子どもの死から前向きに生きるには
子どもが事故死しました。軽い障害がありました。
私の不注意のせいです。
子どもの障害のことで、自分がうつになった事に気づきませんでした。家族も気づいてくれませんでした。
子どもの死後、私が自殺し失敗して病院に運ばれて、うつに気づきました。
毎日、色々な後悔と悲しみばかりです。
他に何かしても、朝から寝るまで子どもの事や後悔と悲しみばかりが頭に浮かんできます。
今も、うつで通院しており薬も飲んでいますが、変わりません。
亡くなった子の事を忘れたら良くなるのかと考えましたが、どんどん悲しみが増えてしまいました。
どうしたら前向きに生活できるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そこにわたくしがなきことを知る
これは私個人の考え方です。
今もこの考えは変わりません。(考えというより仏法です)
わたしのものはこの世にはありません。
私にも子供がありますが、DNA的には私の子供であっても私の体の一部のような所有物、所有存在ではありません。わたしのものはない。
子供は子供の命。
まず、ここを冷静に悟る。
そこで、あなたが親の管理責任として不注意があり事故死されてしまった。
とはいえ、それもあなたが直接手を下したわけではありません。
あなたの苦しみは、あなた自身があなたを責めていること。
その責める行為があなたを、うつ状態、無限自己責めループ、思考の汚泥から抜け出させないようにしている真犯人です。
誰かのせいにしてもいい。でも、誰かのせいにしても変わらない事実が続く。
やがて、我々も死んでいく。
いずれ死んでいくにせよ、今日も新たな24時間が誰にでも平等にある。
その使い方は、どうか。
私があなたの子供だったら、ママ!いつまでクヨクヨしているの!と叱る。
自分に酔っているだけだ、といいます。
アドラー心理学でも言われるように、それはあなたが選択している『陶酔』です。
そこにとどまることをあなたが選択しているのです。
その選択は変えられます。
あなたが、今日からその陶酔をやめること。
自分が「うつ」であるという「のれん」もおろすこと。
私の友人は鬱と診断されましたが、医者を打ち負かす勢いで自分の心に打ち克ちました。
人間、誰でも多かれ少なかれ悲惨な目にはあっているもの。
私自身も死のうかとどん底でした。でも、そこにとどまってはいけません。
真剣に自分を変えてやると奮起する!
その活動源を菩提心といいます。
悩み苦しみに導く考えはどんな高尚な哲学であろうが悪い考えであり正覚ではありません。
自分を苦しみから救う教えをどんどん求めることです。
あなたの命とて、あなたのものではありません。
だからこそ、固定的に自分を縛らずに、どんどん大きな世界に目覚めて苦しみから解き放たれてください。お子様はすでにやすらいの世界にいます。
お子様がすでにやすらいの世界にあるのですから、あなたも今しっかり生き、目の前で流れている大きな生命の川を感じて、この大きな法界、法海、法の川に身を任せて❝共に❞この世という❝一處❞なる世界で内なるお子様に日々やすらかに会うことです。
子供は亡くなっても、いつも浄土であなたを見守っています。
白ぞうさん、こんにちは。
大切な我が子を、事故でなくされたのですね。
何回か、子供の事故のご葬儀をしましたが、私が泣いてしまい読経を読むことができなかったことがあります。
また私の信者さんで、5歳の子供をなくされ夫婦共々悲しみを乗り越えることができず忘れるために三重に引越しをされて、私が三回忌供養のご縁で知り合ったご夫婦があります。その方は今もお骨はご自宅にあります。三回忌の供養の後、すぐ双子ができ、長男の生まれ変わりだと思って悲しみを乗り越え、昨年7回忌を終えました。
生きるということは難しいことです。けしてあなたの不注意だけではありません。息子さんの運命として受け入れるしかありません。ただし、障碍の息子さんも生まれたからには、たとえ人生は短かったとしても、この世のお役があったのです。それはお母さんを幸せにすることです。自分がなくなったことでお母さんが仏さまの教えに目覚めて、幸せな生活を歩むならば、息子さんは素晴らしいこの世の結果を残したことになります。だから、水子和讃には、小さな子供であっても、親の幸せのために、石を積み上げ仏塔を作り、お地蔵さんと共に母の幸せを祈っているはずです。
その母親であるあなたが息子の不幸に苦しんで病気になり、自殺までしてしまったら、幼き息子さんはどう思うでしょうか。心配で心配でお母さんのことを見守っているはずです。そして一所懸命お地蔵さんと共に母のために石を積んでいることでしょう。
白ぞうさん、息子のことを思うなら今を幸せに生きるために辛くとも一所懸命、人生を歩んでください。それが愛する息子さんが霊界で願っていることなのです。あなたが悲しめば息子さんも悲しみます。
どうしても辛くなったらお寺にいって追善供養してあげてください。そしてあなた自身がたくさんお経を読んであげてください。葬儀をしてくれた菩提寺さんやお寺さんでもいいし、お寺のご縁がなければいつでも私のお寺にお越しください。一緒にお子さんの供養をしましょう。合掌
質問者からのお礼
丹下 覚元様
ありがとうございました。弱い自分に改めて気付かされました。自分に酔っているとか、無限自己責めループとか、まさにその通りです。自分が変わらないといけませんね、まだ時間はかかりそうですが、少しずつがんばっていきたいと思います。
ありがとうございました。
染川 智勇様
温かいお言葉ありがとうございました。
悲しんでばかりだと、子どもが心配していること、ただ自分が悲しいだけで子どものことまで考えられませんでした。
まだまだ辛いですが、時々お言葉を読み返しながら、がんばっていきたいと思います。
ありがとうございました。