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将来に対する謎の不安

回答数回答 3
有り難し有り難し 15

高校3年生の男子です。
私は最近、将来、特に5年や10年後などの先についてかなり不安を感じています。特に私は、小さい頃から死に対してかなりの不安を抱いていて、思春期の不安と元々の死への不安が化学反応を起こして、本当に苦しいです。

一度、この苦しさを取り除くために、先を考えるよりも今を精一杯生きようと思おうとしたのですが逆効果です。

一番には、どうすれば死に対してある程度柔らかい考えができるのかを教えて欲しいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

時は今 ところ足元その事に 打ち込む命 永遠の み命

見えない未来だからこそ、どれだけでも、素晴らしい人生を描けます。

わたしも、子どもの頃から死が、怖かったです、カレンダーや時計が嫌で嫌で。

でも、

人は死ぬことは有りません、この身体には寿命がありますが、命には、終わりがありません。

自分の命について深く考えることは素晴らしい事です、もっともっと考えてみてください。

今を生きる、その答えか見えてきます。

ささみさんならばきっと大丈夫、素晴らしい人生を一歩一歩歩むことが出来ます。

浄土宗の開祖、親鸞上人のお師匠様の 法然上人は

『 生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へ参りなん とてもかくてもこの身には 死生共に わずらい無し 』

と、おっしゃられました。

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おきもち

長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...
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将来はありません

衝撃的なタイトルになりましたがご心配なくに。。

まずは、果たして将来、つまり、未来は「有る」のでしょうか。

まず、既に過ぎ去った「過去」は、もう過ぎ去ったものですから、既に「現在」にはありません。もちろん、「過去」を思い浮かべて、あたかも「有る」ように錯覚してしまいますが、思い浮かべているのは、あくまでも「現在」の自分です。

また、まだ来たらぬ「未来」は、まだ来ていませんから、「現在」には当然に有り得ません。「未来」を思い浮かべて想像して、「有る」ように錯覚してしまいますが、想像している自分も、実は「現在」の自分です。

更に、「現在」と言っても、言ったそばから実は「現在」で無くなってしまいます。「現在」自体も、時間が止めれない限り、基本的には「有り得ない」ことになります。

もちろん、「過去」、「未来」、「現在」は無いわけではありません。一応は、「現在」があると仮定して、その相対として世間一般において「有る」とは言えますが、厳密に分析すれば、「実体」としてはそれぞれ有り得ないものになる次第でございます。

実は、同様に死後というものも実体として「有る」わけではありません。あくまでも今の自分における想像上の産物に過ぎないのであります。

でも一応は、世俗的において何が言えるのかとなると、現在における瞬間、瞬間の連続体としての自分があり、またその瞬間瞬間において相続していく自分もあり得ていくと考えることができます。

むろん、過去がなければ、今の自分はあり得ません。更に今の自分が無ければ、未来の自分も死後の自分も可能性としては有り得ないことになります。

過去と現在の自分は明らかに繋がっている、また、現在の自分は未来、死後の自分とも繋がっていくものと言えるので、異なってはいないのだけれども、もちろん同じとも言えません。このことを仏教的には「不一不異」と申します。

さて、結論的には、とにかく、「現在の一瞬一瞬の連続体でしか生きれていない」自分のありようをしっかりと理解することにより、これから先へのより良い結果へと向けた良い因縁(原因と条件)を確かに紡いでいくのも、この瞬間、瞬間の自分であって、しっかりと、この一瞬一瞬に集中して、大事に大切に過ごしていくことが必要であるということになります。

難しいことですが、是非、考えられてみて下さいませ。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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心配ご無用。

この大宇宙。数ある銀河系の中の小さな小さな太陽系の中の小さな小さな星の地球に小さな小さな限りある命を頂き生きている私達。

そんな小さな小さな私達にはこの宇宙の成り立ちやしくみや、いのちや、出会いや、森羅万象すべてがわからないことだらけです。

しかし、仏教の開祖お釈迦さまは違いました。

私達凡人にはわからない。
わかりようのないこれらのことが手に取るようにわかることのできるお方でした。

科学でも突き詰めていけない領域を体得されたお方でした。

そのお釈迦さまのおっしゃった言葉を書き留めて残して下さったのが
『お経』です。

その中で
『死後は必ず阿弥陀仏という仏様の世界にゆける』
とお釈迦さまはおっしゃっています。

南無阿弥陀仏(なむあみだぶ)と仏様の名を呼べば、
『なんやー、よしよし、心配いらんぞ、迎えに行ってやるからなぁ、心配いらんぞー』と親のごとく暖かな慈悲の仏様が迎えにきてくださって、縁あった両親や奥さんや子供や孫や友達なんかと再会できる場所が用意されてる。案ずるなよ。

そのようにお釈迦さまはおっしゃっています。

私達には見えない、聞こえないですが、小さな小さな私達にはわかりませんが、
私達にはわからない大宇宙の真理を悟られたお釈迦さまの言葉を素直に信じていきましょう。

死んだら終い。ではありません。

心配ご無用。

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有り難し
おきもち

生きるための仏教 生身の私達のための仏教 私たちが人生を歩む上...
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ