悲しみや寂しさについて、お言葉やお教えなどはありますか?
私は、約12年前からうつ病や不安障害などのために治療を受けております。
約1年8ヵ月前に父がガンのために他界いたしました。
自分の発病後からは友人などとの接点が全くなくなり、完全に孤立無援の生活が続いております。
毎日、誰かと話すこともない生活が続いています。
そして、父が他界した後は、それまでよりもずっと悲しく、寂しい生活が続いております。
以前に質問をさせていただいた時には、お寺参りを勧めていただきました。
早速調べてみましたところ、父のお墓があるお寺で7月に法要があるようですので、それに参加させていただきたいと思っております。
しかし、それまでの間のことなのですが、やはり毎日寂しくて、悲しくて仕方がない日が続いていて、とても苦しいです。
誰とも話すこともなく、電話やメールが来ることもない毎日です。
寂しくて、悲しくて、いい年をした中年男が泣いている毎日です。
こんな私にとって、何か救いになるような仏教のお言葉と言いますか、お教えみたいなものはございませんでしょうか。
この寂しさや悲しさがほんの少しでも楽になることができるような仏様のお言葉やお教えはございませんでしょうか。
ほんの少しのお言葉でも構いませんので、どうか教えていただきたいと思っております。
どうかよろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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常に・共にいてくださるのが仏さまです。
ようこそご相談下さいました。ありがとうございます。
浄土真宗の僧侶ですので、自宗の聖典の中から紹介させていただきます。
「阿弥陀仏、 此を去ること遠からず」(仏説観無量寿経)
『阿弥陀仏はここから遠いところにいるのではない(常に私と共にいてくださる)』
「極重の悪人はただ仏を称すべし。 われまたかの摂取のなかにあれども、
煩悩、 眼を障へて見たてまつらずといへども、 大悲、 倦き(ものうき)こと
なくしてつねにわれを照らしたまふといへり」(正信偈)
『極重の悪人(煩悩の中でしか生きられない者)は、ただ南無阿弥陀仏の念仏を称えましょう。私もまた阿弥陀如来の救いの中にいます。残念ながら煩悩だらけなので仏のお姿をこの目で見ることはできませんが、阿弥陀如来の大慈悲は私を見捨てることなく、常に照らし続けてくださっています』
嬉しい時も楽しい時も、悲しい時もつらい時も、常に私とともにいてくださるのが仏さまです。私の方は煩悩を抱えて仏さまの姿を観ることはできませんが、だからといって仏さまの方から「もうやーめた」とあなたを見放すことはありません。つまり「あなたを決して独りぼっちにはしない」というのが慈悲の心なのです。
年齢や性別に関係なく、辛さ、寂しさ、悲しさは一人で抱え込むのはとても重たく苦しいものです。分かち合えれば軽くなることもあります。亡きお父さんと仏さまに甘えて、自分の苦しみを少しお願いしましょう。お寺参りも是非。
なお、浄土真宗では「こころの悩み相談」ダイヤルもございます。
曜日が限られており、京都への電話にはなりますが、ご参考までに。
http://j-soken.jp/category/ask/ask_2
質問者からのお礼
渡辺 慈海 様
ご回答ありがとうございました。
仏様はいつも一緒にいてくださるのですね。
また、仏様は決して一人ぼっちにしないでいてくださるのですね。
よくわかりました。
ご多忙中にご回答をいただきまして、どうもありがとうございました。