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六道

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仏教でいう六道とはなんですか?
教えてください。

2014年8月19日 12:53

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の6つの世界を言います

曹洞宗の吉田俊英と申します。

六道とは、迷いの世界を6つに分類したものをいます。迷いの世界に居るものは生滅を繰り返して、この6つの世界(六道)を輪廻転生すると仏教では考えられています。
具体的には
天上
人間
修羅
畜生
餓鬼
地獄
を指します。
 仏教では、この六道の迷いの世界を欲界と言います。仏教の教理学的には、修行の成果や心の安定状態など、精神状態を示す例えとして説明されています。経典が作成されたり教義が解説されたりする過程で、死後に赴く世界と説明されるようになりました。
  尚、閻魔大王はインドではYamaと言って最初に死後の世界に行った人間であり、死後の世界の王とされています。我々の馴染みのある閻魔大王は中国文化の影響を受けており、冥界の王様では無く、冥界の裁判官に格下げされています。

あくまでも概略だけ説明させていただきます。時代や地域や文化によって、六道の意味や理解は微妙に異なってくる場合もあります。果樹園様の知りたい点について、追加の質問を頂ければ、可能な範囲で回答させていただきます。

2014年8月19日 14:57
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有り難し
おきもち

六道とは

これらは精神の「苦しみの状態」で、救われていない心の状態をわかりやすく6つに分けて表現したものであると思います。
以下はわたくし流の解釈、説明ですので、ざっくりと。

この心に耐え難い苦しみが永続く心を地獄界という。
人の道、道理に外れた非・人間的な行為を犯す心、これを畜生界という。
己のことしか考えず他者の事を顧みないエゴ・貪りの心を餓鬼界という。
他者と比較し、争い合う怒りに燃えた心を修羅界という。
考え、観念に縛られ真実を知らない迷いの心を人間界という。
成功、栄誉、何不自由ない暮らしであっても、満足を知らず、再び苦しみに陥る心を天上界という。

天上界であっても、やがて苦しみに陥る、というようでは仏教でいうところの解決。ゴールには至りません。本当に心が安楽になる有り方(仏道)を知らず、行じないままに、只いたずらに時を過ごすことが六道輪廻なのです。
お釈迦様が生まれて7歩、歩まれたという故事は、この六道を輪廻、ループする生き方を離れてさらに第一歩、歩みを進め解脱する生き方を求めなさい、ということの象徴であるという説もあります。
現代社会に生きる我々は、まさに一喜一憂の無限ループの繰り返し、六道輪廻でしょう。
だからこそ、それらの懸縛から出離して、自己を学び自己の思いから救われる生き方をするべきであるということです。その為にお寺は門が開かれているのです。どうぞ、この門をくぐって、仏の道を歩んでください。
六道を解脱するのは簡単です。自分から自由になり、自分の真相を明らかにする事を煮つめるだけです。
「仏となるにいとやすき道あり、諸々の悪を作らず、生死に執着する心無く、一切衆生の為に憐れみの心を深くし、先人を敬い、後の世を生きゆく人たちを憐れみ、一切を厭い嫌う心無く、是非善悪の心に縛られずに、思いそのものに縛られず、憂いの心無きこと、これを仏となづく。」
(道元禅師 生死の巻 より意訳)

2014年8月19日 16:49
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

六道とは・・・。

 吉田さんと丹下さんの回答は模範解答ですが。最近、お釈迦様の話を色々な学者の本を読めば読むほど理解したことがあります。
 インドに今でもはびこっていいるカースト制度=六道と思いました。お釈迦様は人権意識が当時としては非常に強く、何とかしてカースト制度という苦しみから人々を解放したいと思い、直接カースト制度を批判するとバラモンからお咎めがあるので、このように世界観を変えて表現されたと思います。解脱とはカースト制度からの解放と捉えてもいいと思います。
 インドのカースト制度はバラモン教が作った制度なので、この苦しみから解放される方法は国外に亡命か難民するか、バラモン教を捨てるしかありません。お釈迦様は仏教という新興宗教を創ることによりここに入信すればカースト制度から解放されますよをキャッチフレーズにして多くの弟子や信者を集めたのではないでしょうか?

2014年8月21日 14:05
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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「六道」について

果樹園様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「六道」あるいは「死後」のことに関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いておりますが、基本的に、「六道」とは、心(相続)の様態における象徴的・代表的な一つの分類と捉えさせて頂いております。心の様態をおおまかに分けると、大体がこの六つに分類されるというもので、もちろん、詳しくにはそれぞれによって千差万別にあるとお考え頂けましたらと存じます。とにかく六道にある限りは迷い苦しみの世界であることには変わりありません。何とか確かなる仏道を歩みて、この迷い苦しみの輪廻の世界を脱して参りたいものでございます。

問い「六道とはこの世にあるのでは、と思うようになりました。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002981190.html

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/死後

問い「死ぬと地獄行き」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002942649.html

問い「死を考えてしまう」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002969793.html

『・・仏教では、業論・輪廻論という難しい思想がございまして、この肉体の死後も、心(相続)が続いていくものであるとして、「死=終わり」とは捉えません。問題は、死後も続いていく、その心(相続)のありようとなります。心(相続)のありようで、死後の次の様態が決まっていくこととなります(厳密には、業・カルマが大いに関係して参ります)。代表的には、六道としての天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄とありますが、これはあくまでも心(相続)の様態における象徴的・代表的な一つの分類となります。いずれにしましても、輪廻の中にある限りは、迷い苦しみの中にあることに変わりがありません。この迷い苦しみの輪廻から離れるためには、悪い行いをなさずに、善い行いに勤め励み、心を清らかに保ち、確かなる仏道を歩むことが望まれることとなります。・・』

川口英俊 合掌

2014年8月27日 11:35
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

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仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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