はじめまして。 今年女の子の双子を出産し、生後3ヶ月で1人を亡くしました。 妊娠中から様々なトラブルに見舞われ、緊急帝王切開で早く産まざるを得ませんでした。 かなりの早産だったため、2人とも1000g満たない小さな赤ちゃんでした。 出産直後は誕生してくれた喜びよりも、こんなに小さく産んでしまった自分を責め、この子達は無事に大きくなれるのだろうかという不安でいっぱいでした。 2人ともNICUでしばらくお世話になったのですが、長女はすくすくと大きくなり2ヶ月ほどで退院することができました。 次女はなかなか思うように大きくなれず、手術も何回も繰り返し、結局NICUを出ることなく亡くなってしまいました。 次女が亡くなった直後は、生きている長女のためにも頑張らなくちゃという気持ちで無理をしていたのかもしれません。 しかし、四十九日を過ぎたあたりから実感が湧き始め、慰めのつもりでかけられる言葉が胸を突き刺さるようになりました。 今では人に会うことが怖くなり、外に出ることもできなくなってしまいました。 元気に育ってくれている長女のためにも、一生懸命生き抜いた次女のためにも、私はしっかりとこの世を全うするつもりです。 しかし、毎日次女を思っては涙が止まらないんです。 何で他の赤ちゃんではなく次女だったのか。 私には2人を育てる器量がなかったのだろうか。 何でもっとお腹で大きく育ててあげれなかったのか。 一人で寂しくしていたらどうしよう。 いつも私たちと一緒にいてくれてるのだろうか。 また会えるのだろうか。 こんなことばかり考えてます。 次女を亡くした悲しみを乗り越えるつもりはありません。 乗り越えたいとも思いません。 ただ次女がどうしているか知りたいんです。 お願いします。
四ヶ月前、婚約していた彼が突然亡くなってしまいました。 とても長く辛い日々ですが、家族や周りの人のおかげで、少しずつ笑顔で過ごせるようになってきています。 辛いことですが、彼のご家族とはお葬式告別式で初めてお会いしました。ご家族の悲しみは想像もできない程だと思うのですが、私にも気遣っていただきとても感謝しています。 二ヶ月程経ったころ、ご家族の方からお家へお参りにとお声掛けいただきました。しかし、私自身の心の弱さ、また彼の死を現実の事にしたくない気持ちから、もう少し時間をいただけるようお断りをしてしまいました。 今月には納骨されるそうです。 まだまだ私の気持ちは以前のままですが、お骨になった彼をきちんとお参りしないといけないとも思っています。 彼のご家族にも失礼な事をしてしまっている気持ちもあり、どうして良いのか分からず、こちらに質問させていただきました。 どうぞよろしくお願いいたします。
いつもありがとうございます。 お坊様 命とはなんでしょう。 娘が逝って、もうすぐ丸三年です。 一周忌、三回忌。 今年は、何もない命日です。
1ヶ月に母を癌で亡くしました。 父も20年前に癌で亡くなっています。 心の中は寂しさと哀しみでいっぱいで、胸をグッとつかまれている様な感覚でとても苦しいです。 両親ともに、まだ年齢が若かったので、もっともっと長生きして欲しかった。一緒に居たかったと言う思いがあります。 母が亡くなった時に、知り合いの方に『お母さんの仏様から頂いた命はここまでだったんだよ。』と言われました。 母が自分の余命を聞かされた時、こう言っていました。この世に生まれたからには、一度は死なないといけない。必ず一度は別れが来る。そして、生まれた時から、その人の『いのちのながさ』は決まっているんじゃないのかなぁと…。 世の中には、色々な人がいて健康に気を付けて生活していても病気で亡くなる人もいれば、不摂生をしていても長生きする人もいる。 そう思うと『仏様から頂いた命のながさ』『その人のいのちのながさ』と言うのは決まっているのかなぁと思い、頭の中では納得しようと思っても、やっぱり心はついていけず、父が亡くなった事も、母が亡くなった事も、まだまだ若かったのに『何で死んでしまったの』と思ってしまうのです。 両親の死を受け入れ、哀しみを乗り越えるには一体どうしたら良いのでしょうか。
こんにちは 私は24歳の京都在住の者です。 以前から当サイトを拝見させていただいており、今回どうしようもない悩みが出来てしまったので、ご相談に伺いました。 昨年、実家に住む母に癌が見つかり治療を行っていました。 手術はしたものの、後の検査で転移が見つかり、母は延命治療はせずにゆっくり過ごそうと思うと先日私に連絡をくれました。 それを聞いて現在京都で生活している私は、即座に退職をするなど帰省の準備をして10月末ごろに引越し予定になりました。 いつかは来ると思っていた母の死を考えつつも、その先の不安が溢れ出てきてしまい、夜もあまり眠れない状態になってしまってます。 引越し準備の不安、無職になる不安(帰省次第転職活動はします)。母が亡くなるという悲しみと、親孝行してあげたい気持ち。そして、母がなくなってしまった後私は立ち直れるのか… 寡黙な父と二人で、うまくやっていけるのか…父も亡くなったら、私は一人になってしまう… 今考えてもしょうがない問題ばかりですが、夜眠るとき、ちょっと気が抜けたときに胸の底から不安がどんどん溢れ出てきてしまいます。 このような気持ちでは周りの友人や親戚に心配をかけてしまう… でも、とても辛く、涙が所構わず溢れそうになります。 文章がまとまっておらず、大変申し訳ありません。 もし助言をいただけるのであれば、皆様の意見をお聞きしたく、質問させていただきました。 是非よろしくお願い申し上げます。
すべてが嫌です。 先月、うつ病だった彼女が亡くなりました。 家族は早く元気出せといいます。 周りの事情を知らない人は(当然予想もしてないと思うので)何かあったのかとズケズケと聞いてきます。 以上より人と接しているときは立ち直ったふりをしなくてはいけません。すごく疲れます。 一ヶ月そこそこしか経ってないのにそんなことをする自分が嫌いです。このような状況を強いる世界が嫌いです。何もかも嫌です。 全てにイライラします。 ネットなどでイライラの対処を調べても、うつ病などでは?のような安っぽい記事ばかりで辟易します。彼女を亡くした原因でもあるうつ病という単語をみるだけでも嫌です。 人と会わないように家にいると生産的でない自分に嫌気が差します。外に出ると彼女との想い出、これからの将来を考えてしまい、絶望的な気持ちになります。 平日は行きたくないですが会社に行きます。 早く休日になってほしいと思ってますが、休日になったところで何も楽しみはないし、辛いだけです。 どうすれば良いですか? 私も死んだほうがいいですか? 別に死んで彼女の元に行きたいとは思っていません。どうせ会えないと思うので。 ただ、希望が持てません。 この世界が嫌になったとき、どうすれば良いのですか? 時間が解決する…という回答は申し訳ありませんが理解はしています。その時間を過ごす間何をすればいいのかを知りたいです。
先週愛する方を亡くしました。 通院時に病院で倒れてから入院生活を送り、眠るように息を引き取ったそうです。 朝焼けの綺麗な、とても涼しい日でした。 私と彼はいわゆる不倫の関係で、ご家族は私の存在は知りません。 倒れてからのことは、ふたりの事を知っている上司が教えてくれ、告別式にも同僚として参列出来たのですが…。 告別式が終わっても、気持ちの整理がつきません。気がおかしくなりそうな、心をもぎ取られてしまったような。 彼とは仕事を通じて親しくなり、10年間公私共に私を支えてくれました。 あまのじゃくで子供っぽい私は、しょっちゅう彼を困らせてばかりでした。嫉妬して拗ねて『別れる!』と何度言ったか。 その度に『そんなこと言ってー』とか『何かあったの?』なとど、私を落ち着かせてくれるような人でした。 たまには『いい加減にしろ』と怒ってくれたりもしました。 彼も他の人には言わないようなグチも話してくれていたようですし、食事を作ったりプレゼントを渡すと嬉しそうでした。 でも今年になってからは会う時間もとれず、彼を気遣うこともなかなか出来ずにいました。 それどころか、いつものように感情をぶつけてしまって。『他の人と付き合う』なとどバカなことを言ってしまったり。 最後に話をしたときは、ふざけあって楽しかったのですが。仕事の合間ということもあり、『ハグしたい』という彼の願いも叶えられませんでした。 その数日後に、倒れたという連絡。体調が思わしくないと検査を受けた冬から、半年もたっていないのに。 本格的な治療も、これからというところだったのに。 彼が必死に頑張っていた様子は、上司の話からも伝わってきました。 頑張ったねとありがとうと楽しかった想いを、告別式には伝えたのですが。 これまでの自分の愚かな言動も悔しくてなりません。もっとしてあげられたこともあったのに。 あんなこと言わなきゃ良かったということも多くて。1人になると、泣いてしまうばかりで、これからどうしていくことが良いのかわかりません。 関係ゆえにお墓参りや(場所もまだ知らないのですが)、初盆に伺うことも出来そうにないのも不安です。 愚かながら私ですが、どうかお助け下さい。 長文失礼しました。
初めて質問、失礼致します。 こういう場所への投稿も初めてで、無礼がありましたらお許し下さい。 ずっと一緒に暮らした高齢の実母を癌で亡くしました。 私の判断で、告知も延命治療もしませんでした。私自身も癌を経験し、その時の絶望感を年老いた母にさせたくないと思ったからです。 高齢ということもあり、母の性格も考え、主治医の先生も、「余命を穏やかに過ごす」のもアリですと、快諾して下さいました。 旅行に行ったり、ぶざけあって笑ったり、楽しく暮らした数年間でした。 癌とわからなかったら出来なかっただろう良い思い出を作ることができました。 でも、ふと、、本当は私の気持ちが弱く、母が苦しむ姿を見るのが恐かったから、知らせなかったのかもしれないとも思うようになり、、。 自分のしたことに腹を括れない弱い私。 そろそろ前を向いて歩きたいのに、踏み出せない弱い私に、喝をいただけたらと思います。 いい年をしてお恥ずかしい限りです。 心身ともにかなり凹んでます故、出来ればお手柔らかにお願い申し上げます。
はじめまして。私はまだ30前後ですが遅い子の為、両親が二人共70近い高齢です。 先日、実家の父が脳内出血で倒れました。不幸中の幸いで、命に別条はなく身体も動くようで、今は言語のリハビリをしています。 父と母に死なれたら、と思うと、気が狂いそうになり、どのようにこの気持ちを落ち着けたらいいのかわかりません。また、私からすると姪や甥、母からすると孫を可愛がっている様子を見ても、嫉妬の気持ちが湧き上がるのです。小さな子に対して。私はおかしいのでしょうか。 夜になると悲しく、朝起きてすぐも悲しく、どうしたらよいか分かりません。テレビを見て遊園地が出てきたら幼い頃父と二人でジェットコースターに乗ったことを思い出し、もう今の父とはジェットコースターには乗れないんだと思うと涙が止まりません。 取り留めのない文章になってしまい申し訳ないです。
高校二年生の時に母親がガンで亡くなってしまい 今も何事においても無気力になってしまうのです 僕は母親が大好きで今日一日あったことを母親に言ったり してたんですがそれもなくなり家で僕は会話が減りました。 どうにか前向きになれるような考え方などありませんか?
昔、勤めていた会社の上司がなくなりました。 新聞で知り、でもまさかでご自宅に電話をしました。 やはり私の知る上司でした。 生前、私のことをご家族に話していたそうです。 ひとり、そう思っていたけど、ひとりではありませんでした。
私の生き甲斐であった母が、先月急に亡くなりました。 今までひと月に一度のペースで大きな病院にもう十数年もかかっておりましたし、普段の通院でも特に問題ないとの事でしたので、いつも自分の事(痛い苦しい辛い)を殆ど口にしない母が珍しく異変をうったえる事もあったのですが、年齢的なものもあるのだろうと思っておりました。後で考えてみると昨年秋頃から『しんどい』という言葉も増えてきていたように思います。でもその時も、主治医に『この数値でしんどいはずはない。大丈夫!気のせいや。』と言われ、その言葉を信じ特に検査をする事もなく日常過ごせておりましたし、4月のお誕生日には家族で旅行も行きました。 GWが明けて念の為にと受診したところ、末期の癌でもう手の施しようがなく余命二ヵ月と告げられました。 その二ヵ月を満たずして母は亡くなりました。あっという間でした。 母の病院関係や健康管理、身体の事に関しては本当に今まで心配で心配で異常なほど気を配ってきたのに…こんなに大切にしていた人の、これほどまでに最愛の人の、見る見る弱っていく姿を、病に侵されて苦しみ息絶えていく姿を、手を打つ術もなくただただ見ている事しか出来なかった日々は、この脳裏から消える事はなく日に日に罪悪感と喪失感に押しつぶされそうになり、このまま後を追えたらと思っています。 普段偉そうに『母さんの健康は私が守る!』と母の思いは二の次で自分の思うように引っ張て来た…結果がこれかと…。どうして母の信号に気付く事が出来なかったのか…。私を信じ、私に遠慮をしてなかなか自分の意見を言う事もなく身を任せてくれていた母に、最期まで事実を伝える事も出来ず頑張らせてしまった…。最低な親不孝者だと思います。昔からあまり贅沢をしてこなかった母を喜ばせたい一心で生てきました。これから親孝行が出来ると思っていました。 家族での旅行や外出をする度に『いつか罰があたる。』と言っていた母の心意も気になります。母の意思と反して私が勝手に母に色々してきた事が、その私の『欲』が『罰』となって、何かを悟っていた母が連れて行かれたのでしょうか…。そのように思えて仕方ありません。 母は今どう思っているのでしょうか…。 これほどまでの地獄はありません。母と同じくして、私自身も死んだも同然です。 『死』とは何でしょうか…。どうかご教示ください。
6年半つきあい 半年娘たちと4人で暮らした内縁の夫を突然死3年前に亡くしました。 45歳でした。 家族として暮らしはじめて半年、一番楽しいとき、これからだというときでした。 最後の別れも家族でテレビを見ながら涙が出るくらい笑いました。玄関まで見おくりちゃんと目をみていってらっしゃいと言いました。 両親を亡くしてて姉弟さんとも疎遠だった彼の最後は私しか知りませんでした。 なので事実上の喪主、四十九日もお骨を預り、 突然の心不全、誰も彼の最後を見ていないし寝たままの状態のようだった彼の亡骸をみて、彼は亡くなったこと気づいているのか?心配になっていたとき、亡くなり司法解剖にも時間がかかり、お通夜の朝、私と二人きりだったとき、死後4日はたっていたのに涙を流してくれました。それが彼の精一杯の合図だったと思っています。 気づいている。いきなりごめん。そう伝えてくれた気がしてるので、私がこの世に生まれた意味は彼をちゃんと見送ることだったんだと思い全てをお骨をお墓に埋葬するまでしっかりやりとげたと思っていますし、後悔はひとつもありません。 さらに半年と言う短い内縁関係だったにも関わらず、遺族年金をいただくことができました。 それも彼が私が死ぬまで私を守りたいという気持ちの現れだと思っています。 ただそう思うことで私じたい前に進んでいいものなのか? 私も40代後半。最後まで彼を思いながら一人でいるのもよしと思う私と、一人では寂しいという私がいつも交差しています。 そして、彼とのことが私が生まれてきた意味だとしたら、これからさき私はなんのために生きるのか。その繰り返しで3年。 ほんのすこしだけ彼を思いでとして思えるようになってきた気がしてる今日この頃ですが、いまだ生きる意味が見つからない毎日です。 私の今の苦しみ悩みを彼のせいにはしたくない。 ここからは私自身の人生を歩けばいい。 そう思ってはいるものの、いつも出られないトンネルのなか、充実感もないまま過ごしています。 大好きなまま、きっと大好きでいてくれたまま離れてしまった彼のことを私はどう思って生きていけばいいのか?何をもって立ち直ったとあうのか教えていただきたいと思いここに書かせていただきました。
こんにちは。 私は7月に出産予定でしたが、胎児に原因不明の腫瘍が発生し、 治療のため5月に緊急帝王切開をしましたが、2時間後にお空に還ってしまいました。 初めての妊娠(自然妊娠)、かつ高齢出産で不安でしたが、 安定期まで順調に育っていたため、一安心していた矢先の出来事でした。 四十九日も過ぎて、嵐のような悲しみは少しずつおさまっては来たのですが、 どうして?という疑問が頭から離れてくれません。 どうして私の子供だけこんなことに... どうして来てくれたのか... どうして還ってしまったのか... 還ってしまうなら、どうして来たのか... 考えても考えても答えが見いだせず、 いまでも信じられない気持ちでいっぱいで、 前を向いて生きていかないといけないとは思いつつ、 子育てをしていたはずの人生を失ってしまって、 他の何をする気力も湧いてきません。 死産をどう受け止めればいいのでしょうか。 早く立ち直りたいという気持ちはあります。
こちらで、過去に3度ほど助言を頂いております。 ありがとうございます。 シングルで育ててきた一人娘が、突然の事故で亡くして2年が経ちました。 三回忌を終えて、今もまだ気持ちが落ち着かない日々を送っています。 毎日眠れない日を送って、仕事もできなくなりました。 気分を変えて外へ出るも、目に飛び込んでくるのは娘と同じくらいの仲の良い親子ばかり見えてきます。うちも親子以上に仲の良かったから、もういないんだと思うと歩いていても涙が出てきます。 仲の良かった友達も、だんだんと離れていき孤独さえ覚えます。 身内は頼りなく、一緒に寄り添う事もしてくれません。 時に身を投げてしまったら、どんなに楽か…と考えてしまいます。 生き甲斐もなく、趣味も仕事も持てません。 この先、自分の老後も心配です。 この悲しみを引きずったまま、生きていかないといけないのでしょうか? これまでも、たくさん辛い思いをしてきています。 今度、生まれ変わったとしても またこんな悲しい人生を歩くのでしょうか?
はじめまして。 先日、二年前に母と離婚して以来疎遠だった父が危篤との連絡があり、その翌日に亡くなりました。 父は昔から怒りっぽく乱暴で、母と兄は大変な思いをしていました。 しかし末っ子長女の私にだけは甘く、私も小さいときはお父さんっ子でした。 しかし、大人になるにつれ、母と兄への当たりの強さに嫌気がさし 父とは離婚の三年前ほどから、ほとんど会話もしていませんでした。 その後離婚が決まり、父を家から追い出す形で疎遠となりました。 先日までずっと父を恨んでいました。 家族の人生をめちゃくちゃにした男だと。 父は大家族の末っ子でしたが、幼いときから家族に迫害され続け、家族と絶縁するために 母と結婚するときに婿養子となったそうです。 私や兄の父親として、母の夫としては未熟でした。 しかしそれは父の生まれ育った環境のせいだったのではないかと思います。 それでも先日までは、今までの恨みが消えず、死んでも何も思わないだろうと思っていました。 しかし病院で息絶えた父と再開し、主治医から二年間のことを聞いたとき、 なぜ生きているうちに会ってあげられなかったのか なぜ離婚前に父の苦悩を受け止めてあげられなかったのか 後悔が押し寄せてきました。 何度も涙が出てくるのです。 父はこの二年間、体も精神的にもぼろぼろで、働き口もなかったようで生活保護を受けていました。 私は一人、亡くなった当日に病院へ駆けつけ、父の身支度を手伝い、病院から直接葬儀場に送っていただくのを見送りました。 その時立ち会ってくださった看護師さんが父にかけた「娘さん来てくれて嬉しいね」の言葉が心に突き刺さり抜けません。 その感情が来てよかったの気持ちなのか、間に合わなかった後悔なのか、たった一人苦しんで旅立った父を哀れむ気持ちなのかわかりません。 数日後には火葬されるので、その日も行く予定です。 しかし遺骨などは色々な事情により引き取りができないため、父は無縁仏になります。 ずっと孤独に戦ってきたであろう父。 父は私を家族を恨んでいるでしょうか。 身寄りのない父を家から追い出したこと、 一度も連絡を取ることなく、死に目にも会えなかったこと、 死んでもなお一人にさせてしまうこと。 そして私は父の死とどう向き合っていけばよいのでしょうか。
6月末、弟が突然死しました。 聞いた時は『嘘でしょー』『人違いでしょー』と信じられませんでした。 弟と対面した時、本当だったんだ…と弟の顔をなでながら涙が止まりませんでした。 私は早くに実家を出て暮らしていました。 弟と会うのは帰省した時くらい。 付かず離れずの距離で仲は悪くなかったと思います。 私の家にも遊びに来てくれたりもしました。 いろいろな思い出がよみがえります。 弟が亡くなった…。 私には兄弟がいなくなりました。 兄弟がいなくなるなんて想定外。 考えもしなかったです。 もっともっと弟と話したかった。 一緒に両親を看取りたかった。 弟を思うと、とめどなく涙がこぼれます。 弟はまだ40代。 やりたいことがいっぱいあっただろうに…。 結婚もしたかっただろうに…。 両親の目は私に向いています。 私が面倒をみなければいけなくなりました。 この重圧。 そしてこの哀しみ…。 背中に重いものを背負ってしまいました。 ご飯が喉に通りません。 私はこの背中の重いものを背負っていけるのか不安です。 恐怖さえ感じます。 私にも家庭があります。 家族に迷惑をかけたくはありません。 肉親が、兄弟が亡くなることがこんなに悲しいとは思いもよりませんでした。 まさかの出来事だったのでなおさらです。 とても辛くて悲しいです。 生きるのさえ辛くなってきました。 日に日に哀しみは深くなっているような気がします。 私はどのように生きていけばいいのでしょうか。 弟にしてあげられることはなんでしょうか。 私に力を下さい。 よろしくお願いします。
最近一人暮らしを始めました。 もともと体が弱いのと色々と考えてしまう性格のせいで、一人暮らしで自分の身に何かあった時に助けてくれる人がいない、その状況にただならぬ恐怖を感じてしまいます。 また、それよりも怖いのが身内の死です。 小学生の頃から身内が死んだときのことを考えると恐怖で涙が止まらなくなり、親の元へ駆け込んで落ち着かせてもらうということを度々してました。 今、親元を離れている状況で、ふと、今身内が危険な目に遭っていたら………と考えてしまうとどんどん悪い方向にしか考えられなくなり、ひどい時だとパニックを起こしてしまいます。 考えなければいい、という話ではありますが、体調を崩しているとき、気持ちがナイーブになっているとき、何か近場で事件が起きてしまった時など、スイッチが入ってしまうと考えるのが止まらなくなってしまいます。 今の精神状態だと、私は、親が亡くなったら確実に後を追ってしまうでしょう。 こんなことを考えてしまう私の心は弱いのでしょうか? 何か割り切って心を落ち着かせる方法などありませんでしょうか? 乱文での質問大変申し訳ありませんが、ご教授いただけたらと思います。 何卒、よろしくお願いいたします。
第一子となる息子を妊娠7ヶ月で出産し亡くしました。 息子は病気でした。手術はできない事や自発呼吸ができない事など色々な話をされました。 息子は数時間の命でした。 今になりあの時の選択は間違いだったのではないかとか、もっと息子にしてあげれる事があったのではないかと悔やんでいます。 主人や両親が寄り添ってくれ、ご飯を食べ眠り笑える生活ができます。 ですが、息子を思うと苦しく未来が見えません。 死んでしまいたい、死んだら息子に会えるのでは?と考えますが自殺すれば息子に会えないと思う考えもあります。 息子が亡くなったから自殺したなんて言われたくもありません。 人生を全うし息子に笑顔で会いたいと思うのに苦しいです。 私が母親じゃなければ息子は元気に生まれていたかもしれません。 もう一度息子を抱きしめたいです。
こんにちは。 今日は父方の祖母のことについて聞いていただきたいことがあります。 祖母が亡くなって25年程になります。 祖母は信心深い人で、近所の薬師堂に朝夕おまいりするのが日課でした。 私も小さい頃は一緒におまいりしていたとこもありました。 家のお仏壇にも毎日手をあわせて読経をあげていました。 とても優しくて声を荒げない人でした。 そんな祖母も病気を患い、入院することとなりました。 私は当時社会人二年生で、なかなか会社に馴染めずにいて、お見舞いに行くのは金曜日の帰宅時とか土日の休みの日くらいでした。 祖母が眠ったままになる前、最後にお見舞いにいった帰り、祖母は階段の上から私が帰るのをずっと見送ってくれました。 「もういいから、病室戻って?」 と言ったとは思うのですが、ずっと見ていてくれました。 そしてその後、祖母は眠ったままになりました。 眠ってあまり日にちも過ぎずに他界しました。 それは土曜日の早朝。父は長距離運転手をしていたので遠方。家にいた他の家族はまだ寝ていました。 病院からの電話で、母と二人でかけつけた時には、すでに息を引き取っていました。 何回目かの法事の時、叔母から不思議な話を聞きました。 「私がお見舞いに行ったらね、指を折りながら何かを数えていたのよ。きっとおばあちゃんは、誰も会社や学校を休まなくてもいい日を選んで亡くなったんだよ」 そうなんです、お通夜は土曜日、葬儀は日曜日、四十九日も休日でした。一回忌ももしかしたら、休日だったかもしれません。 この話を聞いた時、うちのおばあちゃんだったら、そのくらいのこと考えていたかもしれないと思いました。 私が帰っていくのをずっと見ていてくれたのも、きっと自分の死期を悟っていたからなのかもしれません。 ただ悔いが残っているのは、亡くなる前日の金曜日、仕事帰りにお見舞いに寄ろうかどうしようか迷って、結局寄らなかったのです。 「明日行けばいい」 そう思って。 それと祖母は誰にも看取られず、一人で旅立ったことをどう思っていたのでしょう。もう少し待っていてくれれば、という思いと反対に、自分の最期の姿を見せたくなかった祖母の優しさだったのかもしれないとも思うのです。 祖母は今、仏様のおそばで穏やかにしているのでしょうか。苦労の多かった人なので、穏やかだといいと思います。 長文失礼しました。