄土真宗では、努力や頑張ること自体を否定するわけではありません。むしろ、阿弥陀如来の救いの深さと無条件の愛を理解することで、私たちは自分の至らなさや不足を素直に見つめることができ、そのうえで一層積極的に生きることが求められます。
この教えの一つに「安心立命」という考え方があります。阿弥陀如来の無条件の救いを信じることで、心の平安を得ることができます。そしてその平安の中で、私たちは自分自身の人生や日々の営みに対して真摯に向き合っていくのです。つまり、私たちは何か特定の結果を得るために努力するのではなく、その努力そのものが意味を持つのです。
お子さまに具体的にどう伝えるかと言うと、「どんな挑戦でも、失敗しても大丈夫だよ。阿弥陀様が守ってくださっているから安心して挑戦してごらん。そしてそのこと自体がとても尊いのだよ。」と伝えると良いでしょう。
また、浄土真宗では「善行」という概念があります。善行とは何か特定の報いを望んで行う行為ではなく、無心で他者を思いやり、自分のできることを行うことです。ここには努力や頑張ることも含まれます。私たちは他者を思いやり、社会や人々のために自らの力を尽くすことができる。それ自体が尊いことなのです。
お子さまには、「誰かのために頑張ること、挑戦することはとても素晴らしいことだよ。それは阿弥陀様の慈悲に応えることでもあるんだ。」と伝えることで、努力や頑張る気持ちがどれほど重要であるかを理解してもらえるでしょう。
どうか安心して、お子さまと共に少しずつ教えを学んでいってください。その過程で生じる疑問や不安も含めて、それが尊い仏縁となります。合掌
阿弥陀仏の慈悲 親の慈愛
きみどりさん
例えば、大谷翔平選手や池江璃花子選手を見て下さい。
度重なる怪我や、死につながる病に侵されても、常に前向きに一流のアスリートであり続けようとするのでしょう?
彼らの前向きに頑張る姿に、私たちは励まされています。
あのイチロー選手の3000本安打達成時の言葉に
「達成した瞬間にチームメートたちが喜んでくれて、ファンの人たちが喜んでくれた。
僕にとって三千という数字よりも僕が何がをすることで僕以外の人たちが喜んくれることが、今の僕にとって何より大事なことだということを再認識した瞬間でした。」
お子さま達が頑張る事で、周りの人や自分たちも励まされ頑張ることが出来る。そのことをお子さまに伝えてください。
よく、仏様・阿弥陀様のことをご法話で
「親さま」
と表現します。
親とは自分の事よりも子のしあわせを願うもの、その願いに応えて努力する子の姿で親の子への慈愛はますます深まるもの。
やがては、その子も親になり「親の慈愛」を理解し、子に限らず他の人も想いながら生きていける。
今生をおえて阿弥陀様に浄土へ導かれ、同じように慈悲の仏とさせて頂くことは、多くの人々の利益のために自分が働けるようになること、であると説かれています。
元日の能登地震などの災害で、寸断された水・電気・鉄道・道路など、日常当たり前に利用するモノは実は当たり前ではない。多くの人々の努力工夫の上にある「稀有な」当たり前です。
お子さまたちに、今の日常の有難さや、努力する事の損得以外の無償の価値について話してみて下さい。
親さま・阿弥陀様は常に見守り、慈悲の光で包み込んでくださいますよ。見えなくて感じなくても・・
親の慈愛とはこうゆうモノではないでしょうか?
合 掌
他力とは極楽に往生させる力
他力とは本来、念仏者を往生させてくれる阿弥陀の本願力を指す言葉です。
往生極楽に関しては、私達は頑張る必要はないのです。
しかし、それ以外の世俗の事柄や、極楽浄土でより早く成仏(悟る)することについては、努力精進の結果は無駄ではないのです。
また、阿弥陀仏はどんな悪い子供でも見捨てない親のように、煩悩だらけで愚かな悪人である私達を救ってくれますが、阿弥陀仏は私達の罪を見れば嘆き、私達の善行を見れば喜んでくれます。
あなたも、お子さんがどんなに怠けても親としての愛情は消えないでしょうけど、お子さんが努力して成功すれば嬉しいでしょう。
努力しなくても往生できるから大丈夫ですが、努力しても往生できるのだから、努力の結果という楽しい体験を味わってみるのも良いでしょうね。
質問者からのお礼
子供への言い方まで教えて下さりありがとうございます。見返りを求めず思いやったり努力する善行、素敵な言葉ですね。プラスやマイナスにならないけど頑張るのではなく、何も望まず頑張ることが尊いことなんですね。とても勉強になりました。
回答頂きありがとうございます。確かに、阿弥陀様は怠けている姿より努力する姿を嬉しく思うでしょうし、見せたいですね。救われるならいいや、という短絡的なものではなく、周りのため、阿弥陀様のために感謝の気持ちを持って頑張る事が大切だと説明したいと思います。
回答ありがとうございます。最後の言葉がとても心に刺さりました。精一杯努力したり、人に優しくしたり、そうした生き方の方が楽しいですよね。そう考えられるのは、阿弥陀様がお救い下さるからこそですね。浄土真宗について勉強を始めなかったら気付けなかったことばかりで、またお坊様方からご親切に回答下さり理解を深められて本当に良かったです。