子供を迎えることについて
わたくしは縁あって結婚し三年目に入った者ですが、夫婦の間に子供を迎え育んでいくのか否かについて悩んでおります。わたくしは生まれつき子供を授かることが出来ない身体であり、その上で養子を迎えることを検討しております。
主人はわたくしの身体の事情を引受けそれでも尚、例え血が繋がらずともわたくしと共に子供を愛し、育んでいく事が出来るなら、もしもご縁があるのなら是非にそうしたいとのこと、またわたくしもこれまで子供を育むことのない人生を、哀しくも所与であると受入れていたものを、そのような言葉を受けた事が只々有難く、嬉しく思っておりました。
一方わたくしの両親は「最終的には君の判断を尊重する」と前置きしつつも血の繋がらない者を育てる大変さを訴え、本音ではわたくし共が養子を迎える事を断念して欲しい様子です。
わたくしは、幼い頃の大病もあり両親には多くの心配や負担を掛けながらここまで幸せに生きる事ができました。それも経た上で何よりもわたくしの幸せを願う両親は、只でさえ誰であっても多くの困難を伴う子育てを、それも血縁のない子供の人生に全てを捧げるようなことを敢えて選択することはない、子育てを以てせずとも人生の喜びや生きる甲斐を得られるだろうと申します。またわたくしも両親がどのような思いでそのように言うのか、これまでの両親の苦労や諦め、命懸けの子育てに捧げた年月を思えば痛い程分かります。
然しそれは主人には押付けられないとも思います。女性機能に瑕疵のあるわたくしを、ありのままで良いのだ、それをも丸ごと受け入れ愛すると言ってくれた、そんな望外の幸せを与えてくれた主人に対し「老いゆく両親が悲しませることは回避したいから子供は諦めてくれ」等とは申し訳が立たない。
もし養子を迎えるなら、その子が幸せであったといつか振り返られるよう支えたい。この世界は色々あれど斯くも楽しいと、両親がそうしてくれたように伝えたい。将来自分の来し方について思い悩むことがあるだろう、その時に主人と共に誰よりも寄り添える保護者で在りたい。
例えその為に両親と違えても。
その様な覚悟があるのか。そのよすがは何か。主人への感謝を自己犠牲を以て表現したいだけではないか。
愛する主人か両親か、どちらかを悲しませなければ前に進めぬのではと、誰にも話せぬ堂々巡り、打開する別の視点はないかと失礼ながら乱文をお送り致します。
有り難し 4
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