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「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答(Q&A)一覧

成仏できるのか

5年余りの闘病の末 62歳で主人が亡くなりました たくさんの病気を抱えながらの治療に 病院ドクター スタッフのみんさんには 細かい配慮も頂き 誠実に治療 対応して頂きました 病院で最期を迎えましたが 大量の吐血という その最期の姿が 余りにも壮絶で 今も 妻である私の頭から離れません 何度も恐ろしい 残酷な場面を思い出し 怖くて眠れません 結婚生活の中には しわせな事もいっぱいあったのに この最期の 悲しくかわいそうな姿に 今までの楽しい事も 全て奪われ消えてしまいそうです 病態のひとつであることは わかっています 精一杯ご尽力頂き 私も精一杯寄り添ってきたつもりです ですが 吐血をしながらも なにか言いたそうだったのに 言葉にもならず 私は聞きとることができませんでした 最期 主人が言いたかったことは なんだったのか 最期を看取ったのは 私だけだったのに 主人が言い残したかったことを 聞いてあげれなかったことが残念で 悔しくてなりません たくさんの方々に ご尽力頂き 大変大変感謝もしています 身体も限界で 充分がんばったとは思いますが もっともっと 生きたかったんだと思いますし 最期は 静かに迎えてほしかったです 壮絶な最期になってしまって 主人は成仏できるのでしょうか 大切な人を失うことを どのように捉えたらいいのか 妻である私は どのような心でいれば 主人は成仏できるのでしょうか どうかアドバイスをよろしくお願いいたします

有り難し有り難し 30
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祖父の死が信じられなくて苦しい

半年前、私をとても可愛がってくれていた大好きな祖父が亡くなりました。 80歳を超えていましたが現役バリバリで仕事をし、街の発展に尽力した人で、街の誰からも尊敬され、愛される、自慢の祖父でした。 私が小さいときには、公園に連れて行ってくれたり、一緒に昼寝をしたり。成人してからは、家に遊びに行く度に、様々な御説教をしてくれたり、小さい頃からの約束だった「祖父母と3人での海外旅行」をしたこともありました。 祖父は2年前に肺がんを患っていることがわかり、抗がん剤治療をしながらも、相変わらず街の為・人の為にと普段通りに生活をしていました。 私は今、仕事の都合で地元を離れて暮らしており、なかなか祖父母に会いに行く時間を作れずにいましたが、神社などで健康のお守りを頂いては祖父に送ったり、手紙を書いては電話で返事をくれる位に喜んでくれていました。 最後に会ったのは亡くなる3ヶ月程前で、その時の祖父は自転車に乗って威勢良く「仕事に行ってくる‼︎また遊びにおいで‼︎」という元気な姿でした。 ある日、母から「祖父が入院した」という知らせがありました。それまでに何度か検査入院などもしていたので、その時も検査入院か2〜3日で退院できる程度だと思っていました。 それから2週間後、「祖父が亡くなった」と連絡がありました。その時、大きな仕事を抱えていた私には、容態が悪い事を伏せてくれていたようです。連絡を受けて、とにかく必死でその日のうちに祖父の元に向かいました。 地元に着いた時には、もう祖父は棺の中で安らかな顔をしていました。祖父の葬儀でそこまで泣いている孫は見たことがないと言われる位に泣いて泣いて、泣きました。あの元気だった祖父の死が、半年以上経ってもまだ受け入れられません。 パパっ子だった私の母も、必死に前を向こうとしてはいますが、小さなきっかけで悲しく涙を流すのです。そんな母を見ると、私もとても辛く、地元には祖父の面影がありすぎるし、元気な姿しか想像出来ないのにどうして会えないんだろう…と苦しいです。 大好きだった祖父の死を受け止めるにはどうしたらいいでしょうか。 また、ありがたい事にとても仲の良い家族で、いつかは別れの日が来るのだと思うと辛くて悲しくて、その現実と向き合う事も出来ません。 前向きに明るく生きていくには、どのような心持ちで居ればいいでしょうか。

有り難し有り難し 24
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父の死 自分を責めてしまいます

先日 父が亡くなりました。75歳でした。 父は病気の為に1年前に右足を切断しました。その後の方針(義足を作るか作らないか)などで喧嘩をし 私はそのまま実家とは(母とも)疎遠になっていました。 実家から10分の距離に嫁いでいる私に 父が倒れていたので救急車を呼んだ。と母の友人から連絡が来ました。 搬送先の確認の為に消防署へ連絡しましたが、心肺停止の為 搬送はしないので 今すぐ実家に戻るようにと、促されました。 搬送しない=死亡という事を解ってはいるのですが 心と身体と頭とが全てバラバラになった様な感じでした。 家の事を子供達に頼み 実家に着いたのは40分も過ぎた頃でした。父は小さくなり倒れたままの姿でした。 悲しむ間もなくあっと言う間に葬儀も終わり 一人になる時間が出来ました。 すると、父の倒れていた姿が浮かんできて 涙が止まらなくなります。 父は亡くなる瞬間なにを思ったんだろうか。苦しかったんだろうか。幸せだったんだろうか。きっと寂しかったろうな。本当なら孫の顔を見たかっただろうけど、頑固だった父は私に電話も出来ずにいたんだろうなぁ。 父の友達が孫と暮らしたり出かけたりしているのに それを見ては後悔し哀しんだんだろうな。 義足だって反対せずに作ってあげればよかった。きっと前みたいに歩きたかったはずなのに、それすらも叶えてあげなかった私はなんて親不孝だったんだろう。どうして自分から寄り添っていってあげなかったんだろう。私はどれほど子供だったんだ。と悔やんでも悔みきれず もう少し早く駆けつけていたら父はたすかったのではないだろうか。とまで考えてしまいます。 父の人生を寂しい最後にしてしまった自分の行動を後悔しています。 父を毎晩のように夢に見ます。 父を亡くし10日が過ぎましたが、少しずつ身体が壊れているのかみ自分でもわかるくらいです。 私には守らなくてはいけない家族がいるのもわかっているので しっかりしなくてはいけないんですが、心と身体がチグハグでコントロールが出来ずにいます。 今の私は何をどうしたら良いのかわかりません。 助けて下さい。 乱文 お許し下さい。

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母を亡くして

去年の10月、母を大腸ガンで亡くしました。母はとても辛抱強い性格で何かあっても1人で我慢するタイプでした。その為いつも母に本当に辛い時やもうダメな時は必ず私に言いなよ!と度々言っていました。そんなある日、一昨年の5月のGW前の昼間に母から電話がかかってきました。お母さん、もうダメかも。そこから全てが変わって始まりました。家族みんなが治ると思ってました。まさか母が。まだ60代後半だし。これからじゃんて。手術をして抗がん剤治療もして去年の春頃までは全然元気そうだったのですが夏ごろからなんだか調子が悪そうだし時々遠くを見るような、楽しみがないって顔をするようになり。9月の末になって突然兄に母は1月の時点でもって半年だと聞かされていたと打ち明けられました。私と父はそこで初めてもう本当に母は長くないことを知りました。余命半年って。兄も言おうか言わまいかずっと悩んでいたみたいで責めることなんてできませんでした。でももう少し早く言ってくれてれば寝たきりになる前にもっと色々してあげられたのにと悔やみました。これを書いてると辛くて辛くて1000文字じゃ足りませんし読んでる人が分かりやすいように書けません。 父の寂しそうな顔を見ると胸が苦しくなります。もう動かなくなった母を見た瞬間の喪失感と言うか母がそこにいるのにいないようなさーっと引いた感情が忘れられません。亡くなる間際に私の名前を呼んで私がそばに行くとかすかに安心したような顔になっていたのを思い出します。亡くなる当日来る人来る人にありがとうと何度も言っていました。自宅の二階の見晴らしのいい部屋で。訪問看護も頼んでたので色々見たりアドバイスを貰って家族みんなで看てました。病室で亡くなる方も多い中、自分の住んでる家で亡くなるってことはお母さんは幸せなんだよと看護師さんに励まして頂きました。色んな人に励ましてもらい優しくして頂きました。棺に花を入れる時お母さんありがとね、本当にありがとね。とずっと嗚咽交じりに私は叫んでました。美味しいご飯が食べれることや、暖かい部屋で過ごせること、色んなことに感謝しています。みんな優しくて嬉しくてまた泣いてしまいます。でもなんで寿命なんてあるのかなって。なんで母のような優しくて面倒見が良くて素敵な人が早くに亡くなって私みたいなのが生きてるのか。成仏してほしいですがその反面思ってしまいます。

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娘の死を乗り越えるために

昨年11月に生後1ヶ月の娘を亡くしました。 お宮参りのために実家に帰省中、親子3人で川の字になって就寝。 朝起きた時には、マットレスから落ちて頭上にまとめてあった荷物で窒息し亡くなってしまっていました。 何故気付いてあげられなかったのか、何故頭上に荷物をまとめてしまっていたのか、色々なことを思い後悔ばかりの毎日でしたが、日に日に少しずつ心が落ち着き(自分の気持ちに蓋をしているだけかもしれませんが…)、死後1ヶ月経った頃から娘をお腹に授かってから亡くなる前日までの夢のような日々を思い出し、娘に兄弟を作ってあげたい、娘にしてあげられなかったことを次の子にしてあげたい、早くまたこの腕で自分の子を抱っこしたいと思うようにもなりました。 しかし、まだ1ヶ月しか経っていないのに次の子を…と考えてもいいものか悩んでいます。 次の子の前にもっと娘のことを思ってあげた方がいいのはもちろん分かっているのですが、次の子を授かることができたらまた違った気持ちでちゃんと娘の死と向き合うことが出来るんじゃないかと思うと早く早くと焦りが前に出てしまいます。 娘の死を乗り越えるために次の子を授かりたいと思うことは間違っているのでしょうか。

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昨年十二月に母が亡くなり、一月も経っていません

私は24歳の既婚女性です。 先月中旬に、母が癌で亡くなりました。娘の自分からみても、気遣いができて、料理も上手く、明るい女性だったと思います。 母が亡くなってから、実家は父と弟の二人暮しになりました。 それまですべての家事を母が行っていたので、二人共何がどこに仕舞ってあるかもわからず、掃除もままならない状態です。 今月二日に賑やかなのが好きだった母をおもって、新しい年を迎えての挨拶に、母のきょうだいや私の従兄妹たちが集まって楽しく過ごしました。 父と弟は、これから男二人で暮らしていくことについて、みんなから励ましのことばをかけられていました。 すると父がぼそっと、5歳上だけど彼女がいるから大丈夫、と言ったのです。 冗談なのか本当なのかは解りませんが、母が亡くなって一月も経たないうちに、そのようなことを言うのは配慮に欠けていると感じました。 周りに心配をかけないように放ったことばなのかもしれませんが、真偽は別として聞きたくない話です。 母が生きているうちに付き合いが始まったのかなどと考えてしまいます。 父であり、私の子供にとっては祖父です。 先を考えずにそのようなことばを放ったとおもうと、私の心が狭いのか、いまは父の顔を見たくないという気持ちです。 母が亡くなって、それだけでもつらいのに追い打ちをかけられた気分です。 心穏やかに過ごしたいです。

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祖母の死

先日祖母が亡くなりました。両親共働きだった私は幼少時から同居の祖母に面倒を見てもらっていて、筋金入りのおばあちゃん子でした。 せっかくおばあちゃんが99才まで長生きしてくれたにもかかわらず、生涯を通じて十分な恩返し、特に結婚して実家を離れてから10年ほどの晩年期は何一つおばあちゃん孝行しないまま、老衰で亡くなってしまいました。 孝行できなかったのではなく、孝行しようと思えば時間もお金もあったのに、なぜか、しなかったのです。実際におばあちゃんを亡くしてみてようやくことの重大さに気づき、底なしの恐怖と後悔を感じ涙が止まりません。 出来たことといえば、私が20代~30台前半のころに合計3回ほどおばあちゃんを短い旅行に連れて行ったこと、また嫁さんを紹介できたこと、ひ孫を見せられたこと、たまに顔を見せにだけ実家に行っていたことぐらいです。本当にそれだけです。生涯を通じて、おばあちゃんに感謝を伝えることはおろか、語り合うようなレベルの会話は一度もしませんでした。 40才前後にもなって、また実際に祖母を亡くしてみて初めて、このような重大なことに気が付くような大馬鹿愚か者の自分に嫌悪の極みです。 子供のころはおばあちゃんを大切にしなければと強く意識していて、おばあちゃんが死んだりしたらどうしよう大変だと子供心に恐怖していて、その気持ち自体は持ち続けていたつもりなのに、今思えばどうでもよい仕事や付き合い、自分の楽しみなどを優先し続けてしまったこと、また老いが深まっていくおばあちゃんを見ても、死を間近にしたおばあちゃんを見てさえも、本当に死ぬこととなぜか結び付けられていなかった自分の馬鹿さ間抜けさ加減に、本当に自己嫌悪しかありません。 後悔したところで文字通り取り返しがつかないこと、他の質問を参照して、おばあちゃんにできなかった恩返しを両親や身近な人にしていくしかないことも理解しているつもりですが、心が散り散りすぎて思わずこちらに記載させていただいている状況です。 質問になっておらず申し訳ありません。

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父の死が受け入れられません。

先日父が急死しました。 犬の散歩に行くと家を出て敷地から出るか出ないかのところで倒れてそのまま亡くなりました。 一言も話すこともなくいってしまいました。 母と祖母と4人で生活していたのに、いつも一緒に寝るまで同じ部屋でみんなで過ごしていたのに、そこに父はおらず仕事から帰ってくる時間に帰ってこないこの生活がまだ信じられません。 真面目な話など今まで大してしなかったので父に私をどう思っていたのか、いい娘でいられたか、 父の娘で幸せだったなど伝えたい言葉、聞きたい言葉は来年結婚式の前日にゆっくり話をするつもりでした。 後悔ばかりでいかに自分が父に甘えていたか、いかにダメな娘だったか、、、考えると後悔ばかりです。 父の死は頭では分かっているのですがどこかでまだ受け入れられず、、、 でも亡くなるまでの父の姿を思い出してはやっぱり亡くなってるんだと実感しなんともゆえない感情でその場から逃げ出したくなり辛くて父に手を合わせることさえ辛いです。 父の人生は幸せだったのか、近くにいるなら教えて欲しいのに私に父を感じる事ができず傍にいてくれてるのかさえ分からないダメな娘をどう思っているのか。 こんなこと思いながらも声も仕草も思い出せなくなるのかなと思うとそれもまた悲しくてどうすればいいのかわかりません。 父に会いたくて会いたくて毎日が辛いです。 こんなでは父がいいところに行けないのではと思いつつもどうしても色々思ってしまいます。私の気持ちは父にはいい事ではないのでしょうか。 私たち家族を父は見てくれいるのでしょうか。 急すぎて自分の死が分かってるのかも心配です。 いつか私が父の元に行ったらまた父に会えるのでしょうか。 もし来世があるならまた父と母の娘にもしくは父と母を守る立場でまた一緒にいたいです。

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