こんな私でも生きてていいんでしょうか?
生きるのに疲れました。
いつも周囲と自分を比べてばかりで
うちはうち、よそはよそ
の考え方が出来ない人生でした。
思えば、靴紐を結べたのは中学生になってからでした。
また、他人の手を煩わせなければ生きていけない
学生時代でした。
もうこの時に、自分は人とは違うと気づくべきでした。
見栄を張って、普通の人間の輪の中に入ろうとしては
馴染めず、気づけば置いて行かれました。
同期は出世し、後から入ってきた従業員は
今や重大な仕事を任せられる様になり、
逃げる様に同年代の若者たちに目をやると
何か資格を持っていたり、立派な夢を持っていたり
はたまた、家庭を持って幸せに生きていたり。
全て私にはできないし、無いもので
自分は何の価値も、取り柄もない、
空っぽな人間なんだと思う様になりました。
稚拙な文章を長々と申し訳ありませんでした。
こんなクズでも生きていていいのでしょうか?
いっそ人生を終わらせた方が良いのでしょうか?
年齢→世間的に言われている若者像とかけ離れている 職業→旅行関係のサービス業 部署を転々と異動する無能 家族構成→両親、祖父母共に健在 兄がいるが行方不明 良くも悪くも昭和のステレオタイプの家庭 疾患→親の遺伝+自制心がないため糖尿病に 発達障害(自己判断のため未確定) 性格→よく年齢の割に落ち着いてると言われる でもそれは見かけだけで、とても子供っぽい わがままで自己中心的 人と話せない、会話がまとまらない
・幸せに生きている人々が憎い ・十分幸せなはずなのにさらなる幸福を 求めてしまう ・自分の悪い所が分かっているはずなのに 直そうとしない、そういった努力が出来ない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
道はあなたが選んでいけばいい。価値は、自分が付けていくもの
プロフィールも読ませてもらいました。
いろんなことが思うようにいかず、周りから置いていかれたように感じて、いつも生きづらさを抱いてきたのではないですか。
靴紐… うちの子もそうよ。蝶々結びができなくてね…
なんとか結んで、学校に行く姿が、可愛くて仕方がなかったわ。結んであげたり、親が手を貸すことは簡単だけれど、それでも自分でやりたい!を大切に見守ってきました。
周りが出来ていることが、価値あることとは限らない。それは、その人が歩いている道であって、あなたの道はあなたが選んでいけばいいのよ。価値は、自分が付けていくものだからね。
好きなもの、やりたいことが、なければ、まだ見つかっていないだけ。
周りの人の幸せは、あなたがそのように見えているだけで、本人たちの幸せとは限らないわ。
自分の「できない」ことにばかりを悔やむよりも、「できる」ことを見つけていきませんか。
靴紐が上手く結べなくても、足に合う靴があるように、周りと同じように出来なくても、あなたが生きたい世界を探していきましょう。
どれだけの世界を見てきたの?
どれだけの人と出会ってきたの?
どれだけのことをしてきたの?
周りと比べるから、あなたが生きたい世界が狭まるのよ。
世の中には、いろんな価値観の人がいます。
あなたの周りの人の幸せ以外に、尊い価値を持っている人もいます。そんな世界を見たいと思いませんか。
見ずに、人生を終わらせるなんて、もったいないわ。
あなたのやりたいこと、できることを、見つけていきましょう。一緒に生きていきましょう。そして、あなたの話や気持ちを聞かせてほしいわ。
生きていていいのです
せみのぬけがらさん、ご質問ありがとうございます。
生まれたこと自体が意味があることと思います。
あなた自身もお気づきになっているようですが、人は他と比べて自分の価値を測ってしまいますが、比べることは価値を決めるものとは違うような気がします。
比べることだけでは、
その人の持っている素晴らしさはわからない。
人と比べることを少し休んで、自分の価値を見ていきませんか?