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生きることが辛い

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辛いことがあり落ち込んでいます。

友人は励ましてくれ、よく話も聞いてくれていました。
しかし、最近はその友人の言葉さえ信じられなくなってしまいました。
その時に、ここまでしてくれる友人でさえ疑ってしまうなんて、自分は壊れてしまったんだと思いました。

時間が経てば落ち着くとか、辛い気持ちを受け入れようとか、それは分かっています。
しかし、今が辛くてたえられません。
こんな辛い思いをしながら日々過ごしていくぐらいなら、またこの先辛いことがあるかもしれないなら、いっそ死んでしまってもいいと思います。

自分は弱い人間なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは友人の話を聞いてみましたか?

 基本的に人は弱い生き物です。まずはあなた一人ではないことを基本とします。
 あなたが辛いのはこの内容では何が辛いのか分かりません。だから、はっきりしたことは回答できません。この質問は勘弁してください。でも聞いている友人が一番辛いかもしれませんな。風邪を人に移せば風邪が治るという気持ちで友人に一方的に話をしていませんか?あなたの友人は今、あなたの悩みの風邪に罹り、疲弊しております。今こそ、友人の悩みを聞けるのはあなただけです。友人はあなたのアドバイスを待っておりますよ。
 因みにあなたは弱いか強いかで行くと、結構年齢的なことを考慮しても一般的な感覚をお持ちでしょうね。気にしないでこのまま人生を送ってください。参考になりましたか?
 あなたの悩みがもし、金銭トラブルならこの回答はすべて打ち消されますので悪しからず・・・。

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おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

何を問うかで救われ先も変わる

弱い人間あるかどうかを問う必要はありません。
もっと具体性を帯びた問いを持つべきです。
あなたは今、傷ついている。暗い気持ちになっている。
悲しいのかもしれません。それが、まず、今の真実です。
そして、問うべきことは「何故私は傷ついているのか」「誰との衝突によって傷ついているのか」「誰に何をされたことによって苦しんでいるのか」
その答えはすぐに出るはずです。
そして、それは何によって解消されるかを問うべきです。
あなたはアナタを生きればいいのです。
あなたの人生はあなたしか軌道修正や方向転換できません。
苦しみから救われたいとの願いを心底持つべきです。
それを願いもせず、漫然と、いたずらに過ごしていても、解決も、進歩も、向上も無いと思います。
あなたに一番優しくできるのもアナタです。
これ以上自分いじめは控えて、自分がどうなりたいのかを真剣に問うことをお勧めします。
またのご質問をお待ちしております。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「無財の七施」

けまり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる中で辛いことはもちろん何かしらあります。拙生も色々と辛い思いをこれまでも経験して参りました。けまり様だけではなく、皆、誰もが大小少なからずに辛い思いをされたことがあるのではないかと存じます。そして、拙生もそうですが、皆、同じようにまたこれからも色々と辛いことがあるのではないかと不安になり、怯えることもあるのではないかと存じます。けまり様だけでなく、そんな中で皆、日々をそれとなくに過ごしています。

しかし、辛いことというのは、突然に理由もなしで起きるものではありません。辛いと思うことに向けたそれまでの原因や条件が必ずあるはずです。

その原因や条件が変わると、あるいは努力してより善くに変えられると、辛いことでも、楽しいこと、嬉しいことになることだって十分にあり得るはずでございます。

例えば、辛いの「辛」という漢字の立の上の傍線に一を足すと「幸」、幸せになります。

何か日々に「一」をプラスすることで、少しずつでもきっと変わっていくこともあるのではないかとは存じます。

その「一」が例えば、笑顔でも、丁寧な言葉遣いとかでも良いでしょう。

仏教ではお金が無くてもできる善い行いとして「無財の七施」がございます。以下に挙げさせて頂きますので、是非参考にして下さいませ。

眼施(慈眼施)・・慈しみをもって優しいまなざしで接すること。

和顔悦色施(和顔施)・・和やかな笑顔・にこやかな笑顔で接すること。

言辞施(愛語施)・・優しい言葉で接すること。叱咤激励の厳しい愛の言葉も。

身施(捨身施)・・身体を使ってできるお手伝い・奉仕を自ら進んですること。

心施(心慮施)・・相手の心を思い遣ってTPOに合わせて接すること。

床座施(壮座施)・・高齢者や妊婦さん、病人などに席や場所を譲ること。分かち合う・譲り合うこと。

房舎施・・自分の住居を提供して、おもてなしすること。

できることからで構いませんので善い「一」をプラスしていってみて下さいませ。きっと変わっていくのではないかと存じます。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。

みなさまの仰る通り、辛い日々から逃げることだけを考えていたように思います。
今は、様々な現実を受け入れ、日々過ごしています。

本当にありがとうございました。

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