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六道

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仏教でいう六道とはなんですか?
教えてください。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の6つの世界を言います

曹洞宗の吉田俊英と申します。

六道とは、迷いの世界を6つに分類したものをいます。迷いの世界に居るものは生滅を繰り返して、この6つの世界(六道)を輪廻転生すると仏教では考えられています。
具体的には
天上
人間
修羅
畜生
餓鬼
地獄
を指します。
 仏教では、この六道の迷いの世界を欲界と言います。仏教の教理学的には、修行の成果や心の安定状態など、精神状態を示す例えとして説明されています。経典が作成されたり教義が解説されたりする過程で、死後に赴く世界と説明されるようになりました。
  尚、閻魔大王はインドではYamaと言って最初に死後の世界に行った人間であり、死後の世界の王とされています。我々の馴染みのある閻魔大王は中国文化の影響を受けており、冥界の王様では無く、冥界の裁判官に格下げされています。

あくまでも概略だけ説明させていただきます。時代や地域や文化によって、六道の意味や理解は微妙に異なってくる場合もあります。果樹園様の知りたい点について、追加の質問を頂ければ、可能な範囲で回答させていただきます。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...

六道とは

これらは精神の「苦しみの状態」で、救われていない心の状態をわかりやすく6つに分けて表現したものであると思います。
以下はわたくし流の解釈、説明ですので、ざっくりと。

この心に耐え難い苦しみが永続く心を地獄界という。
人の道、道理に外れた非・人間的な行為を犯す心、これを畜生界という。
己のことしか考えず他者の事を顧みないエゴ・貪りの心を餓鬼界という。
他者と比較し、争い合う怒りに燃えた心を修羅界という。
考え、観念に縛られ真実を知らない迷いの心を人間界という。
成功、栄誉、何不自由ない暮らしであっても、満足を知らず、再び苦しみに陥る心を天上界という。

天上界であっても、やがて苦しみに陥る、というようでは仏教でいうところの解決。ゴールには至りません。本当に心が安楽になる有り方(仏道)を知らず、行じないままに、只いたずらに時を過ごすことが六道輪廻なのです。
お釈迦様が生まれて7歩、歩まれたという故事は、この六道を輪廻、ループする生き方を離れてさらに第一歩、歩みを進め解脱する生き方を求めなさい、ということの象徴であるという説もあります。
現代社会に生きる我々は、まさに一喜一憂の無限ループの繰り返し、六道輪廻でしょう。
だからこそ、それらの懸縛から出離して、自己を学び自己の思いから救われる生き方をするべきであるということです。その為にお寺は門が開かれているのです。どうぞ、この門をくぐって、仏の道を歩んでください。
六道を解脱するのは簡単です。自分から自由になり、自分の真相を明らかにする事を煮つめるだけです。
「仏となるにいとやすき道あり、諸々の悪を作らず、生死に執着する心無く、一切衆生の為に憐れみの心を深くし、先人を敬い、後の世を生きゆく人たちを憐れみ、一切を厭い嫌う心無く、是非善悪の心に縛られずに、思いそのものに縛られず、憂いの心無きこと、これを仏となづく。」
(道元禅師 生死の巻 より意訳)

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

六道とは・・・。

 吉田さんと丹下さんの回答は模範解答ですが。最近、お釈迦様の話を色々な学者の本を読めば読むほど理解したことがあります。
 インドに今でもはびこっていいるカースト制度=六道と思いました。お釈迦様は人権意識が当時としては非常に強く、何とかしてカースト制度という苦しみから人々を解放したいと思い、直接カースト制度を批判するとバラモンからお咎めがあるので、このように世界観を変えて表現されたと思います。解脱とはカースト制度からの解放と捉えてもいいと思います。
 インドのカースト制度はバラモン教が作った制度なので、この苦しみから解放される方法は国外に亡命か難民するか、バラモン教を捨てるしかありません。お釈迦様は仏教という新興宗教を創ることによりここに入信すればカースト制度から解放されますよをキャッチフレーズにして多くの弟子や信者を集めたのではないでしょうか?

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「六道」について

果樹園様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「六道」あるいは「死後」のことに関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いておりますが、基本的に、「六道」とは、心(相続)の様態における象徴的・代表的な一つの分類と捉えさせて頂いております。心の様態をおおまかに分けると、大体がこの六つに分類されるというもので、もちろん、詳しくにはそれぞれによって千差万別にあるとお考え頂けましたらと存じます。とにかく六道にある限りは迷い苦しみの世界であることには変わりありません。何とか確かなる仏道を歩みて、この迷い苦しみの輪廻の世界を脱して参りたいものでございます。

問い「六道とはこの世にあるのでは、と思うようになりました。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002981190.html

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/死後

問い「死ぬと地獄行き」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002942649.html

問い「死を考えてしまう」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002969793.html

『・・仏教では、業論・輪廻論という難しい思想がございまして、この肉体の死後も、心(相続)が続いていくものであるとして、「死=終わり」とは捉えません。問題は、死後も続いていく、その心(相続)のありようとなります。心(相続)のありようで、死後の次の様態が決まっていくこととなります(厳密には、業・カルマが大いに関係して参ります)。代表的には、六道としての天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄とありますが、これはあくまでも心(相続)の様態における象徴的・代表的な一つの分類となります。いずれにしましても、輪廻の中にある限りは、迷い苦しみの中にあることに変わりがありません。この迷い苦しみの輪廻から離れるためには、悪い行いをなさずに、善い行いに勤め励み、心を清らかに保ち、確かなる仏道を歩むことが望まれることとなります。・・』

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

「仏教全般」問答一覧

人徳とは何でしょうか?

 年末多忙の時期、しかもコロナ禍のさなか、恐れ入ります。  かれこれ10年前、勤めていた職場をリストラで追われ、どうにか生き延びて参りました。10年をへて、その当時の慢心や、先般ついに手帳まで頂いた障害など、自分自身の上に反省すべき点も多々見い出しつつあります。  にもかかわらず、その当時、とある方から言われた言葉がやはり折に触れて脳裡に甦ります。しかも抗弁しようにも、その方は数年前に急逝なされ、いまはお浄土に。その言葉とは、   「ピンチに出くわして、すぐに救いの手が伸びて来ないのは、人徳がない証拠」 というものです。なるほどな、とも思わされますが、同時にやはり、「ちょっと待ってくださいよ!」という思いもございます。  そのかたは生前、仏教者として特色ある活動をなさった人であり、みだりに批判することは倫理的にも強く躊躇(ためら)われます。それでも、そのかたがお遺しになった会社が、今般のコロナ禍でかなり四苦八苦している様子を人づてに聞かされますと、心の中に「どうしました?人徳がないから左前になるんですよね?」という、どす黒い思いが湧いてこないと言えばウソになってしまいます。  そのかたとは私がリストラされるまで、ご縁あって、幾度か帰り道に御一緒したこともあるのですが、10年前、突然の(……会社側からすれば兼ねて計画していたとおりの)リストラで苦痛の極にあった私へ、「君の声は某宗教の布教師どもの声そっくりだ。不快きわまる!」というお言葉もいただいております。自分は声がやや甲高いので、それが不快感を与えてしまったのか…と思い余った末、喉仏に男性ホルモンか何かを注射して治してもらおうとすら考え、これは家族みんなに止められました。  さて、ようやく立ち直ろうとしている今、この疑問に対する自分なりの答えも日ましに脳裡で形をなしつつあります。このうえ回答僧諸師をお煩わせするのはいかにも申し訳ないと思いつつも、皆様の多年にわたる御回答経験の中から、大所高所に立ったお言葉を頂けたらと念じております。  もっとお苦しみのかたが沢山いらっしゃいます。でも、どなたかお手すきの折に何か無形の御守りともなりそうなお言葉を頂けたら幸甚です。以上、ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございます。

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仏教で気持ちが楽にならないです。

全体: 仏教はこの世が苦しくてたまらない人が解脱or楽になる為に信仰している。 今回のタイトル: 全く楽にならない。 なぜ 1楽にならない助けて!というと本人の思考、もしくは生まれる前の前世が最悪だったからというどうしようもない提案をされる。 さてその本人の考え自身も、彼自身が会得したものではないという事すら苦しみなのです。 人を殺めていいという環境に生まれた人が、別環境に押し込められて考え方を根性で変えよ!というような暴論。 また前世は証明されたわけではないのにどうしようもない変えようがない物をあげて耐えろ!という暴論。 2信じないのなら離れろ!という暴論 信じないのなら離れて、消えて。みたいな事を言われます。だとしたら楽にならないけど仏教を続けて一部の人は楽になるのに一部の人は楽にならないわけでそれ自身が苦しみになるのでは? ブッダの考え方はとても好きだけど、その後の仏教の考え方が嫌いな場合でも信仰をやめて離れろよ?的な暴論が苦しい。 論理を求めたから仏教にたどり着くのに論理がしたいなら仏教の論文でも書け!みたいな無理な事を求めるのは根拠はない!根拠は俺!みたいな考えではないですか?それこそ私が嫌いなものです苦しみの根源です。 3圧倒的な不幸な人より煩悩にまみれた仏教徒の方が幸せ スマホに、結婚や性行為に、家に、車に、欲しい物に、他の生物を食べて生きる事、を普通にやってて、それ以下の苦しみしか得てない人は一切幸福が得れない。 結局煩悩を満たす為に欲を満たすしか方法がないという事なのではないか?という結論に至りそう。 4論理的に反論できない時は、修行が足りないorその人に聞いてみろ。その人の不幸は実際に本人の気持ちにならないとわからないという逃げ。そしてその中に内包するお前はそんな事情も知らないで嘆いてるんだろ?という攻撃。 修行なんていつまで続けるか?という区切りがありません。だとしたら楽にならないのでは?という事。また早く死ぬ可能性もあるわけで惨憺たる人生のまま亡くなってしまう事もあるわけでその人自身は苦しむ為に生まれたの?を否定できなくなる。 5織田信長は天下を取れたという事。 彼は焼き討ちしたのに幸福な人生を生きた。 ↓ 楽になりたいのです。さて上の説明を含めてどうすれば良いでしょうか?

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不審と信心と往生について

1年前にも同じような質問をしたのですが 41願のことを「信心を得たものは諸根が具足する」と書いてある本があって(蜂屋賢喜代という方の四十八願講話という本です)、それなら 身体が具足することが信心を得た証拠になるじゃないか、おかしいじゃないかと思っていろいろな善知識の方に相談しました。 すると先生のように、身体は関係ない、と様々な方からいろいろな理由で言われました。香月院深励師の本には『初住以上の菩薩』と書かれてありました。 そこで素直に「そうだな、合理的に考えて41願以降の願が念仏者に向けられているとは考えられないし、41願のことは考えなくていい」と思えればよかったのですが、なぜか「41願によって信心を得たものは諸根が具足する」という思いが1年ほど強迫観念のように頭にありました。 今も、前ほどではありませんが、1日に何度も「41」という数字が頭に浮かびます。これは疑いなのでしょうか? この不審があっても、往生の障りにはならないのでしょうか。念仏や生起本末には疑いがないのですが、この不審が頭に浮かぶたびに 「こんな心じゃ往生できない」と思ってしまいます。 けれど今はもう不審の「内容」は嘘だと分かっていて、41願の内容は念仏者ではない菩薩のことだと思っています。 この心は蓮如上人の言葉で言うと、自力の心を振り捨てて、の自力の心なのか、妄念妄執がおこるのもとどめるにあらず、の妄念妄執の心なのか、専門的に言えばどちらなのでしょうか 長文失礼しました。変な質問ですみません。ご返事いただければ幸いです。

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