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己の中道がわかりかねます。

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有り難し有り難し 16

仕事や資格の試験で自分を追い込んだらしく、精神疾患を患ってしまいました。
何事も程々にと言いますが、程々にの程度がわかりかねます。自分で見極めることに難儀しております。
お釈迦様のように苦行をすれば中道は見えてくるのでしょうか?お坊様の観点からお返事頂ければ幸いに思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道

世の中では中道とは、両極端を避けた丁度良い所、程よい所であるとか、「いい加減」ではなく「ほど良い加減」である…と解釈されること(ひろさ〇や説)がほとんどですが、私はそれは俗説であり、まちがった解釈であると思っています。
何故なら苦行でも安楽でもないところ、悪くも良くも無い中間地点という意味が中道であるならば、どのみち両辺から脱却した状態ではないし、人間的な価値判断に染まった状態であるからです。
ちなみに、お釈迦様も苦行は否定しています。
苦行をおやめになってはじめて正覚を得ました。
ですからあなたは苦行をする必要はありません。
さらには、お釈迦様は6年間の修行をされたと言われていますが、その解釈も間違いです。
6年間、誤った修行をなされ、6年後にはじめて、正しい修行方法が分かった、というべきです。
身心にとって正しい、心の在り方を見出すこと。それが正しい修行というものです。
ですから、正しく正覚を得た正師の元で正しい自己省察をする事で、中道を会得することができます。
中道とは、観念を離れた様子です。
ヨイワルイ、好き嫌い、損得、得失、健康⇔病などの相対観念を離れた、外れた、超えた、心の在り方です。
丁度よくなったって、救われやしません。
観念そのもの、良し悪しの判断や分別そのものから離れない限り、人間は救われません。
それが中道です。
私は、個人的には坐禅をお勧めします。
自分の思いそのものを冷静に観察できるからです。
坐禅を通して、自分の思いの浮かび沈み、生滅そのものを見つめて、一切手つかずで過ごすことです。
思いは放っておけば、必ず尽きます。
多くの人は思いが尽きる前に、考え事を再開してしまうから、思いを起こす以前、起こった後の消息を得る事が出来ないのです。
禅ではそこに到って脱落身心、第一義と言います。そこが中道です。
思いを超えたところです。思いを超えれば、苦しみは無くなります。
苦しみというものがそもそも(痛覚を除いては)観念の生み出すものだからです。
考え方から離れた世界、といってもピンとこないかもしれませんが、考え方や思い、マインドを離れるからこそ苦しみから離れられます。ちゃんと人間は誰でも救われます。

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有り難し
おきもち


丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

質問者からのお礼

お返事いただきまして、ありがとうございます。
長い間お礼をできず、申し訳ございません。
その後、覚元様のアドバイスに従い、座禅や歩行により思いを尽きさせる事に挑戦させていただきました。
どうやら私の場合は球技運動をすると、思いが尽きるような気がします。
ただ、良いプレーをする。
みんなと楽しむ、その事だけを考えている時は一切の悩みから解放されている気がするのです。
大変貴重なアドバイスをありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

有り難し有り難し 37
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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

有り難し有り難し 14
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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

有り難し有り難し 17
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