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パワハラ

回答数回答 2
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職場の違う部門の同僚から、パワハラを受けています。

去年から朝の挨拶も無視されていたのですが、
先月の朝、二人きりの時に突然、
「お前はなぜ会社を辞めないのか!会社の皆がお前を嫌っているぞ!!」
と言ってきました。

確かに、皆に好かれているとは思いませんが、
会社を辞めて欲しい程に嫌われいるとも思われません。
(私が気付いていないかも知れませんが・・・)

こちらも頭にきたので言い返し、
「私が嫌われているなら、あなたはどうなんだ!」と聞くと、
「おれは皆に好かれている!」と回答してきました。
(本人を嫌っている人間を目の前にしての発言です)

社長と会長に相談すると「無視をしておけ」といわれました。

職場に行くのが少し憂鬱になり、今後が心配です。
どうしたら良いのでしょうか?教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仕事ができればいいのですよ

会社員ですからね。
嫌われているか好かれているかよりも、仕事ができるかできないかが大切です。
仕事ができるかどうかとは、会社の利益に貢献しているかどうかです。
同僚の事はかわいそうな奴だと思って、あなたはしっかり自分の仕事を務めたらいいのですよ。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

職場を蹴落し合いとして観ている人間もいる

会社によっては職場は戦場です。
同僚といっても敵とみている人間もいます。
そういう精神状態を修羅界と言います。
我々坊さんの世界にもそういう人はいます。
私はそういう人間に出逢った時どうしているかというと「相手にしない」様にしています。
敵の発生はあなたがその人を心の中で問題にし始めた時から敵が発生します。
いくら凶悪な人間がこちらを嫌っていても、あなた次第、ということです。
お釈迦様だってお釈迦様を嫌う人はいました。
覚者には、相手がありません。
相手といってもおのれの様子ですから、自分がその者を心の中で取り扱っている「自分の」ありようなのです。
何故ならリアルタイムの相手はすでに、あなたの思っていることと別行動をしているからです。あなたがあなたの中で私に「みんながオレを嫌っているといってきたア・イ・ツ」は、もはやあなたの中の記憶でしかありません。ニセモノだということです。
だから相手の言葉の術中にハマってはいけません。
仮にもしあなたが「み・ん・な」から嫌われているというのなら、誰と誰と誰から何時から、何故、どういう経緯で、どのように、嫌われているのかを明確にするべきでしょう。そして、それをその人から聞いてみてください。
多分それは違う答が出てくるはずです。厳密には彼があなたを嫌っている、蹴落そうとしているということが見えてくるのではないでしょうか。
いくらお前がオレを嫌っても、オレはお前の敵ではない、という姿勢を強く持つことです。
また、実際に嫌われていることがあるならば、それはそれで、誠意をもって今日から善意で相手に接することです。あなたの言う通り、あなたが彼を嫌っているのに「オレはみんなから好かれている」という言葉にも嘘があります。言葉は全て真実ではありません。彼はウソを言う人間でしょうから、嘘の言葉には耳を傾ける必要はありません。本当のことは情報ではありません。本当のことは今、目の前で起きていることだけです。嫌われても好かれるように勤めればいいのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
仕事内容でしっかり結果が出るように頑張っていきます。
楽になりました。
どうもありがとうございました。

丹下覚元様、ご回答ありがとうございます。
私も「相手にしない」ようにしていきます。
相手からの攻撃の中で「お前は嫌われてるから、こんな掃き溜めにいるのだ!」と言われてショックでした。給料をもらっている会社と、一緒に仕事をしている同僚皆を見下していると思えて…悲しかったです。
これからは、相手されなくても普通に挨拶などはしていこうと思います。
ありがとうございました。

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