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浪費癖をどうにかしたい

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私は昔から浪費癖と見栄張りな性格で、ストレスが溜まったり、最近では値上げにつられて高価なものを買って自慢することがあり、お金を貯めようと思っても使ってしまいます。

躁鬱があり、躁状態の時は後先考えずに使ってしまい、そのため貯金もわずかです。そうなって、ようやく浪費をセーブ出来ている状況です。自業自得ですし、30代になってこの生き方は情けなく思います。これからはお金を貯めようと思いますが、貯まったらまた同じようなことを繰り返すのじゃないかと心配です。自分をもっとコントロール出来るようになりたいです。

2024年8月19日 23:05

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当に価値のあることを必要としている心理

人というものは本当に価値のあることを知らないと他の要らないことで代用しようとするところがある。
本当に欲しいものはなにか。
本当に必要なものは何か。それを探している。そこを埋めたい。
そこを手に入れたい。
安心したい、この身、この心を安心させたいが為に、違うものを求めてしまっているのではないでしょうか。
そもそもモノ・所有・所得・手に入れるという行為は必要からそれをするはずでしょう。
ところが、本当に欲しいもの、欲しいことがある、あったのにそれをしない、できない、やらないから代償行為を求める。
要らんものに手を出すようになるのです。
もしプライドや見栄を満たそうとしているのであれば、それは方法が間違っています。アナタよりももっとお金持ちも山ほど存在している。自分よりも立ち位置の低いもの弱いものを見下すようなことは、ただの優劣争い、勝ち負けの心理でしかありません。そういう哀しくも貧しい闘争の世界をこそ仏教では人間界・天上界というのです。人間界や天上界というのは実は地獄とさほど変わらない世界です。ちょっと勝った、ちょっと優位に立てた、すぐに劣等感、凹んだ、ふさぎ込む、人の目を気にする、あの人がどう思っているか気になる…、そんなことばかりやろうとする。何を格好をつけているのか、なぜ格好をつけるのか、なぜそんなことでは心底満足も安心もしたこともないのに、そんな方法を価値として心理的に着飾ろうとするのでしょう。
それは本当に求めている真実の価値に出会えていないからです。
お釈迦さまの時代に遊女のアムラパーリーはお釈迦さまの説法に触れて、自分の探し求めていた真実の価値を見出されたといいます。身に着けていた高価な宝石がまるで輝きを失うような体験。私も禅門で老師の話に触れた時に全く同じような体験がありました。今までこれぞ価値だとおもっていたことが全く無価値になったのです。本当に今まで自分がこれが価値あるものだと思っていたことがダークな、灰色になったような体感がありました。
そして、本当に自分が必要としていることがなんであるかが分かったのです。
人というものは、あるいは生物というものが、この世という不安定なでこぼこ道で生きていく上には本当に安全な走行ができる良い道、正しいレールは必要なのです。仏教、仏道は人の歩むべく道、安全運転できるレール、線路なのです。ぜひ真価を見出してください。

2024年8月21日 5:12
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おきもち

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自分の人生を大切にし、一歩ずつ前進することが大切

お悩みを拝見しました。浪費癖と躁鬱に悩まれているとのこと、心中お察しいたします。

まず、30代だからと自分を責めすぎないでください。躁鬱は病気であり、自業自得と考える必要はありません。若い頃にお金を使うことにも意味があります。私自身、20代の頃はサラリーマンとして給料を使い切っていました。

今後の対策として、以下をお勧めします:

1. 躁鬱の管理:専門家による適切な治療やカウンセリングを受けましょう。

2. 金銭管理:ファイナンシャルプランナーに相談し、支出の記録をつけて自己認識を深めましょう。

3. 具体的な方法:
- 収入の一部を自動貯蓄
- 高額な買い物は待機時間を設ける
- クレジットカードの使用を制限し、現金やデビットカードを活用

4. ストレス管理:瞑想を日々実践し、心を休める時間を作りましょう。

5. 価値観の見直し:ボランティア活動など、物質以外に価値を見出す行動を。

6. サポートを求める:友人、家族、または同じ悩みを持つ人々のグループに参加し、孤独に陥らないようにしましょう。

自分の人生を大切にし、一歩ずつ前進することが大切です。このアドバイスが少しでもお役に立てば幸いです。

ご健勝をお祈りいたします。

合掌

2024年8月22日 9:47
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個別相談可能
蓮城院というお寺の副住職。 主に坐禅をしたり、庭掃除をしたり。 ハスや野菜を育てたり。最近はAIマンガにチャレンジしています。 ちなみに蓮城院は二宮金次郎(尊徳)のお墓があるお寺。 また、毎月第1月曜日、第1土曜日に坐禅会を開催しております。 ■X(旧Twitter)アカウント■ https://x.com/koubun_osho
対応できる時間帯は、18時から20時。 自動車開発エンジニアの経験がある。 元サラリーマンの僧侶です。 会社内の人間関係のご相談引き受けます。

質問者からのお礼

ご返答ありがとうございます。自分の中で、何が大切なのか、そのためにどうすべきか考えていきたいと思います。

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