とてもお世話になった方が亡くなられてしまいました。 お墓に納骨されたと伺いお参りをさせて頂きました。 その時に気になったのですが、49日前なのですが白木のお位牌がお墓にありました。 49日前はご自宅の後飾りに安置されるものではないのでしょうか? 近くなので7日ごとにお参りさせていただいていますが、雨が降る日は濡れ、風の強い日は倒れてしまいとても心が痛みます… 真言宗智山派のお寺さんですが 白木のお位牌は墓地に置かれても問題ないのでしょうか? 教えて頂きたいです。
はじめまして どこに相談すれば良いのか迷い、こちらに辿り着きました 数年前に立て続けに私の長女、弟が亡くなり、2年前に施設入所した母が4月に亡くなりました 一族のお墓がある訳ではないので 長女、弟は合祀墓に埋葬していますが、問題なのが母の納骨です 母は再婚し、 先に亡くなった再婚相手の方のお墓があります その方とは生存時2度会っただけです 母が施設入所した時から放置するのもいけないと思い、母の代わりにお墓参りをして、母の現状を報告していました 母はそのお墓に納骨を希望していた様ですが、 私にとっては他人様、 私の子供達にも相談しましたが、皆、無関心で、おばぁちゃんが入っても墓参りに来る事もないし、ましてや知らない人のお墓を継承する気はないと言います 今後、 お墓の管理費が引き落としにならなければ、書類に記載した連絡先も繋がらないので いずれは撤去になると思います。 母をそのお墓に納骨するのも 合祀墓に入れるとしても 私は不定期な仕事で収入が安定せず、生活していくのが大変で お金の工面ができません(長女、弟、母は死亡保険などに加入せず、財産、貯金一切ナシ、子供達にも相談しましたが厳しい様です) 今、お骨は期限付きで葬儀社に預かって頂いています 25日が四十九日にあたります 粗末には扱いたくはありませんが 現状が厳しく どおしたら良いのか? 悩んでいます お手数おかけしますが アドバイス頂けたら幸いです よろしくお願い致します
現在48歳です。以前はこちらでたくさん自身の結婚できなかった後悔を随分と聞いていただきましたありがとうございました。 恋愛や結婚をあきらめるに当たり、かなりエネルギーを使いましたが以前に比べると少し気持ちは穏やかになりました。もちろん、一生気持ちを受け入れることは出来なさそうです。 40代は仕事で様々に経験をさせてもらい、部下持ちの管理職もさせてもらっています。また、英会話も身につけつつあり(スクールに通って9年目です)、仕事でも活用でき、ひとりで海外旅行しては英語修行を時々しています。 まだまだ、人生長いかもしれませんが、人生いつ終わるかもわかりません。50歳も控え、そろそろ自分の人生の最期を考えながら生きたいと思っています。ライフイベントも親を見送り(ありがたいことに今は二人ともピンピンしています)、あとは自分自身の死だけだと思い、終活を考えています。 そんななか、やはり、自分がつらいのは自分の人生に恋愛なかったということです。今のままでは死ぬ瞬間まで「恋愛してみたかった」と言いながら死にそうです。 女性が好きになってくれる容姿や性格が無かったのがとても恥ずかしいです。人に恥じることなく、ひとりで人生を閉じるに今から始められる就活はなんでしょうか?
親友を若くして亡くしました。彼とは学生時代に書道部で一緒だったため、追善供養のため写経をしようと考えています。 そこで質問なのですが、写経した用紙を初盆の際に御仏前にお供えさせていただく、というようなことをしてもよろしいのでしょうか。 また、彼の家の宗派は天台宗なのですが、写経するお経の種類に決まり等はございますでしょうか。 ご回答いただけますと幸いです。何卒よろしくお願いいたします。
妻の実家が初めて仏壇を購入しました。宗派は真言宗です 今年の8月が初盆で、そのときに仏壇の開眼供養を同時に行う。とのことで私も参列する予定です。 質問(1)その際の服装ですが、「喪服に黒のネクタイ」でよいでしょうか? 仏壇の開眼供養はお祝い事なので「喪服に白のネクタイ」と聞いたことがあるのですが初盆供養と一緒のためどうするのがよいでしょうか? 質問(2)その際は、仏壇の開眼供養用に「熨斗なしの祝儀袋で開眼御祝」と初盆用の「不祝儀袋でお香典」という対応になりますでしょうか? 教えて下さい。 よろしくお願いします。
先日母が亡くなりました。 遺言で「大谷祖廟に納骨して欲しい」と頼まれました。 うちは浄土宗ですが大谷祖廟での納骨は可能でしょうか?
先日、祖母が亡くなりました。 火葬場で働く私は、自ら希望して祖母を火葬し、きれいなお骨となって収めることができました。 孫である私に火葬されることについて、親戚や知り合いからは「とても良いことだね、ばあちゃんも喜んでいるよ」、「そこまでしなくても」等、様々な意見がありましたが、お坊さんは身内が身内に火葬されることについて、どうお考えになるかお伺いしたく思います。 祖母については、私が生まれた時からずっと一緒に、一つ屋根の下で暮らしていました。いつも優しく元気で、自分より他人を優先する祖母でした。怒られたことは1度もありません。亡くなる数か月前から入院をしており、私がお見舞いに行った1週間後に亡くなりました。 大変お世話になった祖母を自ら火葬したことについて、後悔はしていませんが、ふとした時に「ばあちゃんは孫に火葬されてどう思ったかな」と考えることがあります。理由は、祖母は認知症が進んでいたこともあり、火葬場で働いていることを私が伝えていなかったからです。認知症は進んでいても、話の受け答えは問題ない時期もありましたので、火葬場で働いていることについて、祖母はどう思ったのか聞いておけばよかったと、今になって少し気になっています。 お手数をおかけしますが、ご回答をいただけると幸いです。
亡き夫は永代供養を選択し夫婦で契約もしました。残された私自身はこの日が来ることは分かってはおりましたが、納骨する気持ちになれません。一年忌、三年忌をめどにと考えてはいますが私自身が元気な間は一緒にいたいともおもいます。このまま納骨しない場合。 ①位牌もなく遺骨のみの場合の供養の仕方を教えて下さい。また、これから来るお盆は主人は帰って来る場所がないということになるのですか?一年忌や三年忌はどのように供養したらいいのか? ②遺骨は学修机の本棚の高いところに安置してますが大丈夫ですか?
8月に14才で亡くなった愛犬の納骨をしてあげようと思っているのですがその際お骨の一部を手元に残してもいいのでしょうか? そのお骨を残したことによって生まれ変わった時のワンコの身体に不都合なこと…例えば身体の弱い子、足が不自由な子 などになってしまうようなことはないのでしょうか? 現世では病気で両目摘出し 義眼で生活していました。 来世では元気で又かわいいワンコに生まれ変わってくれることが今 一番の願いです。
はじめまして。 埼玉県に住む40代の主婦です。 私の両親や先祖は九州(熊本、福岡、大分、鹿児島)に縁があります。 両親の実家(熊本県)の先祖は墓ではなく、それぞれ納骨堂に納めております。 母方の親族(鹿児島県)も納骨堂に先祖代々、納めています。 【質問させて頂きたいこと】 九州地方は墓文化ではなく、納骨堂文化なのでしょうか? また、納骨堂が九州地方で発達した歴史的経緯などをご存知のお坊さんがいらっしゃったら教えてください。 よろしくお願いいたします。
2020年に他界した父の供養をお願いしているお寺へコロナ禍で他県から行けず、ずっとお参り出来ずにおります。 ようやく行けるようになり、仕事柄やむを得ず命日翌日ではありますがお参りする予定です。 法要は母がお寺様とやりとりしていますので私はお布施などお渡しした事がありません。 母に聞いても何も持って行かなくていいと言われてしまうのですが、3年間一度もお参り出来ていないので手ぶらではいたたまれず、御供かお布施をと考えています。 一般的に納骨堂にお参りの門徒さんは御供やお布施、ご住職様に手土産などお渡しなのでしょうか?
自死した妹の納骨先について迷っております。自宅には代々のお墓があり、そのお寺さんにて四十九日の法要までやっていただきました。ただ納骨については、すぐに手元から離す事が出来ずに保留にしている状態です。妹は長い間精神的な病で苦しんでいた事もあり、なるべく本人に一番いい方法をと考えていたところ、地元から車で1時間ほどの場所に樹木葬をやっていただく事のできる場所がある事を葬儀屋さんに教えていただきました。 妹は生前、樹木葬に興味を持っていた事、自然が好きだった事も鑑み、直感的にそこがいいと思いはしたものの、代々の御先祖様が眠る(実父も含む)お墓があるのに、わざわざ土地勘のない場所に一人葬ってしまっていいのか、という気持ちも浮かんできてしまい、いまだ決断が出来ずにおります。最近は、いつまでも家に置いておくよりもきちんと納骨をして供養してあげたいとも思うようにはなりましたが、あと一歩が踏み出せません。身内は私の他認知症の母のみのため、相談できる人もおりません。私の気持ち次第なのはわかっているのですが、何か助言をいただけませんでしょうか
昨年、父が80歳で他界しました。 残された母の住む実家から、車で2時間半のところに父の故郷があります。父は長男で2人の姉も嫁いでおり、田舎の家は人手に渡り親族は住んでいません。その田舎に先祖代々のお墓があります。すぐ近くの小さな墓地で町内の方が管理されているようです。 すでに遠方に嫁いでいる私の負担を考えてか、父は生前田舎の墓じまいを考えていましたが、自分のお墓はどうするのか決めかねていたようで、本人の意思は聞けないままでした。結局、母の意向で母方の親族が供養されている都心の大きなお寺の納骨堂へ納骨しました。 月命日に母とそのお寺にお参りに行っていますが、今になって田舎のお墓にも分骨してあげればよかったと後悔しています。物忘れが激しくなり急に頼りなくなってしまった母も、「前にも言ったと思うけど…」と定期的に父のお墓のことで後悔を口にします。 今、私の家には手元供養にと片手の掌に乗るほどの小さな骨壺の中に少しだけ父の遺骨があります。その遺骨を父の田舎のお墓に納めて、墓石に名前を彫ることができないかと今頃になって真剣に悩むようになりました。すでに納骨堂へ納めていること、お骨が少量であることから、納骨式は行わずに石材店に依頼して納骨と彫刻だけお願いできればと考えています。その地域の石材店に電話で問い合わせたところ、最近はお寺さんにお経をお願いしない方もいますよとのことでした。 そのお墓は近くに住む父のいとこが墓守りをして下さっており、私達も毎年お盆にはお参りしています。 自己満足のための非常識な行為にも思えますし、親戚に相談したらどう思われるだろうか…と考える一方で、ほんの少しのお骨でも祖父母の元に帰してあげたら、父も祖父母も喜んでくれるのではないか、と勝手な想像をしてしまいます。 もう納骨を済ませたのだから、このような行為は控えるべきでしょうか? 長々と申し訳ありません。よろしくお願いします。
先日、大切な親友が亡くなり、今月で49日を迎えます。 お墓への納骨となりますが、仮にご親族の了承が得られたという条件で、 お骨壺の中へ御守りや手紙、また今後も一緒に居たいという意味で自分の切った爪などを入れるというのは非常識でしょうか? 自身がお墓に一緒に入るという訳にはいきませんが、遺品として髪の毛や爪などを残すということもあるのならば、 逆に自身の分身のような考え方で、切った爪を一緒に入れるのはどうだろうかと考えました。 それで、自己満足かもしれませんが、自分が今後も親友の近くに居られるような気もします。 なお亡き親友の家庭は臨済宗で、法要もその考えで行われています。 よろしくお願いいたします。
納骨の際に入れてダメなものってありますか?(自分でこの判断が正常かどうか分からないのですが、)夫のお骨に妻である私の髪の毛も一緒に入れたいと思ってます。綺麗な髪ではないですが、夫は私の髪を好いてました。私もできることなら、自分の一部を夫の傍に置きたいと思ってます。それ以外に入れてダメなものもありましたら教えてください。
父が昨年3月に他界しました。コロナの影響で父の実家がある福岡へは帰れなくて、お寺さんできちんと法要できておりません。 関連しているかわかりませんが、私の家族に幾つか問題が起きています。 常にソワソワしていたり、体調崩して会社を辞めたり、妻が体調を崩したりと。 父をきちんと成仏していないからでしょうか。父は晩年、実家に帰りたい、実家で最期を向かえたいと申しておりました。早く帰したいのが延びてしまい、息子の私は申し訳なく思って生活しております。 四十九日も行ってない中、きちんと成仏できてないのかと考えます。 9月には納骨する予定をしておりますが、昨今の状況で行けるかどうかです。 今の父はどのような気持ちなんでしょうか。 きちんと法要しないと、私も気になって再就職できない気持ちです。 父が安心できるようにするには今どうしたら良いのでしょうか。 何かしらアドバイス頂けますと幸いです。 よろしくお願い致します。
母が他界しました。 生前より、自分の死後についてエンディングノートに記していたり、口頭で話すこともたくさんありました。 エンディングノートには、自分(母)の遺骨は結婚当初に買ったお墓に納めること、但しお墓は遠いので、(大変だろうから)一切の墓参りはいりません、心の中で思っていてくれれば充分です、と書かれていました。 正直な所、本当にお墓は遠く、新幹線と車を使って3時間はかかります。交通費だけでもかなりかかります。 時間もお金もかかるから、納骨さえ済ませてくれれば無理してお墓参りに来なくてよい、と何度も母は話していました。 そして今回、母の遺品を片付けていたら、近くのお寺での永代供養も考えていたようで、いくつもの資料やパンフレットが出てきました。 そこで合祀という、骨壺から遺骨を出し、他の方の遺骨と一緒に仏様に納めてもらい、供養してもらうというものを知りました。 そのような方法に驚きはありましたが、もし私達子どもに万が一の事があっても、母のお墓が永代供養ならば安心だな、とも思ったのですが、この合祀という方法は一般的なものですか? 死後の世界は分かりませんが、他人同士が一箇所に供養されているというのは問題無いものですか? 母はどのように思うかな、と悩んでいます。遠くのお墓で中々お墓参りが出来ないよりは、合祀という形でも、いつでもお参り出来る方が、私は寂しくないなと思ってしまうのです。 ちなみに、母は自死でした。 成仏、というものができているのかも心配です。 ご回答宜しくお願い致します。
昨年母方の祖母が亡くなりました。 私はただ一人の孫の立場にあります。下記の人物は私からみた立場を記載しています。 数週間後に納骨を行う予定ですが、生前に祖母本人が希望しなかった方法で納骨されようとしており、これを止めるべきか悩んでおります。 祖母は生前から祖父と仲が非常に悪く、望まぬ結婚であったことや、祖父や祖父の家から嫌がらせを受けていたと孫の私に言っていました。 そのような事情から、生前に私や母、近所の仲の良い友達、祖父母と同居している叔父(母親の弟)と叔母などに「祖父の家の墓には入りたくない」と常々言っておりました。 葬儀などの手続きは生前の祖母の指名で叔父が行い、納骨に関する手続きも叔父が行っているのですが、叔父は祖父の家の墓に納骨することを決定しました。 叔父は当然「祖父の家の墓には入りたくない」という生前の要望を知っているはずなのですが、これを無視している形です。 永代供養墓や、叔父から許可がでれば私の家庭の墓に入ること(生前本人に提案済)など他に手段はいくらでもあったはずで、私は祖父の家への納骨を考え直して欲しいことを進言しました。 しかし叔父叔母は聞く耳を持たず、母親からは「○○(祖父母の名字)じゃない人間が口を出すな!」と言われ、全く聞き入れられない状態です。 「祖父の家の墓には入りたくない」という生前の願いを踏みにじるような形で納骨が行われては、墓参りの度に祖父の家への納骨を止められなかったことを後悔しつづけるのではないかと思っています。 本心ではどんな汚い手を使ってでも遺骨を守りたいのですが、孫の立場では止めることは難しいとわかっています。 このままではずっと後悔が残り続けてしまい、祖母に合わせる顔がないです。本人が望まなかった形で納骨されて供養になるのでしょうか?
初めてご相談させていただきます。 地元に住む8つ離れた弟と連絡が取れなくなりました。 私は遠方に嫁いでおり、 母は14年前に父は昨年他界。 母の死去後、父と二人で暮らしておりましたが その当時から度々生活費を工面するように頼まれ、面倒を見ることもありました。 こんなこと言うのもいけないのですが、 これまで両親に守られてあまり世間を知らず自立出来ずにきたように思います。 仕事が不安定な上、父の死去後は自分一人で暮らしていかなくてはならず、いっぱいいっぱいになったのでしょうか? 部屋の管理会社から連絡があり、家賃滞納のことや今後部屋の更新は出来ず解約になること、 その際の部屋の荷物の撤去について、 本人と連絡が取れないので弟の代理でお話を受けました。 部屋の立ち入り調査もしていただき、 帰ってきている形跡があるので緊急性はないとのこと。両親の最期を看取った弟なので、おかしな行動はしないだろう…と思いながらも、 最悪の事態も覚悟をしていたので、その点だけはほっとしました。 私も弟に連絡を入れているのですが、 携帯も応答がなく一切連絡が無い状態が続いています。 弟の意思確認も出来ないところで部屋の解約に向けて話が進んでいます。 滞納分は立て替え今月末までは貸していただけるようになりました。 部屋には父の遺骨があり、未だ納骨出来ておりません。父方の実家に母の遺骨を置かせてもらっているのですが、父は親族と絶縁状態。 生前、よく弟に実家にだけは連絡してくれるなと話していたそうです。 うちは元々お墓もなく、姉弟でお墓を立てる余裕もなく、弟としてはいずれは母も地元に連れてきて、父と一緒に永代供養を…と話していましたが、このままではそれすら叶いそうにありません。 嫁いだ身ではありますが、 私が父の遺骨をこちらに持って来て、 近い場所で送骨や永代供養も考えています。 主人には全て話をしていますが、 これ以上主人にも義両親にも迷惑をかけたくない思いと、パート勤めの私に出来ることはこれが精一杯なのも事実ですし、両親には申し訳ないと思う気持ちもあります。 私にもこちらの生活がありますし、 これ以上弟の面倒を見切れない思いもあります。 私の選択は間違っているのでしょうか? 両親は悲しんでいませんか? ご助言いただけると幸いです。
納骨についてご相談させていただきます。 昨年の夏に配偶者を亡くし、現在遺骨を自宅の仏壇に安置しております。 昨年の葬儀の際、突然であったこと、郊外の自宅近くで葬儀を行ったこと、コロナ禍でもあったことから、家族葬で簡素に行いました。その際に、少し様子を見たいので、納骨は一周忌の時にとしました。その後、四十九日、百箇日は、お経を読むことができる親族に来てもらい、これまた簡素に自宅でお経をあげていただきました。 一周忌まで一か月となったのですが、墓のある霊園の法要室はコロナのため使用不可、おそらく導師の方も来ることはできそうにありません。一周忌、納骨法要はきちんと行いたいと思っていましたが、難しい状況です。霊園の方では、法要を行わず納骨だけはできるようです。 納骨に関して調べてみると、時期等には特に決まりはなく、遺骨にもあまり執着しないようにした方がよいという記載が多かったように思います。 きちんとした法要等を行って納骨したいという気持ちと、いたずらに納骨を遅くすることへの抵抗の間で悩んでいます。 納骨を行いたい気持ちとして、今は在宅勤務ですが、コロナ禍の状況が変われば、元々出張族であるため自宅を離れることも多くなりますし、故人との思い出の地を訪ねたりといったことも行っていきたいと思っています。 納骨を遅らせる気持ちとして、簡素な葬儀であったため、納骨法要はきちんと 行いたいこと。このような状況が、「納骨はまだ待って」と故人に言われている ような気持ちにもなることがあります。 僧侶の皆様のお考えを教えていただければと思います。 ------------------------------ 以前に「義父、義母の菩提寺へのご供養依頼」という質問を行い、和田隆恩さま、日延さまにご回答いただきました。義父母の菩提寺と連絡を取り、追善のご供養が無事できました。田舎に伺うことができなかったのですが、ご住職さまが 読経、塔婆を立て、その画像をメールでお送りいただきました。また、墓地のお世話をしてくださっている本家の方にもお話をしていただいたようです。 こちらでの回答をいただき、追善供養を行ってよかったと思っています。 ありがとうございました。