私が亡くなった後。
私は死に対して恐怖を感じてます。
自分が死んだ後どうなるのか魂はとか
色々考えてしまいます。
死後の世界はあるなんて、みなさん言いますが、私にはそれが分かりません。
死に対しての恐怖を取り除く事は
出来るのでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
逆に質問をさせていただきます
はじめまして
昨日定例で開催している
「いのちを感じる会」にて
まさしくそんな話になりました
人はなぜ死に恐怖を感じるのか
どこかこころに蓋をしてしまうのなぜなのか
それぞれ参加者といろいろな考えをシェアしてきました
死んでから残念ながら帰ってきたという人はいません
わからないもの、知らない世界については
不安はつきないものでしょう
ならば逆に質問させていただきますが
「どうであったら死に対して怖くないですか。
幸せと感じられると思いますか」
「死んだ後、あなたの魂はどうなってほしいですか」
そこに答えがあるのではないですか
合掌
死後について
きらら様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「死」への恐怖・不安を無くすためには、真理を悟る必要がございます。
その真理も世俗的な真理ではなく、「勝義諦」(しょうぎたい)という仏教の考える最高の究極的な真理でございます。
まさに、それこそ、「不死」の境地とか、あるいは般若心経にも出て参ります「不生不滅」の境地などと表現することもあります。
その境地に至ることによって、恐怖や不安などの煩悩、あるいは煩悩の親玉である「無明」(むみょう)としての根本的な愚かさも無くすことができるようになります。
「勝義諦」の了解へ向けて、しっかりと仏道を歩んで参りたいものでございます。
とにかく、我々の言う普通の「死」とは何かと申しますと、「肉体の死」、つまり、今の持っている肉体が、今あるように機能しなくなるということであります。
全てのモノ・コトは因縁(原因と条件)で成り立っているため、今の肉体も色々な原因や条件によって成り立っている次第ですが、やがて、因縁次第において、機能しなくなる、崩壊してしまうものにはなります。
ただ、問題はそれで何もかもが無くなって、「虚無」・「絶無」となってしまうのか、と申しますと、仏教ではそのようには考えません。
肉体に左右されない微細なる意識としての心の連続体、心相続を扱うこととなります。
その微細なる意識としての心の連続体、心相続において、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、引き継がれていくことになります。
そのため、その業・カルマによる結果として、今はまだ輪廻に迷い苦しむことになってしまっているため、できるだけ、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かう善き業・カルマをしっかりと調えていくことで、輪廻を解脱して、不死の境地、不生不滅の境地、悟り・涅槃へと至れるように仏道を歩んで参りたいものでございます。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
少し楽になった気がします。
ありがとうございました。