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六道

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仏教でいう六道とはなんですか?
教えてください。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の6つの世界を言います

曹洞宗の吉田俊英と申します。

六道とは、迷いの世界を6つに分類したものをいます。迷いの世界に居るものは生滅を繰り返して、この6つの世界(六道)を輪廻転生すると仏教では考えられています。
具体的には
天上
人間
修羅
畜生
餓鬼
地獄
を指します。
 仏教では、この六道の迷いの世界を欲界と言います。仏教の教理学的には、修行の成果や心の安定状態など、精神状態を示す例えとして説明されています。経典が作成されたり教義が解説されたりする過程で、死後に赴く世界と説明されるようになりました。
  尚、閻魔大王はインドではYamaと言って最初に死後の世界に行った人間であり、死後の世界の王とされています。我々の馴染みのある閻魔大王は中国文化の影響を受けており、冥界の王様では無く、冥界の裁判官に格下げされています。

あくまでも概略だけ説明させていただきます。時代や地域や文化によって、六道の意味や理解は微妙に異なってくる場合もあります。果樹園様の知りたい点について、追加の質問を頂ければ、可能な範囲で回答させていただきます。

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個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

六道とは

これらは精神の「苦しみの状態」で、救われていない心の状態をわかりやすく6つに分けて表現したものであると思います。
以下はわたくし流の解釈、説明ですので、ざっくりと。

この心に耐え難い苦しみが永続く心を地獄界という。
人の道、道理に外れた非・人間的な行為を犯す心、これを畜生界という。
己のことしか考えず他者の事を顧みないエゴ・貪りの心を餓鬼界という。
他者と比較し、争い合う怒りに燃えた心を修羅界という。
考え、観念に縛られ真実を知らない迷いの心を人間界という。
成功、栄誉、何不自由ない暮らしであっても、満足を知らず、再び苦しみに陥る心を天上界という。

天上界であっても、やがて苦しみに陥る、というようでは仏教でいうところの解決。ゴールには至りません。本当に心が安楽になる有り方(仏道)を知らず、行じないままに、只いたずらに時を過ごすことが六道輪廻なのです。
お釈迦様が生まれて7歩、歩まれたという故事は、この六道を輪廻、ループする生き方を離れてさらに第一歩、歩みを進め解脱する生き方を求めなさい、ということの象徴であるという説もあります。
現代社会に生きる我々は、まさに一喜一憂の無限ループの繰り返し、六道輪廻でしょう。
だからこそ、それらの懸縛から出離して、自己を学び自己の思いから救われる生き方をするべきであるということです。その為にお寺は門が開かれているのです。どうぞ、この門をくぐって、仏の道を歩んでください。
六道を解脱するのは簡単です。自分から自由になり、自分の真相を明らかにする事を煮つめるだけです。
「仏となるにいとやすき道あり、諸々の悪を作らず、生死に執着する心無く、一切衆生の為に憐れみの心を深くし、先人を敬い、後の世を生きゆく人たちを憐れみ、一切を厭い嫌う心無く、是非善悪の心に縛られずに、思いそのものに縛られず、憂いの心無きこと、これを仏となづく。」
(道元禅師 生死の巻 より意訳)

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

六道とは・・・。

 吉田さんと丹下さんの回答は模範解答ですが。最近、お釈迦様の話を色々な学者の本を読めば読むほど理解したことがあります。
 インドに今でもはびこっていいるカースト制度=六道と思いました。お釈迦様は人権意識が当時としては非常に強く、何とかしてカースト制度という苦しみから人々を解放したいと思い、直接カースト制度を批判するとバラモンからお咎めがあるので、このように世界観を変えて表現されたと思います。解脱とはカースト制度からの解放と捉えてもいいと思います。
 インドのカースト制度はバラモン教が作った制度なので、この苦しみから解放される方法は国外に亡命か難民するか、バラモン教を捨てるしかありません。お釈迦様は仏教という新興宗教を創ることによりここに入信すればカースト制度から解放されますよをキャッチフレーズにして多くの弟子や信者を集めたのではないでしょうか?

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目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

「六道」について

果樹園様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「六道」あるいは「死後」のことに関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いておりますが、基本的に、「六道」とは、心(相続)の様態における象徴的・代表的な一つの分類と捉えさせて頂いております。心の様態をおおまかに分けると、大体がこの六つに分類されるというもので、もちろん、詳しくにはそれぞれによって千差万別にあるとお考え頂けましたらと存じます。とにかく六道にある限りは迷い苦しみの世界であることには変わりありません。何とか確かなる仏道を歩みて、この迷い苦しみの輪廻の世界を脱して参りたいものでございます。

問い「六道とはこの世にあるのでは、と思うようになりました。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002981190.html

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/死後

問い「死ぬと地獄行き」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002942649.html

問い「死を考えてしまう」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002969793.html

『・・仏教では、業論・輪廻論という難しい思想がございまして、この肉体の死後も、心(相続)が続いていくものであるとして、「死=終わり」とは捉えません。問題は、死後も続いていく、その心(相続)のありようとなります。心(相続)のありようで、死後の次の様態が決まっていくこととなります(厳密には、業・カルマが大いに関係して参ります)。代表的には、六道としての天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄とありますが、これはあくまでも心(相続)の様態における象徴的・代表的な一つの分類となります。いずれにしましても、輪廻の中にある限りは、迷い苦しみの中にあることに変わりがありません。この迷い苦しみの輪廻から離れるためには、悪い行いをなさずに、善い行いに勤め励み、心を清らかに保ち、確かなる仏道を歩むことが望まれることとなります。・・』

川口英俊 合掌

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