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宗教とは

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宗教とは何ですか?

宗教とは何を目指しているのでしょうか?宗教の目的がよくわかりません。

祖父母の法事等で、宗教行事に触れる機会はあるのですが、この私の人生にどういう意味があるのかが、わかりません。

宗教の目的はなんでしょうか?

お坊様がたの信仰されている宗教について、その宗教とは何か?その宗教の目的とはなにか?

を教えていただけたら幸いです。

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗とする教え

宗教とは読んで字の如し、宗(むね)となる教え、宗とすべき教えです。
宗教の一つである仏教の目的は、心おだやかに過ごすことでしょう。

六道仙人さんは、お名前から、仏教に興味を持たれている方だとお見受けしました。
仏教の肝は、実践です。
・布施、何かを施す
・愛語、優しい言葉をかける
・利行、人のために行動する
・同事、相手の立場にたって考える
この四つの行に対し、矛盾を感じなければ、それは仏教の教えを宗とされている方とも言えます。

他人にやさしい言葉をかけたって意味がない、相手の立場より自分の立場という生活を送る人、他宗教を弾圧したり、爆弾テロを起こすようなことを宗とする教えもありますので。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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逆に、非宗教的、反宗教的という生き方を考えてみましょう。

世の中をごらんください。
いかに人間が反宗教的、非宗教的な生き方=欲・自己中な生き方をしているでしょうか。
その結果何が起こっているか。
宗教心、道徳心がなくなれば自己中、自我・エゴまるだし、自分の都合だけ良ければよいという非・宗教世界が生まれるのです。
身近な例では今の中国や韓国、日本だってそうでしょう。
中国では子供が車にはねられてもみて見ぬふり。
韓国では自分たちの勝利成功の為にはスポーツであっても手段を択ばない。
日本には宗教がかろうじて浸透しているように思われていますが、原発はたれ流し、ひた隠し。自殺者年間三万人、日々、目を覆いたくなるような犯罪。経済的に裕福であってもブータンほどの幸福度の高さがあるわけではなく、幸せな眼、顔をした人間は少ない。その事実に目を向けない。
これも自分たちだけは良い、自分たちは悪く思われないような、自分の都合さえよければよいという、まさに非・宗教的世界でしょう。先進国意識はあっても現実、今日も、暴力、強奪、性犯罪、親殺し子殺し、放火、虐待…。それが真の意味で先進国と言えるのか。精神的な豊かさが無いのは無宗教であるからで、人間のエゴ、自我を離れていないから。
そういう❝非・宗教心=我欲・エゴの心❞が平和や愛や慈悲とは真逆な世界を作り出しているのではないですか?
そういう意味で❝反宗教的❞であることの恐ろしさを意識してみてください。
みんなが謙譲、敬虔、寛容、愛、やさしさ、協調、調和がない。欲や怒りや恐れや苦しみに打ち克つことが無い。
私自身もそういう生き方をして矛盾を感じたからこそ宗教心の大切を痛感しました。
人間というもは宗教心が無ければ、首輪の無い犬とさほど変わらんところがあるのです。
あなた自身もいずれ様々な形の不安定を経験することがくると思います。
他人事でなく、じかに自分の身にピンチとして恐怖や苦しみを体験し、この世にいかに愛が足りなく、救われ、救いが不足しているかを感じられた時に宗教というものの必要性を感じ、自然に宗教を求めるようになると思います。

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おきもち

私の個人的な意見ですが…。

私の個人的な意見で、同宗派であっても他のお坊さんとは同じでないかもしれません。
私はまだ未熟者ですし…。^^;
六道仙人さんの質問にそぐうかも少し疑問がありますが…。
そこらへんはご了承頂きたいと思います。
では、申させて頂きますね。^^

私は宗教は人の苦しみや生きる悩み、そして辛さを乗り越えるためにあると感じています。
それも人それぞれの立場によって環境によって、いろいろな苦しみや辛さがあります。
そんな全てを…たとえどんな人であっても乗り越える教えが宗教だと思っています。

宗教はあるだけでは意味がありません。信仰して初めて成り立つのです。
信じて仰ぐ…何を信じるのだと思いますか?
自分の外にある 自分とは別物の仏様を信じるのではありません。
仏様はあなたの心の中におられます。

(仏様という言い方が不慣れであれば「宇宙の真実」「宇宙の叡智」と置き換えても結構です。…本当は宇宙と言う言い方も小さいのですが…)

そのことに気づかず、人々は あらゆる困難の原因や、または救いを 自分の外に求めますが…。
信仰して行くと、自分という存在がどういったものであるのかが少しずつ実感を伴って解って来るのです。

おそらく覚ると全ての悩みや疑問は一瞬で何であるかが解り消えるのだと思います。

私が信仰しているのは真言密教ですので、多くを語る事は善しとしません。
信仰し、実感して行く事で多くの疑問や苦しみが消えて行きます。
そして縁ある人々を漏らさず救うように働きかける事ができる宗派だと思っています。

法事をキッカケとしてそういった道に気がつくというのも素敵な事だと思います。

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おきもち

仏道に入門して39年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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宗教考

六道仙人様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のこと」とウィキペディアにございますが、仏教でも如来・仏陀という人智を超えたる存在を扱うものの、決して私たち凡夫では成れないもの、遠い存在ではなくて、確かなる仏道を成就することによって、迷い苦しみから離れて、如来・仏陀の悟りの境地へと到ることを目指すことになります。その仏道を歩むための教えが「仏教」ということになります。

宗教の目的は、おおよそ、幸せや安楽、安心を得るため、あるいは、より良い生き方、人生を歩むためにあるかとは存じます。仏教ももちろんそのようであって、究極的な幸せ、安心、安楽としての「悟り」を得るために、(現世、来世両方へ向けて)悪い行いを成さずに、より善い行いを調えることによって、より良い生き方、人生を歩めるようにしていくということにもなります。

特には善い結果へと向けては、善い因縁(原因・条件)が必要であるとして、仏道を歩むため、悟りを得るための善い因縁を仏教を確かに学び修して集積していくことが大切となります。その善い因縁は簡単には「智慧と方便(慈悲行・利他行・善徳行)」となります。

さて、問題は歴史上においても、また現在においてもそうですが、宗教が時に争いや憎悪の原因となり悲劇が起こってしまうことでございます・・

本来の宗教の目的は、上記でも述べさせて頂いておりますように、「幸せや安楽、安心を得るため、あるいは、より良い生き方、人生を歩むため」にあるものかと存じております。それが、不幸や迷い苦しみ、悲しみの原因となってしまっては誠に本末転倒となります。

何故本末転倒なことが起こってしまうのか・・それは、全ての人たち、仏教的には衆生たちが、幸せ、安心、安楽となることを目的とせずに、自分、あるいは自分たちの集団さえ良ければいいというような、自己中心、自己満足、独善的な考え方がどこかにあるために生じる問題であるのではないかと考えます。そうではなく、いかに皆が幸せに、安楽、安心に過ごせていけるかを第一として、どの宗教でも、どの仏教の宗旨宗派においても考えていくことがまず大切になるのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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人類の永遠の福祉への貢献。

六道仙人さん こんにちは。

◎宗教の目的
ご質問の回答ですが、私の所属する浄土真宗では伝統的な各派が所属する団体として真宗教団連合という組織があります。

そこの憲章に目的が書かれているので一節を紹介しておきますね。
「真宗教団連合は、(中略)、真に時代に即応する教化活動を展開することにより、社会の不安と混迷を救い、もって、世界平和の進展と人類永遠の福祉に貢献することを目的とする。」

◎宗教とは
宗教というコトバは江戸時代末期、英語のreligionというコトバの訳語として使われ始めたようです。
最近は学校の授業で宗教について考える時間もあるようです。
藤原和博さんという方が「よのなか科ワークシート」のなかで宗教についても触れています。

・宗教というコトバを聞いたときにもつイメージについて、良いものと悪いものを各自挙げてみる。
・人気テーパパークやブランドと宗教が共通する部分、違う部分を知る。
・人気タレントと宗教団体の教祖が共通する部分、違う部分を知る。
・ファンと信者の違いを知る。
・人間はどんな時に神や仏にすがりたくなるのだろうか。

など、似た領域との比較など宗教儀礼以外の切り口で宗教についての考えを整理してもらえるとありがたいと思います。

植物の例でいいますと、おいしい実を食べたいことを最優先させると、自分の生活には葉や根の存在が無意味だと思えてしまいます。ただ、葉を取ってしまうと光合成ができなくなり、根を取ってしまうと土の養分ももらえず、貴を支えることもできなくなってしまいます。

自分の知識や感情ベースで無意味に思えるものがあっても、気にしないでいるか、排除したい気持ちになるかは人それぞれだと思います。
最近は根や派を必要としないクローン技術も進んでいるようで、宗教儀礼に意味を見いだせなく、目的を持たなければ役立たずの印象を持つ方も少なくないと感じております。

宗教屋が行う仏事儀礼が無意味の様に思えるのは僧侶の至らなさもあるので反省すべきところとも思っております。

長々と書いて失礼しました。
まだ20代ということでこれから先も宗教的な営みとかかわる機会があるかもしれませんが、疑問が晴れる何かの参考になれば幸いです。

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自分のことはあまり好きじゃない。 でも、だから、せめて自分だけは 自分...
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浄土真宗は阿弥陀様の救いを聞かせていただく宗教です。

浄土真宗は阿弥陀様のお救いを聞かせていただく宗教です。

その目的は、いのち尽きた時、極楽浄土に仏として生まれること。また仏として六道に還って他のいのちを救う身にならせていただくことです。

これら全て100%阿弥陀様の本願力によってなせることであり、私はただこの本願のいわれを聞かせていただくだけです。

私のいのちの行き先は極楽浄土であり、仏になることが今確定しているこの人生は、ただお念仏申し報恩感謝の生活をさせていただくだけです。
何があってもゆるがないいのちの行き先を頂きます。

私にとって浄土真宗という宗教は、この穢土で煩悩を抱えながらも、絶対的な安心を頂けるものです。

是非、他の僧侶方も各々お答え頂きたいと願っております。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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「宗教について」問答一覧

伝統と原理主義の境。不幸=神仏の怒り?

 いつもお世話になっております。  私が尊敬する情報科学の先生がXで、 「未だに、天災や気象現象を『神仏の怒り』と考える人は多く いる。しかも議員になれてしまうほど支持率が高い。なんでも かんでも『神仏のせい』にすれば、自力で考えなくて済むから。 だから自分は、宗教の原理主義的なものは嫌いだ」 とおっしゃっていました。  私は、宗教は「生活規範」「安心と励ましを与えてくれるもの」 と捉えています。  昔の人は、不幸な事…災害の発生や疫病の流行が起きると、 「仏様神様がお怒りになっている」 と捉えたと聞きます。  しかし、私は、 「地震だ!身を守れ!備蓄はあるか?火は出ていないか?神仏が見守って くれている。頑張って知恵絞って、みんなで力を合わせて乗り越えよう」 と捉えています。  私は、原理主義…つまりそのまま文字通りに経典等を捉えることは、 思考停止、理解が浅いと思っています。理解の浅さや霊感商法にも 繋がると思っています。  私は、宗教とは、経典を生活規範としつつ、いかに世渡りをして いくかを説いてくれているものだという認識です。  「宗教やってる奴なんて狂人」とネットで言っている人がいました。 私は、昨今のゆがんだ宗教観が原因でそういった認識も広まったと 思っています。霊のせい、神仏のせい、墓があるせい、方角が… お告げが…  お告げに至っては、現代ではメスカリン、アヤワスカの作用や 精神疾患が原因と分かっています。  また、ある工学の先生は、 「自分の感覚では、宗教は『頼る人』と『信じる人』に分かれると 思う。頼る人は、自己分析不足で盲信的、信じる人は客観的な 自己分析ができ、自分の非力さを理解したうえで、足りないところを 宗教の裏付けで上手くバランスをとっている印象がある」 とおっしゃっていました。  私は原理主義者、「頼る人」ではなく、伝統墨守、「信じる人」と いう立場でいたいです。原理主義者にならず、伝統を守りつつ、 世渡りをしていくにはどうしたらよいでしょうか。

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牧師、神父、イエスキリストが信じられない

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科学と宗教の棲み分け。仏教は科学否定?

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