煩悩を捨てたくないです。回答受付中
元も子もない相談なんですが、煩悩も自分の一部だと思うので捨てたくありません。こう思ってしまうので仏教の考え方にどこかずっと納得することができず引っかかっています。
亡くなった祖母はお寺さんが好きでよく通っていて、お寺さんとの関係もしっかりできていたので、とても温かいお葬式にしていただきました。だからこそ、なんとなくで自分の葬式や宗教を仏教にするとはしたくないなと思っています。
自分の人生や性格を考えた時、欲深くて、野心や負けん気が強くて、でもだからこそなんとかなってきたなぁと思います。それがなかったら、逆境に負けていました。私の父はパチンコにはお金を出すくせに、義務教育以上は自分でという主義で、私は奨学金で高校に行き、バイトをしながら学校の定期や習い事のお金を賄っていました。でも、だからこそ自律した考え方になり、バイトで社会常識も教えてもらえました。社会に出てからも趣味にもっとお金を使いたいから仕事を頑張っていました。
そんな自分の人生を思った時に、死んで仏様になって、煩悩から解放されるというのは、自分が自分じゃなくなるようで怖いのです。欲深いまんまで極楽から子孫を見守るみたいなことはできないでしょうか。
勉強や仕事などについて野心が強い方です。また、不安を感じやすく、何か問題があると、「自分がなんとかしないと」や、「自分のせいかも」と思いやすいかもしれないです。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そのままに救いあげ、子孫を願う仏とならせる。阿弥陀仏の回向。
なるほど、煩悩という欲(願い)が、あなたをここまで奮い立たせてきたのですね。
煩悩=悪ではなく、捨てきれない湧き起こる感情(欲)のことです。ですから、人間は皆、死ぬまで捨てきれないことでしょう。そして煩悩こそが、生きる意欲・エネルギーでもあるでしょう。
ただ、その煩悩に振り回されるのも、苦しむのも、自分が抱える煩悩の仕業です。喜びや楽しみも生み出しますが、怒りや憎しみも時として起こしてしまう。このコントロール、暴走させないようにするのが難しいですよね。
仏様は、煩悩を抱える人間を責めたりしません。ただ、苦しむ私たちを、放っておけないのです。「あなたを苦しめているのも、自分ではなかったか?」と気づかせてくださり、どう生きたらいいのかを問うてくださいます。祖母さまは、そんな慈悲深いあたたかな仏様の御心を知っておられたから、お寺へ仏様に会いに参られていたのでしょう。
手を合わせる先に、煩悩を捨てられず、迷う私の道を、照らしてくださったこともありました。煩悩と上手く付き合いながら、自分の在り方を見つめる。これが私の生き方です。
あなたは、その煩悩が励みになり、支えになり、生きる力にしてこられたのですよね。仏様も安心して、見てくださっていることでしょうね。
「欲深いまんまで」本当にそうね。それこそ、私たち人間らしいわね。
そんな願い・想いを捨てられない者が人間であることも、阿弥陀さまならご承知でしょうね。そのままに、救いあげてくださり、気にかける子孫を願う仏とならせてくださることでしょう。これも阿弥陀仏の回向ですよ。
極楽浄土では自我への執着もなくなる
経典では、極楽浄土に往生したら、神通力を得られると言われています。
ですから、極楽浄土から遺族等を見守ることは可能だと思います。
しかし、極楽浄土は阿弥陀仏が造られた悟りやすい環境なので、自我への執着もなくなり、自分と他人を差別する気持ちもなくなると思われます。
怒りや悲しみがないのでそれに伴う悩み苦しみストレスもなくなるのです。
過去世(無数の輪廻転生)の記憶を思い出す神通力も得られるので、無数の家族や無数の友人、お魚だった過去や神々だった過去や地獄だった過去の全ての家族の記憶も蘇るかもしれません。
そうなったら、今の家族だけが特別だという感覚や、人間だけが仲間だという感覚も消えて、生きとし生けるもの全てが平等に思えるかもしれませんね。
それは、怖いことではなく、とても楽なことなので、極楽浄土と呼ばれるのではないでしょうか。
大事なのは煩悩を持ち過ぎないこと
お釈迦様は出家信者に対してはすべての煩悩を根絶するよう求めていますが、在家信者に対しては煩悩を減らし、抑制するよう説いています。
つまり、大事なのは煩悩を持ち過ぎないことです。
あなたがこれまでの人生で逆境を跳ね返し、勉強や仕事で頑張ってこられたのは、あなたが指摘されている通り、野心や負けん気が強かったからでしょう。
あなたが自分の人生に満足されているのなら、あなたの煩悩はちょうどよい分量なのだと思われます。
どうかこれからも適度な煩悩を持ち続ける一方、煩悩を持ち過ぎて自分や他人を不幸にすることがないよう気を付けてください。
死後についてですが、(いろんな宗派の考え方があると思いますが)お釈迦様は死んだからといって煩悩が無くなるとはいっていません。
煩悩がある限り、輪廻転生を繰り返すと明言しています。
私自身は、死んだ後に再び人として生まれ変わる方が、多くの人たちにとっては魅力的であると思うのですが、いかがでしょう。
じっくりとご検討なさって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちを読ませて頂きました。あなたが自分の煩悩や欲望を捨てたくないと思っていること読ませて頂きました。あなたのそのお気持ち心より尊重させて頂きます。
人間は生きている限り煩悩や欲望はなくなりません。この世で煩悩や欲望を捨て去るということは大変難しいです。ほぼ不可能だと私は思います。
本来的には仏教では煩悩を捨て去ることを尊いと教えています。その先に心の平安があり、成仏への道が開けていくのです。ですがそれは至難の業です。
どんなに優れた高貴なお坊さんでも煩悩を完全に捨て去ることのできる方々はなかなかいらっしゃらないのです。
あなたがなかなか煩悩を捨てる気にならないものわかります。
とはいえお亡くなりになると自分の肉体も持ち物も地位も権力も財産も全て捨てていくことになります。ですから生きていた時の状態とは全く変わってしまいます。そんな時には三大欲求は無くなってしまうでしょう。
あなたがお亡くなりになられた後からじっくりとあなた自身を省みてあなた自身にお向き合いなさってみて煩悩についてもお考えなさってみて下さいね。あわてる必要はありませんからね。
あなたがこれからの未来を心から豊かに充実した人生を生き抜いていかれますように切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
願誉浄史 様
ご回答ありがとうございます。そんなにスケールの大きな話だったのですね。煩悩や成仏というものについて断片的な理解でしかないので、間抜けな質問だったのではないかと思いますが、丁寧に教えていただきありがとうございました。怖いことではなくとても楽なことと言っていただき、安心いたしました。
Kousyo Kuuyo Azuma様
亡くなってから考えれば良いとのお答えに目から鱗が落ちました。確かにそんなにすぐに答えが出るようなら、そして簡単に煩悩を捨てられるのなら、修行する必要ないですものね。
また、生きてる間に煩悩を捨て去るのは無理と言っていただけて、普通の私なら尚更無理だと安心(?)しました。ありがとうございました。
井上大道様
煩悩との向き合い方について、あるか消すかではなく、程よく抑えるという選択肢を教えてくださりありがとうございます。人や自分が不幸にならないようにという一つの指針のようなものを教えてくださり、それを指標にしていこうと思います。この度はご回答だ ありがとうございました。
中田 三恵 様
ありがとうございます。確かにおっしゃる通り、煩悩に振り回されやすい心も救いあげてくださるのが阿弥陀仏様だから、祖母も不安な時や寂しい時の拠り所に感じたのかもしれないですね。
私が学生時代に負けん気でどうにかしたことも、それで父を憎んだり、他の恵まれた人に嫉妬したり、となると煩悩に振り回されているわけで、そのような人の心が分かるから煩悩に向き合うように促されるのでしょうね。
なんとなくで阿弥陀仏様が悟りへ導いてくださるイメージがあったのですが、なにもスパルタコーチのように思わなくても良かったのだなと思いました。ご回答ありがとうございました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート
◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )