寝る前に毎回死ぬことを考えてしまいます
ご閲覧ありがとうございます。
数年前くらいから、寝る前に毎回死ぬことを考えてしまい、自分の存在が消えて無くなるのに怖くなります。日中考えることもあるのですが、夜ほど怖くなりません。
家族に相談したらそんなもんだよ、と言われて、その時はそんなものかと捉えるのですが、夜寝る前に死ぬことをまじまじと想像すると、怖くなります。
死ぬことを考えるのは生きる意味や人生を考える上で大切だという考え方には賛同しますが、死ぬのは怖いです。まあ、そのおかげで今は一生しかない人生を自分のやりたいように、生きていけているのですが…。
どうしたら死を受け入れられますか?ちなみに、私は職業や性格柄、今まで自分の世界に没頭し続けて来たせいか、宗教に無頓着です。最近は宗教に興味が出てき、宗教の教えを知ることで死ぬことを克服できるのかな…とも思いますが、どうでしょうか…。
ご回答よろしくお願いいたします。
・他人の成功に嫉妬してしまうことがある ・傷つきやすい ・過去の嫌な思い出を思い出す
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死後へ向けて、今なすべきことは・・
クリスピー様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「死」への恐怖・不安についてのお悩み・・
クリスピー様は、死んでしまうと、自分の存在が消えて無くなるとして、「虚無」・「絶無」であるとして悲観されておられるところがあるのではないかと存じます。
私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)が、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後において、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、実は、肉体的な機能に左右されない微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると仏教では考えることになります。
そして、その微細なる意識としての心相続、心の連続体において、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、これから先へ向けても引き継がれていくことになります。
ですので、何もかもが消えて無くなるというわけではありません。
但し、その死後における心相続、心の連続体の赴きにおいては、己自身の行い(業・カルマ)によって、おおよそその行き先が決まっていくことになります。
ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い行き先へと向かえるように調えて参りたいものでございます。
できれば、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かうための善き業・カルマをしっかりと調えることで、この迷い苦しみの輪廻を解脱して、悟り・涅槃へと至ることを目指すことが、仏教において大切となります。
できましたらこれを機会に、仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。仏教の教えの死生観の一部が分かり、大変参考になりました。
確かに私は自分の存在が消え去ってしまうことに恐怖していたようです…。死んでしまったら、自分の存在全てが無くなってしまうと思っていました。しかし、この肉体が無くなったその後も、残るものがあると知って希望を持てました。
今回の教えで仏教に興味が出たので、まずは自分の出来る範囲で学んで行きたいと思います。
残りの人生、なるべく多くの善徳を積めるよう励みたいと思います。