hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人はみんな平等ではない……。

回答数回答 4
有り難し有り難し 150

どんなに頑張っても報われない人っているんですよね……。
全然よくならない人生が嫌になります。

周りを見れば幸せな人ばかりが目に付きます。

私だって幸せな生活が送りたいです。
お金持ちでなくてもいい。
毎日が穏やかに、家族みんなが仲良く、健康に暮らせるだけで幸せなのに。
そんな幸せさえ、私には与えてくれない。
色々な問題や辛いことばかりが押し寄せてきます。
涙が止まらない、毎日がどうやってモチベーションを上げたらいいのか分からない……。

よく、「みんな平等。」と言いますが、私にはそうは思えなくなってしまいました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そう、人間平等などではありません。

金持ちがいれば貧乏人もいる。
健康な人もいれば生まれ持った病に苦しむ人がいる。
美形がいれば醜形もいる。

佛とちがい、我々凡眼には確かに娑婆世界は到底平等には映りません。

しかし私たちには理想を目指すことは出来ます。他人と比べて幸せかどうかではなく自分が「この辺りで十分だ。」と思える理想です。

私が30代の頃、当たり前の家庭から見ればどん底でした。
その頃は私も質問者様と同じ事を願ったものです。

「特別幸せじゃなくてもいい、帰る家があって仕事があって飯が食っていけたら・・・」と。

ドラミカさんは健康には問題はありませんか?
遠くのゴールを見ると気持ちが萎えます。
少し努力すれば手が届く目の前の目標を少しずつでいいので乗り越えていきましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普...
このお坊さんを応援する

仏教における平等について

ドラミカ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「隣の芝生は青い」ように見えるだけで、「幸せ」そうに見えてはいるものの、実際、まあほとんどの人たちは、何らか問題、悩み、迷い、憂いなどを抱えているのではないだろうかとは思います。

世間で、政治的に使われているような「平等」という言葉は、ある意味で不満を抑えさせて、納得させるためのプロパガンダ的なものであると思って下さい。

ちなみに仏教で言うところの「平等」と申しますと、少し難しいことになりますが、例えば、全てのモノ・コトというものは、必ず因縁(原因と条件)によって成り立っているという意味では、それで平等になります。つまり、何らかの因や縁など他に依存せずに成り立っているものは見当たらないということでございます。他に依存して成り立っているということを「縁起」(えんぎ)と言います。

また、全てのモノ・コトは、何らとして独立自存にて実体として成り立っているものがないという意味でも平等となります。「空」(くう)ということであります。

とにかく、因縁によって成り立っているということにおいては、皆、同じであって、その因縁次第において色々と変わっていくということでもあります。

それは、ドラミカ様も、より善い因縁を調えていくことができれば、善い結果も望めるものであるということでございます。

幸せは、昼間の星のようなものです。普段はあまり分からないのですが、問題や辛いこと、苦しいことがあった時(暗闇)においてこそ、やっと幸せ(星)も分かるものとなります。

穏やかで、家族が仲良く、健康に暮らせること、それがドラミカ様の幸せという星のようですね。

目指すべき幸せが分かったのであれば、そこへ向けてしっかりと善き因縁を調えていくことに取り組むことで、やがてその幸せへと至りたいところとなります。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

平等は他人から決められること

ドラミカさん、初めまして。前回の質問も拝見させて頂きました。
いつまでたっても苦労が報わないと、辛く思う気持ちで苦しいですよね。
今回の平等について…人生は不平等であると多くの人が分かって生活しているのだと思います。
みんなが平等を求めると、社会は成り立ちません。
例えば、震災などで行われる配給。
食べ物を届ける側は「一人につきパンと水を一つずつ」と考えたとします。誰がどうみても「等しく平ら(差別のない)」な配給。
しかし、頂く側には様々な思いがあります。
「少食だからこんなにいらない」「育ち盛りなんだからもっとくれてもいいのに」「飲料水以外にも使いたいからパンより水がほしい」等々。
届ける側が、その希望に付き合っていたら「誰かの我が儘のせいでもらえなかった」「平等に配ることもできないのか」となる。
用意された状況で満足する人と満足しない人がいる。
今ある人生を「私はこんな人生いらない」と思うか思わないかは、今の人生の捉え方次第です。
ドラミカさんの状況を羨ましく思う人もいるんです。
ドラミカさんにしか歩めない人生です。
その人生を「どうして私だけが」と生きるか、「私は学びが多く、思いやりを人より多く学べた」と糧にするかで、景色が変わってくると思いますよ。
ドラミカさんと私の人生を交換出来たとしても、「どうして私だけ」と思うはずです。
だって、私の人生も不公平で辛くて悲しいから。
辛さと悲しさを知っているから「私の人生の当たり前」で満足出来て、たまの幸せ(些細なことです)を有難い(あることが難しい)と思えるのです。
平等とは人が決めるもの。
それを比べるのには他人が必要です。
自分の人生を比べられるのは自分だけ。
私と人は違うのですから、人生を比べることはできませんよ。
誰の人生にも楽があり苦があります。価値観やキャパで感じる沸点は違いますが、その点で言えば人生は平等とはだと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

普通のOLから、結婚をきっかけに仏教に興味を抱きお坊さんになりました。 ...
このお坊さんを応援する

自分の花を咲かせましょう!。

人間は心の広さだけ平等なんですそして、そこに人間の救いがあるのです。それを説くのが宗教の役割です。上を見てもて限がない下を見ても限がない。また、理不尽なことの連続の中を私達は生きているのです。庭園の手入れの行き届いたバラにはなれないかもしれません。道端のタンポポやアスファルトの割れ目の名もなき雑草でいいじゃないですか。時にそれらは、世の人々に勇気を与え、安らぎを与えるのではないですか。自分の置かれているところで自分の花を咲かせたらいいのではないのでしょうか。人に振り回されず、心豊かに自分の道を歩いてください。そこに平等不平等を超えた命が輝き出します。

{{count}}
有り難し
おきもち

青年の自立支援(生活改善・病後の静養・引きこもり等)
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

渡部仁海様
お返事ありがとうございます。
私は私。大きな幸せでなくて、目の前の小さいかもしれないけど、私にとっての幸せ……。
しっかりと見つめて行きたいと思います。
私にしか出来ないことも、きっとあるはずですよね。

川口英俊様
お返事ありがとうございます。
普段見えていない小さい幸せに目を向けて、私の、私なりの幸せを見つけて行きたいと思います。苦しみ辛さが大きい程、成長出来るようになりたいです。

渡部仁海様
お返事ありがとうございます。
私は私。大きな幸せでなくて、目の前の小さいかもしれないけど、私にとっての幸せ……。
しっかりと見つめて行きたいと思います。
私にしか出来ないことも、きっとあるはずですよね。

川口英俊様
お返事ありがとうございます。
普段見えていない小さい幸せに目を向けて、私の、私なりの幸せを見つけて行きたいと思います。苦しみ辛さが大きい程、成長出来るようになりたいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ