こんばんは。 日々戦況が悪化し、報道に占める地政学リスクの比率が増えています。 SDGsは食糧安保に比重が移り、防衛費の増大は当たり前のこととして世の中に受け入れられているように見えます。 タモリさんが新しい戦前とおっしゃったことも話題になりました。 こうした出来事を日々感じると心から悲しく、不安になります。 戦争を抑止するためになにかしたいと思い探しても、ウクライナを支援するという方向では様々の手段が出てきますが、戦争反対、日本の軍備拡張への反対ということはなかなか出てきません。 日米安保に期待できないことや、リスクの増大はわかるのですが、私の育ってきた価値観では、平和を希求し続けることが最大の抑止だと思ってきました。 宗教家や個人は平和を祈るために何ができるでしょうか。 残虐な被害状況をきくとおそろしく夜も眠れません。 もしかしたら来年の今頃はこうして穏やかに過ごしてはいられないのではないかとか、自分の親しい人たちが死んでしまうことや、自分が家族や家を失う姿が目に浮かび、胸が締め付けられます。 戦争の回避は抑止力が全てではなく、外交的な努力が第一です。 自衛のために仕方がないという世論が強ければ、戦争がより近づいてしまうと思うのです。今の風潮ではそうしたことを言いにくい雰囲気を感じます。 平和を祈る人たちとささやかに繋がりたいと思っています。 どうすればそうした方々とお会いできるのか、祈るとはどういうことか、お言葉をいただきたく、書いてみました。
災害や大事故の遺族はなぜあんなに故人に執着するのかとふと疑問に感じました。あの様子だと故人は成仏するどころか、遺族を見たら浮遊霊や呪縛霊にならないか心配になりました。 私は死を受け入れ、故人に手を合わすことで、時と共に故人がいなくなった悲しみが癒え、苦しみが和らぎ、故人との思い出が刻まれるものと思っています。私は10年前にガンで母を亡くしているので体感的にそう感じます。しかし、遺族を見てると様子が違う気がします。 確かにある日突然、大切な人が亡くなったという悔しさ、悲しさなど色々な感情が複雑に起こってくるのはわかります。でも、ある日突然…ということであれば交通事故、心筋梗塞、脳梗塞も災害や大事故と同様、瞬間的にもしくは数時間で死へ向かうという状況は遺族にとっては同じだと思うんです。 私は阪神淡路大震災の時は14歳で尼崎で被災しました。今年防災センターへ行き、尼崎と神戸では全く状況が違ったこと改めて理解しました。その後1.17の集いの会場にも行きました。尼崎と神戸は被害状況違ったと言われたらそれまでですが、追悼、鎮魂のために祈る人が穏やかに時を過ごすのと同時に執着、執念そういうものも感じました。そして、福知山脱線事故の時と同じ感じがしました。この事故の時は家で掃除してました。13時にテレビつけたら特番流れてて「え?これ何?プラレール?(電車模型のおもちゃ)」って思うほど状況把握できない映像が流れてました。私は現場とは一駅違いです。救急車の音がずっとしていたのを覚えてるし、ニュースで死者数がどんどん更新される怖さを覚えてます。そしてあのマンションが保管されると尼崎なり、JRが結論出した時は驚きました。もう見たくないという遺族、マンションや地域住民もいたのに保存派が粘り勝ちしました。これに関してはJRの初期対応の悪さなど遺族感情を逆撫でするようなことがあったので遺族が怒りをあらわにしたのもわかるのですがニュース見てたら故人追悼よりもやり場のない怒りの矛先を故人を盾にどこかにぶつけているようにさえ感じました。 当事者しかわからないことがあるのはよくわかってますが、こういう状況って故人は安心して成仏できるのだろうか、また追悼施設や追悼会場があることで成仏できない霊が集まって余計に成仏できないとなると本末転倒です。 お坊様や和尚様ならどう考えるか教えてください。
ネットやテレビで殺人や災害、戦争などをはじめとした暗いニュースを過度に気にしてしまいます。特にネットニュースは不安を煽る記事が沢山あって考えるだけ無駄だと分かっているのにそれを覗いてはずっと暗い想像をしてしまいます。この癖をやめたいです。
コロナ以降の自粛生活・不況による経済苦。何よりも戦争が近づいてきているのではないかと言う大きな不安に襲われています。眠れない・食べられないと言う状況が続き参っております。 今日で3日間寝れず食べられずの状況です。どう対処すればよいのかアドバイスいただけますようにお願いします。
先日、NHKで『戦禍のなかの僧侶たち〜浄土真宗本願寺派と戦争〜』という番組が放映されていました。 日中戦争、太平洋戦争の戦時下の動員に仏教自らも(当番組では対象を同派としていましたが、国民総動員法の元ですので宗派に関係はないと思います)戦争に加担してしまった、その実態を取材した内容でした。 77年前のはいえ、生々しい出来事の記憶です。 一方、日本史という仏教が伝来し、今日に至るまでの長い目で見たとき、お坊さんはある時、僧「兵」でもありました。また、信仰のため、民衆のため、中々アグレッシブな姿になる事もあったと思います。 私は、仏教については高校の教科書程度の知識しか持っていませんが、印象としては「穏やかな宗教」といったものです。 例えば、キリスト教やイスラームには「聖戦」という教義がありますよね。 では、仏教ないし仏教徒が「戦う」とき、戦いを「是」とする考え方はあるのでしょうか? もちろん、それぞれの事象の背景には「そうなる経緯」があります。ですので、一概には言えないと思いますが、こんな考え方、こんな教義があるというものがあれば、宗派関係なくご教示願いたいです。 あと、これは愚痴?ですが、いつも戦時下の鉄の供出にはがっかりします…お寺さんの鐘もさぞかし由緒があったろうに…。 お忙しい中とは思いますが、ご回答をよろしくお願い致します。
お忙しい中申し訳ございません。 タイトルの通り、最近の国際・政治関係のニュースに疲れを感じています。 最近は戦争等、不安になるニュースが多く、ネットで詳細を調べる事が多くなりました。 ネットは情報量が多いので、気になるニュース、関連情報と調べていくと、どんどん不安になります。 その上、コメントや動画等を見ると、この情報は嘘をついている、いやそれは陰謀論だ、と何が真実なのかわからなくなります。 色々調べた上で、最終的には「私には何が正解かわからない」と考え、不安になるだけならニュースを見ない方がいいとなるのですが、次は「日本人はお花畑」という言葉が頭を過ります。 このように、ニュースを見て調べ、疲れて見るのをやめてモヤモヤする、という日々を繰り返しています。 全く情報を見ないというのもどうかと思うので、ニュースは見た方が良いかと思うのですが、暗いニュースを見ても、不安にならずに前向きに過ごすには、どう情報と向き合えばいいのでしょうか。 色々調べたところで、結局何かが変わることもなく、変えられることもないとわかっているのですが、気になるニュースが目に入ると調べてしまいます。 情報から自分の答えを出す能力がない事が問題なのでしょうか。 そもそもネガティブなニュースを見ても前向きに、というのは難しいというか矛盾しているかもしれませんが、モヤモヤせずに前向きに考えられる方法、心構え等、ご教示いただければと思います。
初めて質問します。私は最近、電車内での接触や故意の暴力がつらく、抗不安薬を頻発に飲んでなんとか不安の発作を抑えています。接触や暴力というのは、故意に自分にもたれかかること、胸を枕にされて眠ることを何日間もされたり、「次は○○駅です」というアナウンスがなり、降りるためドアに近づいただけで何か喚かれ、肘で思い切りどつかれました。前者は声をかけてもやめず、学生だったので学校の方に連絡して故意ならやめてほしいと伝えました。後者は突然のことだったので、心臓がバクバクし震えも止まらず、呼吸もおかしくなりそうでしたが、目も合わせず何もなかったようなフリをしてなんとか降りることができました。最近老若男女問わず、このようなことをされる機会が多くて、電車への苦手意識がより高まりそうで怖いです。少なくとも今は電車に乗らなければ通勤できないので、他の手段は取れない状況です。やり返したり言い返したりするのではなく「気にしない」「関わらない」のが一番だとは思うのですが、平常心を保てる方法やうまく避ける方法があれば教えてほしいです。今も指の震えが止まりません。
こんにちは。先日の銃撃事件は大変衝撃でした。最近このような事件が起きるたびに「無敵の人」という言葉をよく目にします。社会から蔑まれた結果、自らも社会を大事と思えず凶行に走る人のことを指すそうなのですが、この言葉に対して「凶行に走らず慎ましく生きている人が大半だ」という声もまた多く見受けられます。行動に移す人と移さない人の違いはどこにあるのでしょうか。ご回答いただけたら幸いです。
毎日毎日世界情勢が荒れてきて日本にもミサイルだったり爆撃機だったりして怖くてまともに寝れません。 今まで第二次世界大戦以降何も起きてないから大丈夫だと言われますが、戦争なんて正直いつ起こるかわからないですし、ミサイルだって落とされるかもしれません。 正直怖すぎて自ら死んだ方がまともだと思える所まで来ています。 どうしたらいいでしょうか…
小学生5年生の息子がロシアのウクライナ侵攻に心を痛めています。 知っておいて欲しい、考えて欲しい世界情勢ではありますが、残虐過ぎるニュース(ロシア兵が行った捕虜への拷問など)は伏せています。 日本が昔、戦争をしていたという事にもショックを受けていました。 (小学校では外国籍の児童に配慮してか、昔ほど太平洋戦争について教えなくなっています。 なので家で一年生の頃から少しずつ教えています。 身近な空襲跡を見せたり、加害の歴史についても。 太平洋戦争に至るまでの他の戦争についても。) 「人間てずっと戦争してるよね?なんで止めないの?」と聞かれて返答に困りました。 個人的には戦争は国家による犯罪と認識していますが、世界的には国家間の問題解決の最終手段という位置づけですよね。 個人間のトラブルで暴力沙汰になれば犯罪なのに、国家間では戦争も有り… 矛盾ですよね。 戦争は野蛮だと思いますが、子どもにそう教えれば、子どもはロシア人は野蛮だと思ってしまうでしょう。 ロシアにはロシアの正義があって、ロシア兵には愛国心がある。 でも戦争は絶対に間違っている。 世の中はきっちり善悪に分けることは出来ないと言う事は伝えました。 大人なら戦争にもメリットがあって(医療、科学技術の発展、焼け野原になった方が都市計画がしやすい)戦争で得をする人がいて、人命より優先する事があるという判断も分からなくはないですが…(私は得をする立場にないので全力で反対です) 子どもに「なぜ戦争が無くならないのか」どう説明すれば良いでしょう?
(カテゴリは、複数に該当するので、特に意味はありません) 4月15日のつぶやきにも書いたのですが、特殊詐欺の被害に遭ってしまいました。(被害額は、500万円以上750万円未満とだけ、記しておきます) 大きなショックを受けています。 両親が、悪徳(霊感)商法・特殊詐欺・カルト集団の勧誘などに、引っ掛かりそうになった際には、私が阻止してきました。そんな私自身が、典型的な詐欺の手口に、いとも簡単に引っ掛かってしまったことに、絶望感が募っています。 両親の介護は、ほぼ全て、私が担ってきました。当然、認知能力がなくなっていく姿も、間近で見てきました。私も、親の二の舞を演じるのならば、悲観的にならざるを得ません。 去る1月21日、「母親が死にたがっている」というタイトルの問答が、ありました。(回答僧は、中田三恵様) 「元気なうちに死にたいというのが持論で、それが10年後(65歳)である」 このような主旨の文章があったと、私は記憶しています。 質問者の母上様の真意は、私にはわかりません。ただ、仮に、親の二の舞になるくらいなら、意思表示が可能なうちに「安楽死」したい・・・という考え方なのであれば、私の考え方とある程度一致します。 閑話休題 仏教では、愚痴は御法度のはずですが、今回は愚痴ばかりで申し訳ありません。 話が随分長くなりましたが、今回の要点(質問)は次の2点です。 (1)親の二の舞を演じるのが明白であっても、「定命」に従って生きるしかないのか? (2)心が落ち着いたら、生活相談窓口に行きたいのですが、小心者の私に、どうかその気力が出る言葉を下さい。 お手すきの折で結構です。回答を頂ければ幸いです。
知床で事件がありました。 いつも事件や災害が起きると思うのですが、亡くなる人は生まれる時からいつ死ぬか運命は決まっているのかなとか思ってしまいます。 また逆に会社社長は、日頃の行いが故で大変な事故を引き起ました。この人の未来もなるべくしてなった未来なのかなとも思います。 今回は事件を取り上げましたが、ハスノハで相談している私たちにふりかかる出来事のひとつひとつ全てが、運命であった未来なのでしょうか?
先日、興味本位で自宅のトイレにカメラを設置し妻を、盗撮をしようとした所、子供に発見されました。妻との体の関係がほとんどなく、不満があった事は背景にありますが結果として妻は大変ショックを受け、今後について考えてくれと言われました。自分の性欲の解消のため、犯罪行為を働いたことは全て正直に話しました。しかし子供の父親が犯罪者になること、双方の両親、そして、これから一生盗撮に怯えながら生きていかなくてはならなくなった妻のことを何も深く考えることができなかった自分を責める日々です。夫婦関係は妻の結論に従うだけと覚悟はしています。今後、どのように妻と接するべきか悩んでいます。
初めて相談させていただきます。 読んでいただきありがとうございます。 戦争がこわいです。 双方どちらにも言い分があって、当事者ではない私達にはわからない事もたくさんあるのだと思います。 ですが、それでも武器を持たない民間人への攻撃のニュースをみる度悲しく辛いです。 そして日本に対しても平和条約の打ち切りなどのニュースをみていると、いつか日本に攻撃してくるのではないかという不安と恐怖が襲ってきます。 家族はもちろんの事ですが、幸せそうな特に小さなお子さん連れの家族をみると、この幸せが崩れ去ってしまったらとずるずると悪い方向にしか考えられなくなってしまい、涙が止まらなく食欲もなくしてしまい、うまく笑えていないようです。 飛行機やヘリコプターの音を聞くと恐怖からか動悸がします。 住んでいる地域が駐屯地から近い為、通常の訓練の音でも怖くなってしまいました。 政治家でも偉い立場でもない一般庶民の私にできる事は少なく、片方の情報だけを信じない事。 1日でも早く落ち着く事を願う事。 1日1日を大切に感謝して生きる事だとは思っているのですが、怖い思いや辛い思いをするのなら、特に子供がそういう思いをしてしまうのなら、いっそ子供と一緒に飛び降りてしまおうかと考えてしまう事も多くなりました。 生活に支障をきたすなら一度ニュースなどから離れるべきだとも分かっているのですが、確認してないうちに状況が悪くなってしまったらというまた別の不安で結局一回は確認してしまいます。 馬鹿な事を考える母親でごめんねと思いますが、どうしても不安が消えません。 うまく伝えられず申し訳ございません。
ロシアとウクライナの戦争のニュースが流れるたびに心が重く もしかして第三次世界大戦が起きてしまうのではと不安で心が押しつぶされそうです。 コロナだけでも大変な年月を過ごしてきたのに、今度は戦争。。。。 なぜ?どうして? 第三次世界大戦が起きてしまうかもと言う言葉を聞いて 不安で押しつぶされそうです。 皆さんはどんな気持ちでいるのでしょう? 私一人がおびえて、世界平和を願ったところで何の意味も持たないでしょう。 「なるようにしかならない」と心を据えて過ごすしかないのでしょうか? 子供たちの未来も不安です。 豊かな時代に生まれてきたはずなのに。。。 もうすぐ50になる大人の私がこんな気持ちではいけないと思いますが こんな時どんな心持で過ごせばよいのでしょう。 平穏無事が何より幸せと身に染みる今日この頃です。。。
戦争が始まってから日常が変わってしまいました。笑えない食べれない涙がでる。 どうしてこんな事ができるのか? 何万もの人生を自らの手で奪う。 あってはならない。 他人に理不尽に奪われる位なら、橋から落ちて死のうと毎日考えます。 暴走を止めてほしい、元通りの美しい景観を取り戻してほしい。 辛いです。
いつも僧侶様方のお言葉に心を支えられています。本当にありがとうございます。 私はここ2週間、ウクライナ侵攻のニュースや情報から目が離せずにいます。 そして今に限らずこれまでだって、私が目を向けていなかっただけで、いつの瞬間にもどこかで争いは続いていた、ということに今更・改めて気が付き、自分の日々と世界の様々な事実との温度差に適応できずにいます。 自分の周りから平和をと考え、微々たることですが、これまで以上に言動に心を配り、意識的にコミュニケーションを取り、感謝を伝えるようにしています。 やるべきことややりたいことがある、でも無力な自分にとって、今できることは知ることだと思い、日々ニュースや情報から目が離せず、結果自分の日々がおろそかになっています。心身状態もあまり良くありません。 僧侶様方は、このような世界の中で、どんな風に向き合っていらっしゃるのでしょうか? 平和を守るために、個人として何ができるのでしょうか? 実際に渦中に身を置く方々の不安や恐怖に比べたら、私の感じている気持ちなど取るに足らないものですが、なにかお言葉をいただければ幸いです。 貴重なお時間をいただきありがとうございます。
ロシアが北方領土でミサイル演習をしたという情報など、不安になることが多くあります。 不安になるなら見なかったらいいと、そのような情報から離れようともするのですが、気になってしまい見てしまいます。 元から考えすぎたり不安になりすぎる所はあるのですが、現実に起こりそうで気持ちがしんどいです。 攻撃されて死ぬんじゃないかとかそのような考えが頭から離れません。それで死ぬなら、先に自分で苦しまずに死にたいと思います。でも死ぬのも怖いです。 私たちは何かいけないことをしましたか? 生きている心地がしません。怖いです。
何年もずっと考えている疑問があります。 『何故この世界は残酷なのか』 私は神様も仏様も運命も信じています。敬虔な信者ではありませんが、キリスト教も信仰しています。 現在ウクライナでの戦争で、日本含め世界中(主に欧米諸国ですが)の人々が戦争に反対し、ロシア国民の中にもロシア政府を非難する声をあげていますよね。 多くの人が平和を望み声をあげているのを見て、彼らの善良な心に感動する反面、『ウクライナだけ?』とも思ってしまいます。 戦争はシリアやアフリカ、ベトナムでも未だ続いています。 ひいてはウクライナでのロシア政府による殺戮より、もっともっと非人道的で残虐な行為が私がこうして文字を打つ間にも起こっています。 あるイギリスのキャスターが『彼らが青い目をした私たちと同じ白人だから声をあげるんだ』と言って非難されていました。 しかし、それが事実なのではないのかな?と思います。 非難した人々は、有色人種の危機に何かしたんでしょうか。 実際、シリアではアメリカは軍を派遣しただけで他の国も何もしていません。アフリカでの内戦なんて放置です。自国の利益に関係ない事だから、アフリカはそういうものだからで片付けられている気がしてなりません。 実際、日本のニュースでもそうですが不倫なんかが取り上げられて、他人が口を出す。 ウクライナの問題が流れれば、戦争反対と言う。 でも、ウクライナ以外での人道的危機は取り上げられず、寄付も集まらず、ましてやデモなんて起こりもしない。ほとんどの人は知らないし、知る気もない。 他にも思う事柄はありますが、 私自身も含めて、人間ってこんなものなんだなとずっと感じています。 何を言っても綺麗事で、エゴにまみれていて、何が美しい世界なんだろうと思います。 何故産まれてしまったのか、意味なんて無いのかもしれませんし、そんなものは自ら定める事とも思います。 いっそ消えてしまいたくなる日も少なくないですが、自死は神様が赦してくれず苦しみは永遠に続くもの、試練を乗り越えて往生しなければならないとも理解しています。 月光の歌詞が気持ちにとても近いです。 人間って本当に不完全で醜いです。 こんな事真面目に話し合える人もおらず質問させていただきました。読みにくくてすみません。 よろしくお願い致します。
初めて質問させて頂きます。 文章力がないので上手く伝えられるか分かりませんが、聞いて頂きたいのです。 私は元々心配性というか不安を抱きやすいです。hspなのかわかりませんが、人が傷つくニュースなどは見ることが出来ません。学生時代に戦争の映像で意識消失した事があります。 今まで生きてきた中での不安は、自分の身の回りの事であって、自分次第で対処が出来る事でしたが、今の世界情勢に対する不安は何処にやる事も出来ません。。 不安不安で、眠れないんです。何かしらの攻撃にあって死んでしまう想像ばかりしてしまうのです。 家族と後どれだけ笑えるだろうか。この街が好きなのに荒れてしまうのだろうか。どんな風に死んでしまうのだろうか。そんな事ばかり考えてしまって苦しくて、もう死んでしまった方が幸せなままで終われるのでは、、とそんな事まで考えてしまいます。いけない考えであることは分かるのですが、それ程までに追い詰められています。 ニュースを見ないようにはしています、ですがもしも何かあった時、、とそちらにも不安になり見てしまう時があり、また恐怖に飲み込まれます。 精神的な病気にまでなってしまっているのか分かりませんが、笑うことも出来ません。 かと言って、人間死ぬ時は死ぬ!という覚悟もないのです。 本当に辛いです。