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己の中道がわかりかねます。

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有り難し有り難し 16

仕事や資格の試験で自分を追い込んだらしく、精神疾患を患ってしまいました。
何事も程々にと言いますが、程々にの程度がわかりかねます。自分で見極めることに難儀しております。
お釈迦様のように苦行をすれば中道は見えてくるのでしょうか?お坊様の観点からお返事頂ければ幸いに思います。

2014年11月26日 9:50

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道

世の中では中道とは、両極端を避けた丁度良い所、程よい所であるとか、「いい加減」ではなく「ほど良い加減」である…と解釈されること(ひろさ〇や説)がほとんどですが、私はそれは俗説であり、まちがった解釈であると思っています。
何故なら苦行でも安楽でもないところ、悪くも良くも無い中間地点という意味が中道であるならば、どのみち両辺から脱却した状態ではないし、人間的な価値判断に染まった状態であるからです。
ちなみに、お釈迦様も苦行は否定しています。
苦行をおやめになってはじめて正覚を得ました。
ですからあなたは苦行をする必要はありません。
さらには、お釈迦様は6年間の修行をされたと言われていますが、その解釈も間違いです。
6年間、誤った修行をなされ、6年後にはじめて、正しい修行方法が分かった、というべきです。
身心にとって正しい、心の在り方を見出すこと。それが正しい修行というものです。
ですから、正しく正覚を得た正師の元で正しい自己省察をする事で、中道を会得することができます。
中道とは、観念を離れた様子です。
ヨイワルイ、好き嫌い、損得、得失、健康⇔病などの相対観念を離れた、外れた、超えた、心の在り方です。
丁度よくなったって、救われやしません。
観念そのもの、良し悪しの判断や分別そのものから離れない限り、人間は救われません。
それが中道です。
私は、個人的には坐禅をお勧めします。
自分の思いそのものを冷静に観察できるからです。
坐禅を通して、自分の思いの浮かび沈み、生滅そのものを見つめて、一切手つかずで過ごすことです。
思いは放っておけば、必ず尽きます。
多くの人は思いが尽きる前に、考え事を再開してしまうから、思いを起こす以前、起こった後の消息を得る事が出来ないのです。
禅ではそこに到って脱落身心、第一義と言います。そこが中道です。
思いを超えたところです。思いを超えれば、苦しみは無くなります。
苦しみというものがそもそも(痛覚を除いては)観念の生み出すものだからです。
考え方から離れた世界、といってもピンとこないかもしれませんが、考え方や思い、マインドを離れるからこそ苦しみから離れられます。ちゃんと人間は誰でも救われます。

2014年11月26日 22:07
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

質問者からのお礼

お返事いただきまして、ありがとうございます。
長い間お礼をできず、申し訳ございません。
その後、覚元様のアドバイスに従い、座禅や歩行により思いを尽きさせる事に挑戦させていただきました。
どうやら私の場合は球技運動をすると、思いが尽きるような気がします。
ただ、良いプレーをする。
みんなと楽しむ、その事だけを考えている時は一切の悩みから解放されている気がするのです。
大変貴重なアドバイスをありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

「師匠無しは外道です。仏教は世界を救うためにあります」

坐禅会で副住さんと二人きりだった。 気候に依るか、今日は二人だけという縁に依るものであったのか、僕がムカつく顔をしていたのか…なるようにして、そうなったのでしょうが…。 会話量は僕が2、お坊様が8くらいでした。法話聞きに行ってるので。 風の吹き方一つで虫の居所も変わるでしょうし…なるようになったのか? 「山には色んな入口と登り方があり、諸宗教も同じですよ。」 僕「山なんて本来無いのでは?」 「貴方と話してるとウンザリするんですよ…こう言うのも面倒くさいんです(半笑い)」 「えっ」 突然だったので驚きました。これは何らかの方便なのでしょうか? 縁が整った故の個人的な考えですが、神様には個々人の内に誕生日があって、各々が見聞していく中で神々の造形や威光が深められていき、その信徒が己の生み考えた偶像にひれ伏すようになっていく。そういった一切は縁起に依り、各々が思うように仕立て上げていると気付くために坐禅等の諸行によって三昧、思い込みの縄を解き、無自性=縁起に気付き、よくよく見極めていく。 「自覚」縁起の教えが仏教。そこが諸宗教と一線を画する所では? と考えています。 そう思える縁が整っただけですが…。 上記のような屁理屈だって蹴倒れる程に悲しい。 因縁仮和合云々並び立てても殴られりゃ痛いし、彼の軽蔑は悲しい。 それで心相続していって変遷していく。 またその場の気分も風の吹き方一つで変わるので、次はお寺に行くかもしれないし、行かないかもしれない。嵐か地震が来るかもしれないし、実際は考えに依ってくれないし。 世界を救うって何を…? 僕「師がいなくて外道なら、在家信者は外道ですか?」 「師ならそこらじゅうのお寺にいるでしょう。 解釈に囚われているから、そういった考えになるんです」 僕「はい」 「ウチは檀家100件を超えておりますが、法事をして救いもして、救いもしない事が救いになる事もありますよ」 「師について学ばないとオウムと変わりませんよ。空だから〇してもいいっていう」 僕「え?(なんで突然オウム?そもそも誰かを〇すなんて)」 彼が気に入るだろう答案を提出できる縁に僕は恵まれなかった。 痛い位に今日の彼から伝わってきたのはもう僕に二度と会いたくないってこと。 僕が出来るのって出来る限り接する人に親切にしていこうと願う事位。 世界を救うって何?彼の真意は何でしょう?

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仏教では女は差別されるのですか?

初めて質問させていただきます。 ここ3年神仏に惹かれて近くのお寺にお参りなどさせていただいているのですが仏教では女だと差別される、等など聞いてしまい、ネットなどで見てみたらそんな話が色々書いてありました。 例えば女だと成仏出来ない、女は汚れているだの書かれていました(泣) 本当にそんな差別などお釈迦さまやお不動さま、そしてお坊さんがするのか知りたいです。 そんな事を仏さまは思ったりしていないと思うのですが… 女だと汚れているからと思っているお坊さんはこの時代いるのでしょうか? もし、本当にお釈迦さまやお不動さま、そしてお坊さんが思っていたらお 参りすることって出来ないですよね…? 悲しい事が書かれていたので凄く落ち込んでいます… 今まで一生懸命感謝の気持ち、これからもよろしくお願いしますと手をあわせていたのが意味もないんだと思ってしまいました。 実際、以前土俵に女性が上がったのが問題になったのがありましたよね? (土俵は神社系だと思いますが) なので、結局神仏どちらも女性軽視になるのですか? 神社で女性の神主さんは見たことがあります。 仏教はどうなのでしょうか? お釈迦さまやお不動さま、そしてお坊さん達は実際本当に女性軽視なのですか? 子供を産むのは女性なのに悲しいものを読んでしまいショックです。

有り難し有り難し 26
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