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生きていくのが怖いです

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はじめて質問します。
ここ数年相次いで祖父母を亡くし、いろいろと考えてしまいます。私は生まれた頃から3人の祖父母がおりました(父方の祖父は生まれる前に亡くなっています)。ところが、ここ2、3年で次々と亡くなり、亡くなった当初は仕方のないことだと思っていたのですが、亡くなってしばらくたった最近になって、祖父母に会いたいと思ってしまいます。そして、これから先両親や叔父叔母、周りの人達と別れていかなければならないということがとても怖いです。避けられないことだとわかっていても、考えるだけで泣きそうになります。こんな調子でこれから先、生きていけるのか不安です。どうしようもない悩みですが、お坊さんの意見を聞きたいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

皆怖いんです

一緒ですね、実は私も怖いんです。
父、母、友人、皆死んでしまい、自分も死に、何もなくなってしまうと思うと怖いですよね。

少し怖さを軽減する方法があります。
それは、皆同じ怖さをもちながら生きていることを知ることです。

リンゴさんのおじいさまもおばあさまも、同じく怖かったことでしょう。
自分がなくなること、もう会えなくなることが怖かったでしょう。

これは人間すべからく怖いと思うんでしょうね。昔も今も。
死は怖いんです。

ですが、皆、その怖さと対峙しながら生きています。必ず来る終わりがありながらも。人間にはそれだけの力があるんですね。

だから、今生きていることをとてつもなく尊く感じ、今あるご縁を大切にするんですよね。そうやって、ずっと生は繰り返されて来たんですよね。

そうすると、死だけでなく生を
見つめられるかもしれません。

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天台宗 高龍山明王院普賢寺 住職。 一般大学、アメリカ留学、一般企業を経る 比叡山延暦寺にて修行。 生きている人のための仏教を支援する会社、結縁企画を創業。 好きな言葉「怨みを以って怨みに報ずれば怨み止まず、徳を以って怨みに報ずれば怨み、即ち尽く 伝教大師」 夢は「和の仏教を世界に発信する国際的な僧侶」

ドラえもんと仏教

これは幼少期に読んだドラえもんの最終話です。
ドラえもんはコミックでは早いうちに最終回を迎える事になったそうですが、人気が出たために継続しています。作者の死後も継続しています。活かす人がいるから生き続けるのです。

さて、その最終話の内容。
ドラえもんはいつかあの世という名の22世紀に帰る日が来ます。
これは愛する身内がいつかは死んでしまうということでしょう。
ドラえもんは最後にのび太君にそれを飲めばどんな困難にも打ち克つ薬を残していきます。
ところがのび太君はそれを飲みませんでした。
夜中にジャイアン(苦しみ)に出くわして、ひどい目にあわされます。
「ボクがここで負けたら、ドラえもんが安心して未来に帰れないんだ」と泣きながらもジャイアンと自分に打ち克ちました。
ここでドラえもんが残してくれた最後の道具とは何かと言えば、クスリでも便利な道具でもなく、自分一人でも大丈夫な力、自分一人でも生きていける強さであると言えます。
それが仏教です。
仏教とは「自分一人でも生きていける力 強さ」です。
その教えがすでに残されています。
しっかり学んで、自分自身の心を強くして、多くの人を助けてあげてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「生も死もない」世界へと向けて

リンゴ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

愛する者と別れていかなければならない苦しみ・・「愛別離苦」と申しますが、愛する者との別れは誠につらく悲しいことでございます・・

「愛別離苦」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319854.html

やはり皆、同じように悲しみやつらさをお持ちでございます・・

また、愛別離苦だけてなく、どうしてこうも苦しみの多い世界を生きていかなければならないのか・・不安に思うのも当然のことでございます。

まだお若いですので、あまり難しいことは遠慮すべきでしょうが、実は、仏教では「生も死もない」世界が説かれることとなります。その教えは般若心経にもございます「不生不滅」ということとなりますが、これからもしも仏教を深く学ばれていかれるようでしたら、その意味が少しずつなりともお分かり頂けることになっていくかとは存じます。

「不生不滅」に関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/不生不滅

やはり、曖昧とせずに、どうしても生死に対しての不安や恐怖を克服なさられたいとなりましたら、是非、この不生不死、不生不滅の世界について学ばれることを目指されてみて下さいませ。きっと、その真意を理解できた時には、お抱えの不安や恐怖は消え去ってしまうことになるでしょう。

かくいう拙生もまだまだ十分に理解しているとは言えませんが・・とにかく一歩一歩でございます。共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
私自身初めての身内の死に少し動揺していたのかもしれません。
これからは今生きている両親や周りの人達、そして自分自身を大切に生きていこうと思います。

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