両親の看取り
自分は父親と母を兄弟の中で唯一最後を看取りました。
どちらも病院で亡くなり、母は自分だけが看取りました。
しかし、一部では親の死に目を合うのは一番の親不孝だと聞かされました。
自分は自分の出来る範囲で父の話し相手や付き合いをし、工場の経営を引き継いで来たのだが、当時は檻からの不況で自己破産をして終う事になり、路頭に迷いながら母と二人でなんとか必死に頑張って来ましたが、ようやくって所で母も亡くなってしまい、「何のために生きたんだろう」と言う敗北感がつきまとい、何かすると「またこの壁を越えると、より深い奈落の底に落とされるんだろ」と感じていたり、「自分は神や仏のピエロだ、不幸にのたうち回る事で喜んでるんだ」と思ってしまいます。
同僚からも「穴から這い出た先でまた穴に落ちるって無いよ普通」って言われるぐらいです。
自分は幼い頃に大怪我をし、小学生の頃まで入退院し、小学生では意味がない嫌われ方をされ、友人と呼ぶ人もなく、そう言う付き合いもない、それとは真逆の生活が安定している、従姉妹、弟や妹を見ているととくにそう考えてしまいます。
そう言う事を思うと、やはり親を最後の最後まで看取った事は親不孝なのでしょうか。
優柔不断、慌てん坊
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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何度も人生を描いていく。今を生きる者同士こうして繋がりながら
死を看取るというのは、辛く悲しいものですね。私が生まれたときから、そばにいてくださった存在なのですものね。一緒に生きてきた支えでもあり、目標でもあったことでしょう。
時代や社会情勢に大きく影響を受けながらも、あなたは親の仕事を引き継がれた。どんな状況になろうとも、向き合ってこられました。それは、精一杯の親孝行であり、あなたが選んだ生き方でもあったのでしょう。自己破産という道も、引き継いだからには、終える責任も果たされた。いつか…こればかりは永遠ではないですものね。よく頑張ってこられましたね。
家族兄弟も、それぞれの選択をしてこられたのです。良い時もあれば、皆それぞれに。
私は、親の最期を看取りたい。最期まで一緒に生きたいと望んでいます。どんな最期も、しっかりと見守りたい。伝えたいこともいっぱいあるのです。不思議な縁でこうして親子になったけれど、願われたいのちを、ありがとうと伝えたいのです。
あなたと一緒に仕事ができたこと。ご両親は幸せだったでしょうね。看取るということは、負担もあったでしょうけれど、ご両親は安心して生き抜くことができたのです。親孝行ができましたね。
今は、あなたが人生を共にしてきたご両親や工場を失い、大きな喪失感でいっぱいなことと思います。それでも生きていくために、何度も人生を描いていきませんか。今の世を生きる者同士、こうして繋がりながらね。
親御さんを看取られることは親不孝ではありません
親御さんを最期まで面倒をみて看取られることは善行であって、親不孝と呼ばれるような悪行為ではありません。
お釈迦様は「生命存在は苦である」と教えられました。現実の「苦」の形には様々なものがありますが、基本的にはあらゆる生命の生き様は何一つ自分の思い通り(希望通り)いかない事の連続であるということです。余所目には順風満帆にみえても、実際には誰もがそれぞれの苦をかかえて生きています。
お釈迦様は「苦は滅することができる」とも教えられています。その方法はお金をありたけ手にするとか、邪魔な誰かを徹底的に排除する、というものではありません。正しい智恵を身につけて正しく自分自身を観察することで、自分の苦の根本の原因に気づくことであると教えられています。
ご興味があれば、菩提寺さまやご縁のあるお寺さまのお話しをうかがったり、よさそうな本をさがして読んで頂けると良いかと思います。
最高の親孝行をされましたね。
最高の親孝行をなさいましたね。
愚僧には、そのようにしか思えません。
親の死に目に会うのが親不孝などという話を耳にすることがありますが、
私はそうは思いません。
むしろ、
最後まで寄り添い、
見送り、
その後のことまで引き受けることこそ、
大きな親孝行ではないでしょうか。
あなたは、お父様の話し相手となり、お父様が残された工場まで引き継がれました。そして経営が苦しくなり、自己破産という辛い経験をしながらも、お母様と共に歩み続けた。
決して楽な人生ではなかったと思います。
だからこそ今、
「何のために生きてきたのだろう」
「また頑張っても奈落に落ちるのではないか」
そう感じてしまうのでしょう。
しかし、その苦しみを経験したからこそ分かることがあります。
人は失うことを避けられません。
親も、自分の財産も、仕事も、いつかは失います。
それでも人は誰かを支え、誰かに支えられながら生きていくのです。
愚僧も会社を経営しており、コロナ禍では倒産寸前まで追い込まれました。また両親の介護をし、二人とも見送りました。
振り返れば、人のお世話をさせていただけたことは有り難い経験だったと思っています。
経験はお金では買えません。
苦しみも悲しみも含めて、あなたの人生の財産です。
親御さんは、最後の時にそばにいてくれたあなたを見て、きっと安心されたことでしょう。
どうか胸を張ってください。
あなたは親不孝者ではありません。
最後まで親の人生に寄り添った、立派な親孝行者です。
大手を振って人生を歩んでください。
お悔やみ申し上げます。お母さんが安らかでありますように。合掌。
ところで、親の死に目に会うことは良いことですよ。親不孝の逆です。あなたは良いことをしました。親の死に目に会えず後悔している人は多いですからね。
また、親の死に目だけでなくその前からも看病や面会などされていたのでしょうから、とても良いことをしていたと思いますよ。お母さんもあの世で感謝しているんじゃないかな。
また、どんな仕事でもどこかの誰かの生活を直接あるいは間接的に支えているものです。ですから自分の仕事がどんな仕事でも人の為になっていると思って生きていくのがいいと思いますよ。今までお母さんの為にと頑張ってきた気持ちはこれからは半分は自分の為に、半分は世の人の為に振り向けるとご両親も安心すると思いますよ。
質問者からのお礼
色々ご教授ありがとうございます。
自分のした事が少なくとも親孝行になったと思い、少し心の突っかかりが解けました。
長く果てしない道をどこまで進めるかわかりません、それ程自分は強くも無いし、逃げてしまいます。
少なくとも自分は弱いと認めているから、病院の先生、近所のお婆さんやお坊さんの方々、色々なご教授を受けて今後の励みになって生きてみようと思います。



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