親戚で大切な人が若くしてなくなりました。 葬儀を終え火葬も終えました。 今になってもっと沢山あっておけばよかったなど たくさん後悔しています。 未だに亡くなったことが信じられないし信じたくありません。 どのようにしたら前を向いて生きていけるでしょうか。 忘れられなくても良いのでしょうか。
小さい頃から、命が有限であることをネガティブにとらえ、生きることに執着してしまいます。 仏教の教えに従うことで、こうした心が安定するのを感じます。 しかし、一方で、「死を受け入れるしかないなんて虚しい」とも思ってしまいます。 心が安定する→虚しくなる→心が安定する→虚しくなる、この繰り返しです。 このまま死ぬまでこのループから抜け出せないのではないかと不安な気持ちでいっぱいです。 最終的に、死に対してどのように向き合えるようになれればゴールなのか教えていただきです。
私はつい最近、自分の会社の社長が亡くなりました。 その事で、今酷く落ち込んでいます。社長が倒れたのが私の目の前の事でした。私一人しかいなかったので動揺しましたし、倒れる1分前まで普通に会話をしていたのであまりにもショックが大きすぎて中々気持ちの整理が出来ず困っています。 倒れた時の顔や最初は息をしていたのにそれが止まった時の事や救急隊が心臓マッサージをしている所がフラッシュバックのように思い出され、とても苦しいです。私がもっと異変に気付いていたらとか、出来た事があったんじゃないか?とか考えてしまいます。 その反面、その場にいなかった従業員を恨めしく思ったり(目の前で私の様に見てないから)。どうしたらこの心の苦しみを楽に出来るでしょうか?
大好きな人が、若くしてお亡くなりになりました。 その方は、本当に良い人でした。 男女問わず誰からも好かれていて、私はその方にあこがれを抱いておりました。だから亡くなられた事も受け止められない自分がいます。 苦しくて、いつもその方を思い出す度に涙が出てきます。 もう会えないのがつらすぎて涙が溢れます。 良い人は、早く亡くなってしまうということを聞きますが、人は生まれてから死ぬ時が決まっていると聞きました。 人によってなぜこの様に死ぬ時が早い人と遅い人がいるのですか?
胆管癌の末期で手術して2年、先日緩和ケア病棟で亡くなりました。 食事も中々取りづらくなってきて、本人は痛いながらも普通に、食事をして家でゆっくり過ごしたいと思っていたと思うんです。 それが、主治医のある病院から退院して10日でお水も飲めない状態になってしまい 薬も飲まなくて、紹介された緩和ケア病棟に移り そこからは、眠り続けた後に少し起きて話をしてまた痛みと息苦しさとの戦いで、薬をして… 私達家族も、父本人も少し良くなって、また家に帰れると思っていたのですが それが叶いませんでした。 孫がお見舞いに来ても、すぐ良くなるからもう少し待っててねと 母には家に帰ったら、庭の手入れの話をしてやらなくちゃなんないと 先生も言っていたのですが、生きたいと思う気持ちが強い方なので…と。 絶対に弱音は吐きませんでした。 けれど、亡くなる前日、息苦しさと痛みが耐えられなかったのか… 俺はもぅ終わり… 死んだら終わりだ と何度も何度も繰り返し言っていました。 どうしてあげたら一番良かったのか… 家に帰りたいと一度だけ子供の様に騒いだ事もありました。 家に帰してあげたら良かったのか? 母も兄も私も、長期のお休みが取れる状況にあったので… 緩和ケアに入院してから2週間ほど毎日病院、朝から夜まで居ました。 でも、夜起きた時に1人なのが死んじゃうんではないかという恐怖と寂しさで、帰りたいと。 家族みんなと一緒にいたいと言っていて… 亡くなった日は、朝病院からの呼び出しで駆けつけて昏睡状態ということでしたので、父の兄妹と私達家族がいる中で最後みんなの問いかけにのど仏を2回ごっくんとさせて逝きました。 日に日に悲しさや喪失感が… 父が気に入って買った家まだ1年なんです。 家に帰って来たかっただろうに… とか考えてしまって。 家族みんなこれからの心構えが出来なくて 前を向いて歩いて行こうねと言いながらも 会いたい、声が聞きたいとなってしまいます。 どうしていいのか…? どんな気持ちに持って行ったらいいのか? わかりません。 文章が分かりづらくすみません。 どうか、教えてください。
命日について質問させて下さい。 祖父は私の誕生日11/29,祖母は一年後の11/29に亡くなりました。 お坊様として色々な檀家様とお会いになると思いますが、そのようなことはよくあるのでしょうか。 祖父母の家を継いだ長男の嫁、その息子たちはある宗教の信者ですので、仏壇を守ってくれないかもしれないと 生前心配していました。なので、私に守って欲しいという意味なのでしょうか
父親が亡くなりました お正月に実家に帰省したときは元気そうでこれから老後の人生を楽しむものと思っていました しかし先日突然倒れてしまい、回復することもなくいってしまいました 自分が就職してからもほとんど何も親孝行する暇もなくいってしまったのでとても後悔しています しかし葬儀が終わっても涙も流れず、なんとなく死んでしまったのかという感覚だけが自分にあります 泣くことも出来ない今の自分に嫌気がさしています 肉親の死にこれほど感情の動かない自分は自分で考える以上に冷徹な人間なのだと思ってしまいます
こんばんは。 私は実家を離れて生活していましたが、1年以上あっていなかった父が2ヶ月前に亡くなりました。 父はアルコール依存があり、家族に大きな声をあげたり借金を作ったりと散々でした。私も父が嫌いと思っていたので、たとえ亡くなっても悲しまないだろうと思っていました。 しかし、実際に父が亡くなるとまだ優しかった頃の父を思い出したりして涙が止まらなくなります。父の残した借金があったため相続放棄を行い実家も無くなってしまいました。 親戚は借金ごと実家を継いで欲しいという意見をもっており相続放棄の際は親戚からも責められたりしました。 私も実家を手放したくなかったですが、借金が返済できる額ではないので諦めてしまいました。 これだけ嫌っていたし、父の住んでいた実家を継いだわけでも、借金を肩代わりしたわかけでもないのに2ヶ月たった今でも寂しく、苦しい気持ちでいっぱいになります。他の事(仕事や友人と会ったり)をしていても常にぼんやりと頭のどこかでは父の事を考えて落ち着かない気持ちになってしまいます。父の死については親しい友人などにしか知らせておらず、職場などには知らせていません。 2ヶ月もたったのにこんな気持ちでいるのは甘えだとも思いますが、自分がどうしたいのかもよくわかりません。 こんな気持ちもいつかは受け入れられ、また穏やかな気持ちで過ごせるようになるのでしょうか。
母を無くして一年たちますが、自分のせいで母を無くしたように思う事があります病死でしたが病気が重くなる前に早く気がついてあげたかったです自分の楽なように母を一人にさせて居たことがありました 自分が悪かったのはわかっています 葬儀、四十九日、お盆、と無事に越せることができたのは全て弟のおかげです 母が亡くなった後も何もしてあげてないのではないか?と思いますが母はとても喜んでくれているように感じます 母が亡くなる少し前に叔父がなくなり、数年前にいとこがなくなりました 人が亡くなるということは痛ましいことだということを痛感しました 私は子供のように母に甘えていました今もそうですこんな気持ちをどのようにしたらいいか教えてください また、母はいまあちらの世界でどのようにしているのか教えてください
未だに1人になると、母のことを思い出して涙がとまりません。 思い出すのも、後悔ばかりです。 物心ついた時から父親がおらず、女手一つで、私を含め3人育ててきた母です。 貧乏であまりいい思いをしてこなかったので、よく母に当たったりしていました。こんな家に生まれたくなかった、とか幸せだと思ったこと一度もない、とか。 反抗期とひねくれた性格もあって、本当に酷いことばかり言ってしまったこと後悔しています。 地元から離れていたので、母の死に目にはあえませんでした。 母の友達から、母がよく私のことを心配していたと聞き、愛されていたこと、それに応えられなかったことがすごく悲しいです。 社会人になって、親孝行しようと思っていた矢先のことでした。一度も親孝行できず、なにもしてあげられていません。 母はずっと働いてばかりの人生でした。 いつか楽にしてあげたいと思っていました。 抗がん剤治療を受けながら働いていた母でした。 母なら大丈夫だろう、いつか治る、死ぬわけないって、思ってました。 なんで母が死ななきゃいけないんでしょうか。 母の代わりに私がしにたかったです。 もう地元に帰る家もありません。居場所がありません。 わたしも母のところにいきたいです。 母に会いたいです。
以前弟の事で質問させてもらいました。 私の母親が亡くなりました。 昨日から自宅に戻ったんですが朝になったら悲しくて寂しくて涙が止まりませんでした。 一緒に住んでたので色々な思い出がありすぎて… 笑顔の顔しか思いだせません。 優しくてちょっと厳しく頑張り屋の母でした。 私は母子家庭なので1人きりになってしまいました。 親戚のおばさん達は時間が解決してくれるとかお母さんはずっとそばにいるから寂しくないよとは言ってくれましたが時間が解決してくれるんでしょうか…寂しくて仕方ないです。
母が先週亡くなりました。 生前雪が降るところを見たいと言うていて、 亡くなった当日は晴れていたんですが、出官の時には雪が降り初七日でも降りました。 偶然なのかもしれませんが、私はどうしてもこの世に悔いがないように、神さままたは仏さまが見せてくれてるような気がしています どう思われますか?? それと母は永年供養に申し込んでいて戒名もない契約だったらしいんですか 名前がなくても仏様として天国に行けるんでしょうか? 納骨の後供養は写真とお線香などでいいのでしょうか? 教えて下さい
亡くなってしまった人達は時々、こちらに帰って来ているときはあるのでしょうか?旅行しているときとか、コーヒー屋さんにいるときとか、亡くなった父も近くで飲んだり食べたりしたり、実は一緒に観光してて、このお城すごいなあ。おい見てみろよ!昔の人はすごい技術を持ってるね。って子供の頃色々と連れていってくれて、見聞きさせてくれたみたいに、実は一緒に観光地を回っているとか、通勤列車の中に一緒に乗っているとか。実は見えないだけで、父はずっと近くにいるのだとしたら、素敵だな、と思いました。仏様の国に行ってしまっても時々戻ってきてくれて、一緒に生きてきたときと同じく近くにいてくれているのだとしたら、うれしいなと素敵だなと思いました。亡くなって、しばらくは父がいるような気配もあったのですが(ろうそくや花が風もないのに揺れたりしました。私の思い込みかも知れませんが)最近それもないので、亡くなってしまった父やその他のお世話になった人達が、こちらの私達の近くに帰ってきてくれることはあるのかと思い質問をさせて頂きました。もし見えているなら、帰ってきて近くにいるとしたら、私たち姉妹が喧嘩して家が家がゴタゴタしている今の状況をきっと悲しく思うのでしょうね。
2年前に8ヶ月で死産した子供がいます。 息子でした。病気がわかり何とか治そうと胎児手術をしたりしましたが、亡くなりました。しばらくは辛く悲しく涙し、徐々に落ち着いてからも不意に涙したりまだ離れられず私の勝手ですが納骨もしていません。 もう一度我が子を抱きたいと妊娠に向け気持ちを前向きにそしてありがたいことに赤ちゃんが宿ってくれて昨年夏に息子を出産しました。すごく可愛くて愛おしくて幸せです。 しかし、ふと亡くなった息子は産んであげられなかったこと私のお腹に宿ったこと、私達が幸せに過ごしていることなど怒っていないだろかなど考えてしまいます。忘れたことはありません。考えれば考えるほど申し訳ない気持ちとどうすれば産んであげれたのか後悔ばかり出てきます。 息子の気持ちを知ることは出来ないかもしれませんが、なにか少しでもわかればと思い相談させていただきます。
はじめまして。 年明けに5年間闘病中だった母が50歳で亡くなりました。 自分のことより他の人を大切にしていた本当に素晴らしい母で、未だに実感がありません。 両親はとても仲が良かったため、父はずっと泣いていました。 私たち兄弟は家を出て一人暮らしをしていて、実家には父方の両親と父だけになってしまいました。 父と祖母はあまり関係が良くなく、ほっとしておいてほしい父に対し、祖母は口うるさく絡んでしまいます。 祖母は母に対して厳しく、葬儀でも1度も涙を流すことはありませんでした。 しばらくは私たち兄弟も実家にいたのですが、全員社会人のため仕事に戻りましたが、そこからうつ状態が続きアルコールに依存するようになってしまいました。 ずっと祭壇の前で横になっています。 仕事には行きたいから入院したくないと言っているのですが、近くに住んでいないためとても心配です。 お酒は我慢すると言っていたのに、三日後の今日帰ってきたらお酒の缶が置いてありました。 信じていたのに本当に悲しいです。 私自身、母がいなくなった悲しみもあるし、悲しみを受け止めながらも仕事に行ったり自分の生活を取り戻したいのに、父が心配で何もできません。 手続き等も全て私が行っており、父と県内に住んでいるので様子も見に行かなければならないし、なぜ私ばっかりという気持ちになってしまいます。 何かアドバイスなど頂けないでしょうか。 長文失礼しました。 宜しくお願いします。
数日前、大好きだった祖母が亡くなりました。 葬儀も終え、祖母にお別れもきちんとしたつもりでしたが、やっぱり祖母に会いたくて仕方ありません。祖母のシワシワだけど柔らかい手に触れたい。祖母の笑顔が見たい、祖母とお喋りがしたいです。 葬儀の時にお坊さんが、亡くなった人は新しい世界に旅立つ。と言っていました。 新しい世界とはなんですか?亡くなった人はそのままの姿、年齢で新しい世界で過ごすのですか?それともまた赤ちゃんからやり直すのですか? 新しい世界からはこちらの世界は見えるのですか? 新しい世界には悪人もいるのですか? 天国と地獄はあるのですか? どなたか教えてください。宜しくお願いします。
私の子ども(生後五カ月の男児)が他界しました。 我が子の死と私の妹の死、弟の娘(私の姪)の死産による他界など不幸が続いているので、これらの出来事には何か関係があるのではと思い、ここに質問させていただきました。 もし何かこれらの出来事を引き起こすことに理由があるとしたらそれは一体何なのでしょうか。 一連の家族の死の時系列は次のようになっております。 ・14年前に妹がに交通事故で他界 ・昨年に私の姪になる予定だった子(弟の三女)は昨年死産にて他界 ・今月に我が子が突然の他界 私の両親は娘を失い、弟は娘を失い、私は息子を失いました。 私には亡くなった妹と生きている弟以外に兄弟はおりません。 この一連の死には何か関連があるのでしょうか。。。 もし何かご存知の方がいらっしゃいましたらご教示頂けないでしょうか。 何卒よろしくお願い申し上げます。
何事も、心から信じることができません。 大切な人も、いつか死に別れてしまうし、大切なものも、いつか壊れたり崩れたりして失ってしまうからです。 いつか無くしてしまうと思うと、何にも心を許すことができません。何故ならそれに縋ってしまうと、無くした時に立ち直れなくなるからです。 でも、自分しか信じずに生きるのはあまりにも寂しくて、最近は考えるたびに一人で泣いてしまいます。 一人になってしまうのが怖くて仕方ありません。 それを乗り越えて強く生きなければいけないのでしょうか? どうすれば、もっとあたたかい温もりを感じて、安心して生きることができるでしょうか?
お世話になります。 昨年5月に母が癌で亡くなりました。 その母が少し寂しそうな声で私の名前を耳元で囁いてきました。 何か意味があるのでしょうか?
投稿は3回目ですが、最愛の母親の四十九日法要終えたところでした、、 去年の11月11日に緊急入院してわずか約2週間後の29日に永眠してしまってから時間がまだまだ進むのが遅く感じてます、、 末期の大腸癌からの腹膜炎併発で余命数日と宣告されて生きた心地がしないまま看病してきました。 本人には告知できずずっと手を握りしめて涙浮かべてた母親、、最後の数日前ギュッと握り返してくれた反応、、 未だに頭から離れず悲しみが溢れかえってきます、、 四十九日法要をお寺に遺骨と位牌遺影持参してお経してもらったのですが、住職がお経唱えてる間、自分はずっと遺影に想いを込め続けて見つめていました。 その時不思議な体験をしました。 遺影の後ろに花瓶で生けてある百合の花がバサッ!と音を立てたんです、、 風もないし、完全な本堂の閉め切った中で、、 お母さんが挨拶してくれたんだと自分はそう受け取りました、、 涙がとめどなくとまりませんでした、、 これでようやく先祖の元にたどり着いたんだね、、ゆっくりと見守ってくれるんだねって、、 普通はあんなタイミングで沢山生けてある花瓶の百合の花がバサッと大きな音立てる事はないから、、、お母さんがちゃんと伝えやすい方法でやってくれたんだねって、、 自分の事より常に家族の心配第一に考え日々を過ごしてくれた母親、、 84歳でもユーモア溢れる優しさに満ちた性格で、片足不自由なまま生きてきた母親を常に自分は側で支えてきました、、 買い物や、遊びに出かけさせるのも車に乗せて常に母親を楽しませてあげたい想いで仕事頑張ってきました、、 いつも母親は、こんな年寄りといつも一緒に行動してくれてありがとね、、ほんとなら若い子と遊びに行きたいやろうに、、って、、 自分は全くそんな事思いませんでした、、自分が幼少から母親の壮絶な苦労を見てきてたので早く大人になって常に守って楽しませてやるんだ!って、、母親が喜んでくれるならどんな苦労にも耐えてきました、、 それだけ密接な家庭で歩んできたので、母親の存在の偉大さがなくなった今、すさまじい悲壮感と空虚感の反動が続いてます、、 母親の為にも自分の残り人生幸せに歩んでいかないとって思いはわかるんです、、母親の元へ自分も後追いたいとか変な気も常にあり続けてますが、そんなのも悲しませるだけってわかります、でもとにかく今は悲しい、、