読経の仕方
ご覧いただきまして、有難うございます。
早速、質問させていただきます。
私はご先祖様と亡くなったペットの御供養の為に読経をしたいと思っているのですが、どの宗派のお経を読めばいいのでしょうか?
私の両親はそれぞれ宗派が異なり、両親は離婚しています。
しかし、私は父親の苗字を名乗っています。
その場合、父親の宗派のお経を唱えた方が良いのでしょうか?
私は父方のご先祖様も、母方のご先祖様も御供養したいので、どちらの宗派のお経にすれば良いのか迷っております。
ちなみに最近は某現役僧侶の般若心経の本を読んでいるのですが、宗派に関係なく般若心経でも良いのですか?
今は読経なしで、毎朝お供え物と挨拶をして、毎晩仏壇の前で手を合わせご先祖様には『今日も1日有難うございました。安心して安らかにお眠りください…』、神様には『ご先祖様たちが安らかな気持ちで成仏されますように…』と心で唱えております。
その他、御供養にまつわる作法などございましたら、教えていただけますと幸いです。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
原点を考えてみましょう
お経は読むもの、と私たちは考えています。
お釈迦さまはお経を読みましたか?と私は修行僧たちに問いかけた事があります。
僧侶の世界に入ると慣習、しきたり、儀礼として「読経の作法」をならいます。
それが当たり前となり、お経の上手下手や専門知識が問われます。
私はそこに違和感を感じていました。
「本当にお経を読む」とはどういうことか。
お釈迦様は、人が悟りを得られる真実の言葉をそのままダイレクトに説いた。
それを聞いた修行者たちはその言葉を何度も脳内リフレインさせて、自ら体得し、自ら直証するために繰り返し唱えた。
悟り、仏心、確かなる真実に目覚めるためにこそお経という、悟りのある言葉を念じた、唱えたのです。
現代では文学のようなお経も多数あります。
お釈迦様が現代に生きておられたならば「そういうことをすることは本義ではないよ」と諫められるような行為を我々僧侶もやっているとおもいのです。
全てのお経は無上のやすらぎの心、悟りの説明書、指南書です。
あなた自身がまず、ここを本当に踏まえて悟りを求める心「菩提心」をもって生きる。読経することで死以降や分別、自分独自のルールを離れて悟りへの道が開かれるのです。それが本当に「お経を読む」ことになります。
楽譜もレシピも読むものではありません。
お経とは読むものではなく…、さぁどうするべきでしょうか。
ここからは、真剣にお考えください。
惰性で「お経を読めば供養になる」という根拠のない不確かな仏教から、本当にあなたが救われる仏教に目覚めることでしょう。あなたの望む回答で無くてすみません。
私は僧侶にお経を読んでもらうとしたら、お釈迦様の生の言葉に匹敵するお経を要求するからです。そうでなかったら本当に人は救われんでしょう。
追伸
あなたに本当に❝お経を読む❞ということの真意を追求してほしい、ということを申し上げました。
お経を唱えて、それで救われるのであれば問題ありません。
お成仏、お経とは
あや様
釋 慧心と申します。
この度のお悩み、拝見させて頂きました。
経とは、お釈迦様(以下、釈尊)がお説きになられたお話です。
そして、釈尊は亡くなられた方に向かってお話をされておられません。
全て、生きている私達に向かってお話をされておいでです。
釈尊のお話を、主だったお弟子の方々は、当時は書き留めることはされませんでした。
何度も何度でも復唱し、確め合い、確かにこう聞いた、と口伝してきたのですが、
後世の知識がそれらを文字におこされ、中国(西遊記のお話のように)に陸路で渡り、漢訳、音写されたのが、今我々が見ているところのお経です。
読経というのは、釈尊の説法を自分やその場にいる参詣者が聞かせて頂く為のものです。
お成仏をお祈りする為のものではないのです。
では何故、お仏壇に向かって読むのか。
仏さまや、釈尊をお讃えしていることが書かれている行が沢山出てきますので、
仏さまに、俗人の私が背を向けて読経するというのは、失礼でありおこがましいので、仏さまの方を向いてお勤め、読経します。
ですがその内容は私達に向けたものです。
真理や、道理や苦、また空(縁起)や浄土について説かれたものもあります。
その中で、どこに重きを置いているのかというところでいささか宗派というものが発生しています。
私は浄土真宗という宗派ですので、その視点からのお話であることをご承知ください。
何れにしましても、お経は難しいです。
私の知恵を超えているので難しいのです。
蝉に、春と秋の様子を一生懸命話しても、夏しか知らない蝉に理解できないのと同じです。
しかし、我々は人間です。
理解できなくとも、疑いなく、素直に、はいと受け取ることが出来ます。
人間というのは私が私の物差しで見ていく世界。
その物差しが迷いの眼(まなこ)じゃよ、迷いの眼が、苦しみの種まきをしておるぞ、
その中でがんじがらめになっておるんだよ、
そこから、お悟りの世界に必ず生まれてくれよと、
お前のその物差しでは、理解できないかもしれないけれど、
どうか、素直に受け取ってくれ、との仏さまのお言葉がお経です。
心から、はい、と受け取らせて頂きたいものです。
http://hasunoha.jp/questions/9290
成仏に関しましては過去の回答をご参照ください。
それでいいです、追記2
今の供養の内容で十分ですよ。
読経してもいいです。
何もしない人も最近は多いのですから。
仏様とご先祖様に感謝し、その感謝の気持ちをあなたの周りの人にまで広げていきましょう。
もしできれば、ご両親の各宗派についても学んでみてはどうでしょうか。
両方の菩提寺のお坊さんの法話を聞いてみるとか。
その上で改めて考えてみる事をお勧めします。
もちろん他の宗派まで興味を持ってくれるとなお良いことです。
カルトには気をつけて。
その中であなたが腑に落ちる教義を見つけてくれてらと思います。
二つを信仰してもいいです。
ただ、菩提寺にお墓がある場合は改宗の際はよく菩提寺と相談してくださいね。
般若心経は色々な宗派で読みます。
でも、大切なことは読むことではなく、日常生活の中で実施すること、感じることです。
私にもなかなか難しいことですけどね。
なお、私は浄土宗ですが、丹下様は曹洞宗ですから、回答に違いがありますが、色々な教義があるとご理解ください。
追記
せっかくの機会ですので、宗派共通のお釈迦様の教えを幾つか分かりやすくピックアップした本を一冊紹介しておきますね。もしよければ読んでみてください。もちろん実践もね。
「ブッダ いのちの言葉」ナガオカ文庫
宮下 真 著 525円
母方が浄土真宗とのことなので、少し補足しますと、よく読まれるお経は阿弥陀経ではないでしょうか。阿弥陀経には阿弥陀仏のことや極楽浄土について書いています。
ただし読経はメインではありません。阿弥陀仏を信仰し、南無阿弥陀仏と称えることがメインなのです。読経はその補助なのです。
また、阿弥陀仏は他宗の他の浄土を目指す人も応援しています。全ての人達を応援しているのです。
ですから、仏壇に手を合わせて南無阿弥陀仏と毎日お称えください。右の掌が阿弥陀仏、左の掌があなたです。それをひとつにするのです。
ご先祖様もきっと喜ばれると思います。
なぜなら念仏を称えることは、いつかあなたと極楽浄土で会えることを意味するのですから。
質問者からのお礼
丹下覚元様、御回答くださり有難うございます。
つまり、一般の人間がご先祖様の御供養の為に読経する事は無意味だという事でしょうか?
それとも、菩提心を持って読経しなくては意味が無いという事でしょうか?
私は難病を発症して数年が経つ頃から、ご先祖様に対して感謝の気持ちを強く持つようになりました。
その感謝の気持ちから、御供養させていただきたいと思い始めました。
もし御供養と読経がイコールしないのであれば、読経はやめたいと思います。
再度、御回答いただきまして有難うございます。
いただいた回答を何度も読み返しました。
私の未熟な精神では完全に理解する事は出来ていないと思いますが、『お経は読むものではなく、実践するもの』だという事なのかなと思いました。
ただ読むだけでは悟る事は出来ず(救われず)、意味を理解し悟りを求める気持ちを持つ事で救われる…という事なのでしょうか。
お経は御供養の為ではなく(故人に捧げるものではなく)、その人自身が悟るためのもの…。
今の私にはこの程度の理解力しかありませんが、本当の意味を理解できるよう日々思考を重ねていきたいと思います。
貴重な御言葉、そしてお時間をくださり有難うございました。
聖章様、御回答くださり有難うございます。
正直、回答の中の言葉を読めば読むほど迷路に迷っているような気分になっていたので、分かりやすくご説明いただきまして助かりました。誠に感謝致します。
おふたりのお話を聞かせていただき、読経は無しに、ご先祖様や神様や周りの方々への感謝を忘れずに生活していきたいと思いました。
私は宗派や宗教などはあまり興味が無く、幼い頃からただ1人の神様にお祈りする事が好きでした。
なので、引き続き自分の心にいる神様を信仰していきます。
迷う心を決意へと向かわせてくださり、本当に有難うございました。
聖章様、追記いただきまして有難うございます。
『ブッダ いのちの言葉』、今度、手にとって読んでみます。
はい!理解し実践する事も努力してみます(*^^*)
有難うございました。
釋 慧心様、御回答いただきまして有難うございます。
私の母方の宗派が浄土真宗です。
大変、分かりやすく読経についての説明をしていただけて嬉しく思います。
まず『読経』の意味を履き違えていた事を気付かさせていただきました。
ネットなどで検索すると間違った知識がゴロゴロ転がっているので、今度からは鵜呑みにせず、こういった場で僧侶の方に聞く事にします。
仰る通り、すぐに理解は出来なくても素直に受け取る事は出来ます(*^^*)
優しくお話しいただけて嬉しかったです。
有難うございました。