生徒と向き合うことに疲れた(教師の仕事)回答受付中
4年ぶりにサイトに訪れました。
ここに来て、書くことで気持ちも整理されていくので、聞いてもらいたく、そして勇気づけしてもらいたく投稿します。
40代シングルマザーです。前回までは夫婦の再構築に悩み、ようやく離婚しました。
あれから転職し、資格を生かし教壇にたっています。今の教育現場は非常に忙しく、授業の準備以上にやることが多すぎて毎日必死にくらいついてます。
私の悩みは授業妨害されるクラスがあることです。専門教科を教えているため、クラス担任ではありませんが全ての学年の授業を担当してます。
生徒たちに魅力ある授業をしたいと思い、休日も教材研究をしています。にも関わらず、ごく一部でふざけたり、授業中にも関わらず友だち同士言い合いを始めたり、それを注意している間に待っている側の他の生徒もざわつき、自由な振る舞いになります。叱っていても、なぜ自分が悪いの?という反応をし、叱られてない生徒のなかにもその反応をニヤニヤと楽しむような人もいます。
この態度や表情に非常に疲れます。他のクラスでは起きないようなことが、荒れたクラスでは起き、担任に相談しても担任も手を焼いていて、大変苦労されているので私の授業中も解決とはなりません。好き勝手な振る舞いにほとほと疲れ、注意している間に他の生徒も騒がくなり、好き勝手なわがまま放題を言う生徒までいます。
自分の授業研究や生徒と向き合うことで何か変わるかもしれないと思って踏ん張りましたが、最近ほとほと疲れ、出来ない自分に失望し、悔しさや泣きたい気持ちになります。学校は休まず生活のためにも頑張っていますが辛いです。
帰ってきた時に幼い子供が私に遊ぼうと来てくれるのが癒しです。が、気持ちに余裕がなく、落ち込んでいるときは遊びに付き合えず、家事や保育園の準備で追われます。本来なら我が子に1番関わりたいのに、ストレスからか余裕をなくし、その関わり方にも落ち込んだりします。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
表現系の科目ですか?
こんにちは。せっかく先生がさまざま準備しているのに、それを受け取らずに授業時間を終えてしまうので、とても残念ですね。苦慮されているご様子、私も教育に関わる立場もありますので、共感いたします。
さて、科目が分からないのですが、「専科」ということは音楽や美術など、表現系の科目でしょうか?であれば、「生徒たちが発言する」ことをベースとした授業を考えられてはいかがでしょうか・
どのみち、文科省も「自己表現できるように・対話をするように」とはお達しがあるはずです。「何を先生が伝えたか」よりも「何を生徒が考え、発表したか」を軸にする、というわけです。
あとは、グループ活動も相性が良いように思います。「自分にも目が向けられている」という意識は、きっと子どもたちの行動にも影響を及ぼすと思います。
もちろん、これら文科省の方針はよくご存知だと思います。しかし文中からは、そういった授業を試されているかも読み取れません。なので釈迦に説法かも、と思いつつ、書かせていただきました。
お子さんも、何歳かはわかりませんが、「あなたの1日に起きた、楽しかったことを、お母さんも知りたいな」という「表現を促す」方向で接してみてはいかがでしょうか・子供の願いは「聞いて聞いて」であることは万来共通です。「すごいわね・なるほどね・面白いね」という言葉で関心をしめしてあげると、子どもも安心して表現できるかもしれません。
いずれにせよ、人を育てるというのは人間にとって非常に重要なこと。ぜひ「AIにはできそうもない」ことにチャレンジし、楽しんでいただきたいと思います。
追記
「お礼」欄の書き込み、ありがとうございました。すでに「対話型音楽鑑賞」なども調べられているかと存じます。
ただ…まず「クラスの雰囲気を作る。主導権を握る」ためには、「面白かった」と言わせたいところですね。中学生だと…小学校の卒業式で歌ったものについて、「ここが好きだ」「ここが盛り上がる」などを題材にしてみるのは如何でしょう。あるいは高校生向きだけれど「正解」とか。合唱コンクールがあるなら、「この辺りがゾクゾクするよね」とか感覚表現と歌詞・音楽要素を結びつけるとか。子ども達について「ふうん、そんな風に感じるんだね」と、コチラが理解を示すと、喜ぶかも知れません…。
先生へ
荒れた生徒たちに馬鹿にされつつ、教壇に立ち続けるのは辛いことですね。
どうしたらいいんでしょう。しかし、きっと貴女のことを大切に思っている生徒が
必ず何人かはいますよ。辛くても、生徒のために頑張っている姿を堅持してください。いつか、きっと貴女の両手を握りしめて、ありがとうと言う生徒が現れます。
その時に、教師に向いていない自分が、やっと教師になれたんだと思われることでしょう。そして、その時に流れる涙が、きっと貴女自身を癒してくれますよ。
辛くても立ち向かい続ける姿ほど美しいものはありません。その姿が生徒に本当ことを伝えてくれますよ。素敵な先生になってくださいね。頑張れ!
元教員の僧侶より
しっかりと注意し改めさせましょう
拝読させて頂きました。
あなたが一所懸命に生徒達への授業を行うことに取り組んでいるのに、生徒の中にはふざけていたり笑っていたり妨害する者達がいるのですね。そのような者達の態度や行いにあなたはとても失望して辛い思いをなさっているのですね。あなたの心身がとても疲れ果てて限界まで達しておられるのですね。詳細なあなたや学校のことはわからないですけれど、あなたのその辛い思いを心よりお察しします。
やはりそのような愚か者達の態度や言動は大変問題があります。周りの生徒達に学ぶ機会を失わせると共に熱心に指導して下さるあなたや先生達に対して大変迷惑であり失礼な行いです。
しっかりと学校として厳正な態度を示していかに迷惑行為しているか、いかに他者を傷つけて被害を与えているか、いかに悪行をしているかを指導する必要があると思います。具体的にどの様に伝えるか或いは対応するかは様々な方法があると思います。
いずれにせよ校長先生をはじめ責任者がどのような姿勢で対応していくかは判断して頂いて実行していくことが必要かと思います。
しっかりと注意して改めていくことがその子達の為でもありますからね。
学校として適切な指導をなさっていきましょう。
そのような愚かな行いをなす生徒達にしっかりと注意し改善を促し、あなたや皆さんが安心して授業を行うことできますように、生徒達があなたの指導をしっかりと受けながら健やかに学び成長なさっていきますように、あなたが毎日を心から豊かに充実して生きることできます様に切に祈っております。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
荒れる教室で心を守る
ご投稿を拝読し、胸が締めつけられる思いがいたしました。教育現場の荒れは、授業者一人に背負いきれるものではありません。それでも必死に準備を重ね、子どもたちの成長を願って教壇に立ち続けるお姿は、すでに深い慈悲の実践そのものです。
1. 「心を削られる瞬間」をどう受けとめるか
仏教には「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という言葉があります。苦しみや悩みがそのまま悟りへの入口になる、という教えです。授業中の妨害や嘲笑は、まさに心を削られるような体験でしょう。しかし、その時に湧き上がる怒りや悲しみを否定する必要はありません。
「私は今、悔しい」「私は今、疲れている」と、ただそのまま認める。これが心を守る第一歩となります。
2. 教師としての「自力」と仏の「他力」
ご自身の授業研究や努力は尊いものです。しかし荒れたクラスの背景には、家庭環境や仲間関係など、先生一人では解決できない要因もあります。
仏教では「自力」と「他力」の両方を大切にします。自力でできること(教材研究や一人ひとりへの声かけ)をしつつ、他力(同僚・管理職・専門機関の協力)を仰ぐことは決して弱さではありません。それは「共に生きる」という仏教の実践でもあります。
3. 我が子との時間を「修行」として受けとめる
お子さんとの時間に余裕をもてないことを責めておられましたね。しかし、疲れていて遊びに十分付き合えなくても、「ごめんね、今日は少しだけね」と伝えること自体が立派な愛情表現です。
真言宗では「日常が道場」といいます。家事も育児も、完璧にこなす必要はなく、どんな小さな関わりも尊い修行なのです。
4. どうかご自身を労わってください
僧侶として強く申し上げたいのは、「できない自分」を責める必要はないということです。あなたはすでに十分、教育者としても母としても果たしておられます。
大日如来の教えは「あなたの存在そのものが光である」ということ。どうか今の苦しみの中にいても、自分の価値を疑わずにいてください。
結び
授業の荒れはすぐに収まるものではありません。けれど、あなたの姿勢は必ず周囲の誰かの心に届いています。どうか孤独に背負い込まず、同僚や支援機関に寄り添っていただきながら、日々を歩んでください。
そして何より、ご自身の心と身体を守ることを、仏さまもきっと願っておられます。
合掌
質問者からのお礼
早速のお返事ありがとうございました。頂いたお言葉が励みになりました。
教科は中学の音楽です。アドバイス頂いたように改善できるところはやってみます。
どうもありがとうございました。
(追記)沢山のご回答、どうもありがとうございます。落ち込んだ気持ちがお言葉で励みになりました。特に具体的に教育的視点でお返事頂いたことも非常に嬉しかったです。生徒に面白いと言わせたい。正にそうです。研究も重ねながら実態に合った内容をもう1度考えます。
心も体も守りながら私を慕ってくれる生徒もいるので頑張ります。