酷い事を思ってしまう
自分は最近酷い事を心の中で思ってしまいます。
仏様や両親に対して、死ねなどの暴言を思ってしまいます。
勿論このような事は思ってもいないし思いたくもありません。
ですが何故か心の中に思い浮かんでくるのです。
その後に「そんな事思ってない」と言い聞せ懺悔します。
これを一日に何十回も繰り返してしまいます。
おそらくこんな事を思うのは自分の心が愚かだからだと思います。
どうやったらこのような事を思わないようになれますか?
思ってないと言い聞かせても思った判定ですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
新たな変化を取り入れて!
ゆうさん、hasunohaへようこそ。ゆうさんは、とても正直な方ですね。とても好感を持ちました。ゆうさんの「心が愚かだ」とは思いません。多くの人が見過ごしたり、隠したり、ごまかしてしまうことに、ゆうさんは気がついているのですから。そして、この複雑な心をどうにかしたいと、前向きに考えているのですね。とても大切な相談を頂いたと思っています。
私は、「酷いことを思う」ゆうさんを「それは悪いことだ」と裁くことはしません。むしろ、ゆうさんに尋ねたいのです。なぜなら、人間は、つねに周囲の環境に影響を受けながら生きる動物だからです。(例えば、ゆうさんが朝日を浴びた時、その朝日に向かって酷いことを思ったりしないですよね。)ゆうさんの日常生活は穏やかですか?落ち着いて生活できていますか?食事や睡眠、身近な人間関係はまずまずですか?これらをふり返り整えていくことが出来たら、大きな前進ですね。
人間の心はとても複雑なものです。思いたくない感情が知らずに湧き出てくる。懺悔しても、何度も酷いことを思ってしまう。自分のもののようで、実は自分自身ではコントロールできないもの。これが人間の心の複雑さです。恥ずかしながら、僧侶である私も「心の中で、憎い人を殺した」ことがあります。
人間の心・感情・気持ちはほぼ無意識に動き、それに伴って心の声となって浮かんできます。だから、それを浮かばないようにするのは、ほぼ不可能です。むしろ大事なことは、浮かんできた言葉と、自分の行動を切り分ける工夫をすること。さらには、感動すること、嬉しいこと、誰かの支えになること、汗をかいて体を動かすことなどを、1日一つは新たに取り入れることです。(ゲームに充てる時間を少し減らして)10代のゆうさんのエネルギーを、これまでと違う形で活用するのです。見るもの、聞くこと、感じること、関わることが変わると、自ずと心・感情・気持ちにも変化が生まれ、浮かんでくる言葉にもささやかな変化が生まれてくると思います。
「諸行無常」という言葉が示すように、ゆうさん自身が新たな変化を取り入れて、そこから生まれる前向きな変化を楽しみながら生きて欲しいと思います。お日さまが毎日変わらずゆうさんを照らしているように、仏さまが導いていてくださいます。(hasunohaに出会えたのが、その証の一つです。)
これからも、ハスノハ一同応援しています。
脳に入力と出力があっただけ
今まで生きてきた中で、さまざまな言葉が知識として脳に記録されており、なんらかの刺激に反応してそれらの言葉が出力されてしまうのは、脳という臓器の自然な反応だと思います。
たとえば、くすぐったい刺激が皮膚に入力されれば、面白くない場面でも笑ってしまいます。
それを不謹慎だと憎む必要はありません。
単に、入力に対して出力があっただけです。
ですから、反射的に出力される言葉やイメージは肉体の自然現象だと思って、あまり罪悪感を持たないようにしましょう。
自分を責めるのもストレスになりますから、気にしなくて良いと思って自分で自分を許してあげましょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
確かに最近は、規則正しい生活はしていませんでした。
外にもあまり出ずに引きこもっています。
明日からは、少し運動をしてみようかと思います。
自分のエネルギーを他の事で活用する事を心がけていこうと思います。
ありがとうございました!
ご回答ありがとうございます。
なるほど、肉体の自然現象なのですね。
毎回思う度に罪悪感がありましたが、今度から罪悪感は持たないようにします。
ありがとうございました!