両親の看取り回答受付中
自分は父親と母を兄弟の中で唯一最後を看取りました。
どちらも病院で亡くなり、母は自分だけが看取りました。
しかし、一部では親の死に目を合うのは一番の親不孝だと聞かされました。
自分は自分の出来る範囲で父の話し相手や付き合いをし、工場の経営を引き継いで来たのだが、当時は檻からの不況で自己破産をして終う事になり、路頭に迷いながら母と二人でなんとか必死に頑張って来ましたが、ようやくって所で母も亡くなってしまい、「何のために生きたんだろう」と言う敗北感がつきまとい、何かすると「またこの壁を越えると、より深い奈落の底に落とされるんだろ」と感じていたり、「自分は神や仏のピエロだ、不幸にのたうち回る事で喜んでるんだ」と思ってしまいます。
同僚からも「穴から這い出た先でまた穴に落ちるって無いよ普通」って言われるぐらいです。
自分は幼い頃に大怪我をし、小学生の頃まで入退院し、小学生では意味がない嫌われ方をされ、友人と呼ぶ人もなく、そう言う付き合いもない、それとは真逆の生活が安定している、従姉妹、弟や妹を見ているととくにそう考えてしまいます。
そう言う事を思うと、やはり親を最後の最後まで看取った事は親不孝なのでしょうか。
優柔不断、慌てん坊
お坊さんからの回答 1件
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親御さんを看取られることは親不孝ではありません
親御さんを最期まで面倒をみて看取られることは善行であって、親不孝と呼ばれるような悪行為ではありません。
お釈迦様は「生命存在は苦である」と教えられました。現実の「苦」の形には様々なものがありますが、基本的にはあらゆる生命の生き様は何一つ自分の思い通り(希望通り)いかない事の連続であるということです。余所目には順風満帆にみえても、実際には誰もがそれぞれの苦をかかえて生きています。
お釈迦様は「苦は滅することができる」とも教えられています。その方法はお金をありたけ手にするとか、邪魔な誰かを徹底的に排除する、というものではありません。正しい智恵を身につけて正しく自分自身を観察することで、自分の苦の根本の原因に気づくことであると教えられています。
ご興味があれば、菩提寺さまやご縁のあるお寺さまのお話しをうかがったり、よさそうな本をさがして読んで頂けると良いかと思います。


