hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答(Q&A)一覧

息子の死

10年近く統合失調症で精神科に通院しています。 主人の両親が先祖崇拝・ユタ信仰者で、私の幻聴や幻覚を病気では無く、先祖からの知らせなので薬を飲むな。先祖の言ってる事を良く聞き、拝みをしなさい。と言われました。 一時期、薬を飲まない時期がありましたが病気が悪くなり、自殺願望まで出て入院寸前まで行きました。その後からは、病院の先生の事を信用し、毎日薬を飲んで身の回りの事も出来るようになるまで回復しました。 数ヶ月前、息子がバイクの単独事故で亡くなりました。お通夜の大勢の人のいる前で、姑から あなたが先祖の拝みごとをしなかったから、先祖が怒って 孫が死んだんだ。間違った事反省しないと…と、色々言われましたが 私が過呼吸になってその後のことは、悲しみのあまり余り覚えていません。 息子は、私の夢の中によく会いに来てくれます。いつもニコニコしてて、私に元気を与えてくれます。実際、霊感のある友達の所や、学校にも普段通りに行ったりして遊ぶのを楽しそうにしているみたいです。 息子は、人の文句や憎しみを持っている性格では無い。この世が思う存分楽しめたら自然と、あの世に行くよ。と霊感のある方が教えてくれて安心しています。 私が、姑に言われた事に憎しみを持ったり、本当に私が拝みごとをしなかったから、バチが当たって 息子が無くなったのか…このような事を毎日考えてます。私の憎しみが息子に伝わって、息子が成仏出来なかったらそれも 悲しく感じます。 本当に、先祖はバチを与えるのでしょうか?

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

婚約した彼の突然の死。生きる糧が欲しい。

先日、長年お付き合いをしていた彼が急性の病で亡くなってしまいました。 亡くなる前のデートで、「来年には籍を入れよう」とずっと待ち焦がれていた言葉をくれていました。 私たちは付き合いも長いですが、本当に仲良しで、喧嘩も少なく、レスもなく、本当に愛し合っていました。 まだ同棲はしていませんでしたので、やっと毎日一緒に暮らせると思っていた矢先、彼は倒れ、帰らぬ人に。 ご家族からお話を聞いた時には、信じられなくて。 何かの悪い夢か、嘘なんじゃないかと。 奇しくも、告別式は私たちの記念日でした。 十何年目の記念日が、お別れの日になってしまいました。 今、すごく会いたいです。 悲しいです。 この辛い今を生きる糧として、彼の赤ちゃんが欲しい。 何か奇跡が起きて赤ちゃんができないか…。 赤ちゃんにはその分、たっぷり愛情を注ぎたい。 赤ちゃんができているかは分かりません。 これは私の願いです。 次の生理が来るのも怖い。 来ないで欲しい。 私に生きる力を与えてくれる生命が宿ってくれないか、願ってしまいます。 本当に彼のいなくなってしまったこの世界に生きることが辛いです。 食事を取るのも悪に感じます。 彼はどんなに苦しかったか。 悔しかったか。 彼は死んでしまう前に、私へメッセージを最後の力で残してくれました。 そこには私への気持ちで溢れていました。 苦しい時に私を想ってくれたこと、本当に嬉しくて。本当に悲しくて。 なるべく早く彼の元に行きたいと願ってしまいます。 私は、彼のいないこの世界で何も頑張ることができません。 これまで生きてきて、早く死にたいと願うなんて初めてです。 自死はできない。 自死は彼も悲しませるし、私の家族も友人たちも悲しませてしまうから。 私も彼と同じ病で同じ苦しみを味わい、死にたいです。 本当にまだ彼のこと愛しています。大好きです。 私はこれから何を糧に生きれば良いのか。見つかるのでしょうか。 苦しいです。 まだまだ修行の足りない私にアドバイスをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

大好きな祖父の死が受け入れられません

文才がなく、読み難い文章で申し訳ありませんが、御教授頂ければ幸いです。 小さい頃に両親が離婚をして、祖父母に育ててもらいました。私にとって祖父母は両親以上に親だと思っています。 一昨日、大好きな祖父が亡くなりました。 10年前に末期の前立腺がんと診断され、それから懸命の治療をしてきました。昨年に末期の糖尿病を患い、今度は食事制限が始まりました。 今年に入り、血栓が見つかり、脚がぶくぶくに浮腫んで歩くこともままならなくなった祖父。 先月、いつもの抗がん剤治療のため病院へ行ったら、酸素飽和度が低くなっているため治療が出来ず、そのまま入院。酸素投与をしながら様子を見ることに。 脚の浮腫もあり、入院中も寝たきりで家族とは祖父が帰宅したら家での介護は難しいかもしれないね、と話していた矢先、祖父の容態が急変。 その時一命は取り留めたものの、間質性肺炎を患い「いつ何が起こるかわからない状態」と医師に告げられました。 入院中出来る限りお見舞いに行き、ときには病院へ泊り込み。個室だったため24時間家族の誰かしら祖父の近くにいる状態が続きました。 ある夜、祖父が私のことを呼んだので「何をしてほしい?」と聞いたら「苦しい、痛い、もうおしまい」と祖父が言いました。私はそれを聞いて祖父に隠れて泣きました。私が少しでも長く祖父の傍にいたいという気持ちは祖父にとって苦痛でしかないのだろうかと思い、とても辛かったです。 祖父の最期は家族全員で見守りました。呼吸が浅くなり、そして止まり、心臓が少しずつペースを落としていきました。 死ぬ間際まで耳は聴こえると聞いていたので、ひたすら「じじ、じじ、大好きだよ」と祖父の頭を撫でながら耳元で伝えました。 祖父はどんな気持ちで旅立ったのでしょうか? すごく苦しくて痛くて辛かったんでしょうか? 私の最後の言葉は届いていたのでしょうか? 祖父母の家から徒歩数分のところに住んでいるのに、入院する前になんでもっと会いに行かなかったんだろうととても後悔しています。 医師に言われて、私なりに覚悟をしていたのですが、今も祖父の死を受け入れられません。 入院中脚をさすってあげたり、お口の中を拭ったりしかしてあげられませんでした。もっと沢山お話をすれば良かった。ひ孫を見せたかった。 辛くて悲しくてどうしようもありません。立ち直れません。会いたいです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

友人の死を乗り越える

以前、親友の死について質問をさせて頂きました。そこにあった彼女の死から学び自分らしく生きていくことが大切だというご解答がとても心に響き、前向きに生きてきたつもりです。 しかし、今になってまた彼女を失った悲しみが押し寄せてきて辛いです。 もう3年も経つのに、一時は気持ちが落ち着いていたのにおかしいでしょうか。 彼女の携帯は動いていないのですが、SNSのアカウントが残っているので最近は連日そこにメッセージを送っては涙しています。もちろん既読になることはないのですが、近況を報告したりすると少し気持ちが落ち着くと同時にもういないんだということを再認識して辛いです。 こんなことはやめたほうがいいのは分かっているのですが、どこかまだ受け入れられていないのかもしれません。 さらに、最近また子供を授かることができました。そのことを親友に報告したかったという気持ちが大きいような気がします。 赤ちゃんが部屋の中を見回してニコニコしているのを見るともしかして会いにきてるんじゃないかと思い嬉しいと同時に悲しくなってしまい、涙が出てしまいます。 夜中にお墓参りに行けば会えるんじゃないかなど馬鹿なことを考えて主人を困らせることもありました。子育ては楽しいし、普段の生活は明るく過ごせていると思います。ふとした時に気持ちが落ち込んでしまうのです。 何度も繰り返すこと辛い気持ちは乗り越えることができるのでしょうか。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

叔母の死が心に引っかかっています

今年の三月に、お一人様だった叔母がガンで亡くなりました。 彼女は海外生活が長かった為、自己主張が激しく、他人への接し方も物凄く厳しかった上に人の悪口ばかりを言う人だったので、周囲の人達から避けられていました。また、実姉である私の母とも会えば直ぐケンカになってしまう事が多かった為、彼女一人では出来ない身辺の世話は、長年私の役割になっていました。 (私が思春期に入る頃に別の病気で帰国してきた時は勉強面でこちらがお世話になることが多かったのですが、こっちもこっちで反抗期だったのでやはり喧嘩の繰り返し…。落ち着いて接し合う事が出来るようになったのは、私が大学生になって彼女への接し方を学んできた頃からだったと思います。 クリスマスにはお手製のディナーを振る舞ってくれたり、紫陽花の季節には一緒に遠出をしたりと、いい思い出もだんだん作れるようになっていました。) ですが、8年前にガンが発覚して (たまたま私が家を訪ねた時に物凄く体調を崩している姿を発見し、「このまま死にたい」という彼女を泊まり込みで1ヶ月掛けて説得して病院につれていきました) 以降、入院中はほぼ毎日病院に通い、退院しても診察の度に病院まで送り迎えをし…。彼女がだんだんと弱っていくさまを一番近くで見ていました。昨年春に余命宣告された時には涙が溢れて止まりませんでした。 病状が悪化してからも、彼女は先述の通り我が強かったので、在宅介護の方に説得されても頑なに意思を曲げず最期まで自宅にいる事を選びました。最期の日、意識のあるうちに「私の叔母さんでいてくれてありがとう。大好きよ」とお別れをしました。 そして、息を引き取ったあとは、彼女から生前言われていたとおりの手はずを整えて葬儀も終えました。 …なので、何もかもを完璧に終えたはずなんです。終えたはずなんですが、私だけがまだ、叔母の死を受け入れきれてない気がするんです。 叔母が好きそうな猫のグッズを見つけたり、よく一緒に行った場所へ行ったり、出かけるために車の運転席に座ったり…。そんな一瞬にさえも、叔母の存在を思い出してしまって、なんとも言えない気持ちになってしまうのです。 他の人はもう、彼女の死を受け入れて前へ進んでいるのに、このままでは私だけが取り残されてしまったままになってしまう様な気がして、不安でなりません。どうしたら、私も前向きになれるのでしょうか…

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

父の死

回答頂けたらありがたいです。 先日、離れて暮らす74歳の父が4ヶ月間の闘病の末亡くなりました。白血病でした。 入院後すぐに医師から余命数週間から数ヶ月と家族だけに宣告され父に悟られないように平常心で接してきました。 父は「来年は~」と未来の話をしたりして私達家族は「そうだね!早く治さないとね」と苦しくて胸が張り裂けそうになりながら嘘をついて父を励ましていました。 変に優しくしたら悟られると思い4ヵ月の間お見舞いには行くものの、いつも通りの素っ気ない態度を取ったり、車で片道1時間半の病院だったのもあり毎日はお見舞いに行けず、でも毎日行っておけば良かったとか、もっとありがとうの言葉を伝えれば良かった、お父さん大好きだよって伝えれば良かった…と後から後悔が押し寄せてきて泣いてばかりいます。 息を引き取る前に「お父さんの娘で良かったよ、ありがとう」と伝える事は出来たのですが意思疎通も出来ない中で言っても…もっと会話が出来るときに何故言わなかったんだろうとグルグル考えては泣いての繰り返しです。 父が亡くなってからテレビを見て笑うのも、美味しいご飯を食べるのも普通の生活をしている事自体、申し訳ないような罪悪感があり辛いです。 父は私の気持ちを分かってくれているでしょうか? 生きてる時と変わらず見守ってくれているでしょうか? 本当に辛いです。

有り難し有り難し 40
回答数回答 1

死産後、あの子のためにも前を向くには

妊娠6ヶ月、母子共に健康でしたが、突然の子宮内胎児死亡。1週間前、死産を経験しました。(詳細はプロフにて書かせて頂いております) 私の娘はもう亡くなっていて、帰ってこないのは頭ではわかっています。それでも時々ふと「あれ?私の赤ちゃんはどこ?」と思って、ぺったんこなお腹と仏壇を見て、頭が理解するのを拒んでいるようで、おかしくなりそうな感覚に襲われます。 毎日朝起きて、お腹を痛めて産んだのに、あの子がいないことを認識して、思わず仏壇に置いてある骨壷を抱いて、落ち着くまで話しかけてしまいます。 事故なのはわかっているのに、どうして私の赤ちゃんが?って、やっぱり思うんです。 なんでこんな、理不尽な思いをしなければいけないんだろう、と。 どうやったら、私の赤ちゃんは、生きてお腹に帰ってきてくれるんだろう。次の子とかじゃなくて、あの子が帰ってきてほしいと思ってしまいます。 なのでまだもちろん次の子も考えられません。 ずっと泣いていると、赤ちゃんが心配して成仏出来ないのもわかっています。旦那にも心配をかけてしまっています。 それでも毎日、涙が止まらないのです。 日が経つにつれて、悲しみも薄れてくると思っていたのに、毎日泣く時間が増えています…。 私は今回の経験は、悲しいだけの経験にしたくないです。あの子が命をかけて私の人生に大切なものを教えてくれたとしてプラスにしたくて、早く前を向いて、あの子に心配をかけないようにしたいのです。 それなのに、今毎日悲しくて涙が出ます。 あの子が確かに私のお腹の中にいた半年、幸せだったのだろうか。 今もできる限りのことをしてあげているつもりですが、今、天国であの子は幸せだろうか、寂しくないのだろうかと考えてしまいます。 死にたい、とまでは思いませんが、あの子がいるのであれば、私はあの子のところへにいくのも嫌ではないと思うようになってしまいました。 こんな今の私を見ていたら私の娘はきっと悲しむと思います。 それでも、どうしたら前が向けるのかわかりません。 あの子が幸せだったと心から思えて、安心して前を向くにはどうしたら良いのでしょうか。支離滅裂な文章になってしまっているとは思いますが、よければアドバイスを下さい。お願いします。

有り難し有り難し 45
回答数回答 1

祖母の死が自分のせいではないか。

今月祖母が亡くなりました。脳梗塞からの誤嚥性肺炎で、死因は急性呼吸狭窄症候群というものでした。 ここ一年は、胃ろう生活で口から食べることを一切許されない状態でした。 その状態を、不憫に思った私は、施設に往診に来てくれている主治医に、何とか口から食べさせたい旨を伝えて、なんとか、検査入院させてもらえました。結果は、やはり、難しいとのことでした。丁度、胃ろうの交換の時期に当たっていて、いつもはA病院でして貰っていた物を、今回は検査入院できる、B病院で、胃ろうの交換をすることになりました。 入院中は、意識もはっきりしていて、ハナセハしない物の、手は動かせたりしてました。しかし、胃ろうの交換の時、胃の内容物が、逆流してしまい、肺に入ってしまったと主治医からの説明がありました。極めて危ない状態であると言われました。交換から帰ってきた祖母は、とても、苦しそうな呼吸にかわっていて、私は大変なことをおばあちゃんにしてしまったと思いました。主治医は、簡単な処置だから付き添いも要らないですよ、と言われてたので、とても、納得出来ませんでした。そこから、六時間後には、もう、祖母の意識は薄れているようで、マスクタイプの人口呼吸器などを付けて貰いましたが、翌早朝、いきをひきとりました。 私が、口から食べさせたいなんて、思わなければ、相談しなければ、こんな結果にならなかったんじゃないか。おばあちゃんは、息が出来なくて、苦しみながら亡くなったんだと、母や、母のお姉さんに、申し訳ない、いろんなきもちがわっと来て、胸が苦しいです。 ネットとかで調べても、そもそも、胃ろうしてる時点で、延命治療なんだから、とか、胃ろう交換に、耐える体力がなくて、病気や老いの方が、何枚も上手なだけだったとか、でてくるのですが、いつもの、A病院で、いつも通り交換を、していたら、まだ、おばあちゃんは、生きてて、あんな苦しい死に方しなかったんじゃないかと、自分を責めてばかりです。 おばあちゃんは、今どう思っているのでしょうか。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

母親と同じような存在だった祖母の死

孫である私はもちろんのこと、ひ孫である私の娘をどこまでも暖かく深く可愛がってくれました。 優しく、ちょっぴりお茶目で可愛らしい祖母が旅立ちました。 まだ49日を迎えていません。 持病が悪さをして突然逝ってしまいました。 私にとっては実母よりも無条件で甘えられた唯一の存在だったと思います。 一時期、祖父母と気難しい思春期の私と3人でたまに喧嘩しながらも和気藹々と楽しく生活してたこともあります。 お前さんはいっぱいいる孫の中でも、じゃじゃ馬で一番手のかかる世界一可愛い孫!そんな孫から生まれたひ孫ちゃんも世界一可愛いひ孫!とニッコリ笑って言ってくれる素敵な祖母でした。 晩年はできる限り会える時間を作ったり、2日に1回はテレビ電話、月に1回の娘の写真入りの工作をプレゼント訪問したりなど後悔のないように!と思ってやってきたつもりでしたが… こんなに愛してくれて、大切にしてくれて頭が上がらないほど感謝しているので、 もっとなにかできなかったのだろうか、もっとこうしてあげたかった、もう少し一緒に居たかった、など言ったら キリがないのは重々承知ですが そういった気持ちになり、仕事や家事、子育てをして紛らわせつつも、 夜一人になったときに思い出をひとつひとつ思い返しては涙が止まらないのです。 納骨するまでにできるだけ一緒に居たくて 実家に頻繁に帰っては、祖母のお骨の入った箱を抱き締めて話しかけ、一人で泣きじゃくってしまい… どうにか気持ちに整理をつけよう、と思っても難しいようです。 私のようにあまりにも想いすぎると故人が心配して旅立てないから、マイナスのイメージで想わない方がいいと、なにかの本で書いてあるのを見て、 さらに申し訳なく思い、少しでも前向きに…!と奮い立たせますが、その反動でまたしくしく泣いてしまったり… いずれはしなければいけないお別れ、と覚悟はしていたつもりですが… 気になることは、 私のせいで祖母の旅立ちの邪魔になっていないでしょうか? どうしてもまだ祖母の死を受け入れられず毎日泣いてしまっていて、それが祖母の迷惑になっていないでしょうか? またこの気持ちは持ち続けていいのでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

父を亡くした彼女にしてあげられること。

私には、半年ほどお付き合いしているまだ未成年の彼女がいます。その彼女の父が先日、病気のためお亡くなりになりました。それ以来、彼女は度々喪失感に襲われるようになり、何かにすがりたいと思うようになりました。 私は、彼女に対して何かしてあげられないかを考え、学校の課題を手伝ったり、送迎をしたりできる限りサポートをしています。 サポートをするにあたって、彼女から頼みが1つあると言われました。それは、父が生前吸っていたタバコが吸いたいので買ってほしいというものでした。しかし、彼女はまだ未成年で喘息持ちということもあり、さらに病気になるリスクが上がるタバコを買い与えてしまうのは良くないと思い、その場では否定してしまいました。彼女は彼女なりに、亡くなった父にすがりたいと考えていたため、一時的にするつもりだから吸いたい、買ってくれないなら他の人に頼むと言われてしまいました。 私としては、彼女の気持ちがわからないので、買ってあげたい気持ちも山々なのですが、気持ちがわからないからこそ一歩引いて冷静にかんがえてあげるのが自分のできることなのではないか、それが僕なりのサポートなのではないかと考えました。 現在もう少しだけ時間が欲しいと伝え、色々思考を巡らせているのですが、行き詰ってしまいました。そこで、私はどういう行動をとるべきなのでしょうか。タバコを与えるという選択肢以外に道はないのでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

祖父と愛犬の死

似たような悩みが乱立する中大変申し訳ありません。 今年6月末に母方の祖父を、それに続くように7月頭に愛犬を亡くしました。 孫の中でも私を一番に可愛がってくれており、一切ボケることなく強かった自慢の祖父でした。 祖父はいわゆる本家に1人で住んでいたため 今、本家には誰もいない状態になっています。 これから本家を継ぐ人もおらず、母の兄弟たちの中では家を取り壊し、土地を売却する話が進んでいます。 私自身、過去には祖父とともに本家に住んでいた経験もあり、母から売却の話等を聞くたびに複雑な気持ちになってしまいます。 とはいえ私が本家を継ぐこともできず、母たちの意見には賛成なのですが…。 どうしても祖父と暮らした家がなくなること、 もう祖父と話したりすることができないことを考えると涙が止まりません。 時折お墓まいりや家の整理の為、本家には一ヶ月に一度程度出向くのですが、その度に涙が出てしまいます。 愛犬に関しても、家に帰るたびにもう駆け寄ったり撫でたりすることができないんだなと思うたびに胸が締め付けられます。 我が家に来て幸せだったのだろうか、愛情を注げられていたのか、なんども考えてしまいます。 その喪失感からか、気分も落ち込みやすく周囲の結婚などのおめでたい話題に対して心から祝福することができません。 お付き合いしている彼に対してもひどく傷つけてしまうことがあります。 祖父、そして愛犬。 連続して起こった別れからまだ何かあるのではないかと不安で仕方がありません。 どうしたらこの不安感を乗り越えられるでしょうか。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1