hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「出家・得度・僧侶になりたい」問答(Q&A)一覧

僧侶に成りたいと思っていますが、現実的な事で悩んでいます。

僧侶になりたいと思っています。 私は高校入学をして間もないころにうつ病になり一年間不登校になり、高2の春に通信制高校へ転校しました。 転校後は以前よりも回復し、ボランティア活動へも従事できるほどになっていましたが完全にうつ病が治ったわけでもなく日々人との関りや両親の喧嘩が絶えない家でしたのでそんな家庭のこと、バイトをしておらず親に頼ることへの罪悪感など様々なことに悩みながら過ごしていました。 そんなあるときに、インターネットで日蓮宗のご僧侶の方が主催する唱題の会というのを見つけ、参加してみることにしてみました。 初めて参加したときはびくびくし緊張もしていましたが唱題を進めていくうちに、まるで登山でもしたかのようなすがすがしく心が空っぽになるような感覚を体験し深い驚きと感動を感じました。それから何度か通うようになり僧侶の方のお話を聞くうちに心が軽くなるような、ストレスや悩みを置いていけるような安らぎを感じました。 私は幼いころから今日にいたるまで、一貫して人の役に立つ人の心を支えたい安らぎの手助けをするような人になりたい思っています。高校時代にボランティアを通して東日本大震災の被災地やそこで葛藤しながらも前向きに生きる人たちと触れ合いました。また自分の様にうつ病や家庭のことで悩み苦しむ同級生や友人の姿を多く見てきました。 そのような人たちのために、自分が安らぎを感じた法華経・お題目で人の役に立ちたいと思っています。この様な理由から僧侶になりたいと思いました。 しかし、現実的には師僧の方を見つけることや家庭のことを考えると就職したほうが良いのか、また宗門指定の大学へ進み僧侶になるべく学びその中で師僧を見つけるか、はたまた就職をしてそれから先の人生で僧侶になるかなど日々悩んでいます。また現在もうつ病の気がある私が果たして僧侶になれるのかというのも心配な部分です。気持ちや思いはあるものの現実的な部分が漠然としてしまってます。 唱題の会の僧侶の方とは、昨年末に家庭内が大きく揉めそれが発端で一時期引きこもりのような生活になってしまい、その間唱題会へも行っておらずそれから音信不通になってしまっています。 拙い文が長々となってしまって申し訳ありません。言葉の間違いがありましたお許しください。 どうか、皆様のご意見を頂戴させていただけますようお願い申し上げます。

有り難し有り難し 25
回答数回答 1

無常に気付き忘れないためには出家しかないのでしょうか

回転寿司が大好きで毎週のように回転ずしを食べています。 左上のhasunohaのロゴがホッキ貝と緑の割れたスシ皿に見えてしまいます。 それは置いてといて、お寿司を食べているときに、こんなにお寿司が好きなのに何か月前から通っているのか忘れてしまいました。 その時の初めて食べたネタのおいしさや歯ごたえの感動も忘れてしまいました。 そして、苦しみの方はどうかと思い、(中途半端に過去の)5年6か月と3日前の苦しみを思い出そうとしましたが思い出せませんでした。 (中途半端に昔の)5年6か月と3日前に私は何かをしていて何かの感情があり何か悩みや苦しみ、もしくは楽しみがあった、でも思い出せないのです。 つまり記憶も感情も行動もまた移り行くものだから忘れてしまう。記憶や感情といえど常なるものは無し。 これも諸行無常で苦を滅する方法は、『無常に気付き、常に自分も無常であると忘れないようにする』ことであると、そこら辺は、↓にも最終的には同じ意味で書いた通りです。 https://hasunoha.jp/questions/19539 https://hasunoha.jp/questions/19556 https://hasunoha.jp/questions/19587 しかし、どんなに気を付けていても自分(や愛しいもの)も無常の中にいるという事を忘れてしまう事があり、またも過去と同じようなことで悩み苦しむ事がたまにあります。 このまま人生を歩んで行っても、全く苦が無い生活を行うことは難しいです。 こうなってくると、テーラワーダか禅宗に出家して苦を滅するための八正道を人生のすべてとして生きていくしかないような気がしてきました。 アジアの上座部仏教国だと、サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)なんて言われて出家できますが、ここは日本で日本での生活があります。それを捨ててまでの出家だと親が泣くかなと思うのですが、在家のまま苦を滅する方法はありますか? または苦を滅したいからという理由で出家された方いますか?

有り難し有り難し 41
回答数回答 3

仏の道を選ぶ事は今からだと遅いですか?

現在、父の会社で働かせてもらってます。 祖父が創業した小さな会社ですが、後継者不在という事から、近い将来会社をたたむという事も視野に入れておかなくてはいけないと思います。 父は70代ですが、今のところ全くその事を考えている様子はなく、この先どうするかさえも考えていないようです。 自分が死んだ時に会社をたたんで欲しい…そんな印象が今のところあります。 本当はそれでは困るのですが… もし会社が無くなったら、仏様に仕えたいという道を選びたいと思っているのですが、40代からのスタートは無謀でしょうか? お寺運営の保育園に通ったり、お寺に貢献していた祖父に連れられ、行事参加や墓参り・法要にも頻繁に参加していましたので、幼い頃から仏教には親しみがあり、仏様への関わりは歳を重ねてからも多少あります。 ただ、仏教関係の学校は出ていないため、専門的な知識や資格は一切持っていません。 昨年、死ぬまでに必ず訪れたいお寺を訪れた際、安堵感と共に、心がグッと引きこまれるものがあって… 何と言いますか、言葉に表せない思いで涙が出ました。 これが仏様に仕えたいという思いを強くさせたのだと思います。 僧になるまでは大変困難な道を歩まなければいけない事は存じております。 やはりお寺関係者や若いうちから経験を積まないと僧になる事は厳しいのでしょうか? 甘い考えとお叱りを受けそうですが、ご回答いただけるとありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 30
回答数回答 4

得度はさせて頂いたのですが

お坊さんに質問致します。 回答は心の病気もあるので優しくお願いいたします。 回答を頂いたのですが疑問点があるのでよろしくお願いいたします。 私は12年前に高野山の宝亀院というお寺で得度をさせてもらいました。 そのとき京都の庵で線維筋痛症という激しいいたみのため知り合ったところで先祖供養をしていて、浄霊をして先祖供養をしているときお大師様から得度をさせてもらえると知り、亡くなった父の祖父が一年に一回高野山参りをしていたので喜んでいるとそのときの先生に教えてもらい得度をしました。 今乳がん全摘2年半目で、軽いうつ、パニック障害、不安障害で15年通院していて糖尿病もあり、橋本病と緑内障もあります。 病気をしてることが今後人の役にたつ修行なのでしょうか? 得度してからそう思えて仕方がないのです。 得度をすることで功徳を頂くとそう得度式のときに言われましたが 大きな病気になりました。 泣きましたが今は前をむいて歩いています。 どうしても得度したというと何かしないといけないのかなと 思ってしまいますが病気の私には年に一度も高野山に行けないので 今疎遠になってしまいました。 乳がんの手術のときには両親に自分の得度したとこ奥の院、金剛峰寺に書いてもらい、枕もとにおいておきました。 麻酔のきいてる中「あなたは生きないといけない」「やるべきことがある」と お大師様の声が聞こえてまいりました。 ありがたいことです。 ここのサイトを調べてしれたのも、ご先祖さまが守ってくださって導いてくださったんだなとありがたく思っております。 ご回答よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

得度はたくさん病気を乗り越えるための修行でしょうか?

高野山のお坊さん悩みを聞いてください。 回答は心の病気もあるので優しくお願いいたします。 私は12年前に宝亀院というお寺で得度をさせてもらいました。 そのとき京都の庵で線維筋痛症という激しいいたみのため知り合ったところで先祖供養をしていて、浄霊をして先祖供養をしているときお大師様から得度をさせてもらえると知り、亡くなった父の祖父が一年に一回高野山参りをしていたので喜んでいるとそのときの先生に教えてもらい得度をしました。 得度して3年は腰の神経がうずき寝たり起きたりの状態でそのときの正月酒に酔った父が「ぶたぶた寝てばっかり、お前の顔みたないから自分の部屋へ行け」と足蹴りに合い死を意識したことも数々の暴言が続いた日々を耐え抜きました。今は嫌味ぐらいになっています。 それからしばらくしてやっと病気も治ったら、卵巣脳腫になりそこで自分で乳がんを発見して検査すると全摘をよぎなくなったものでした。 女性ですから大事な胸がないことは泣き崩れました。 いまでも手術の傷や用事をするとリンパがないので腕がはれたり しています。 手術前に抗がん剤が足にくるのであまりに辛く励ましてくれたり、助けてくれる家族もそばにいても怒るだけで、手術をして2年間抗がん剤を服用したときもものすごくしんどくそのときは栄養に良い物を食べたりアクエリアスや栄養剤も飲んでいて、自分の起こしたことと、 父の遺伝で糖尿病にもなり、震災の年に橋本病、軽いうつやパニック障害、不安障害は15年通院しています。 後緑内障にもなっています。 これは得度をして病気の辛さを知れとお大師様に修行させられているのでしょうか。 それともこの病気を学んだところに人の病気の辛さがわかりそれが役に立つときがくるからと私は信じて前を向いて歩んでいます。 それと96歳の祖母の世話も母と一緒にしています。 足がよわり編み物しか今は出来ませんが、徘徊や暴れることのない穏やかな優しい慈悲のある祖母に 私は教わることがあります。これはきっとこれから役にたつ宝だなと思って 一緒に祖母と話をしております。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

このような動機で僧侶になるべきか?

こんな動機で僧侶になっていいものでしょうか? 月並みなことですが、私の幼少の頃の夢は正義のヒーローでした。 戦隊モノなど、幼い私にはとても魅力的に思えたものです。 それから時は経ち、直接的な正義のヒーローという職などはないということに気付きまして、それでもそれに近い職がないかを考えておりました。 そして、祖父が曹洞宗の方丈であるというご縁があり、僧侶になるという選択肢が出てきて、私は出家をしたくなりました。 なぜかというと、般若心経というお経の意味を本で知ったからです。より良い生き方への道しるべのような意味を持つものだと本で読み、死者や生者を救う仕事のように思えたのです。私自身、あまり善く生きてきたとは言えませんが、この般若心経の現代語訳を知ってから唱えると何か心が安らぎ救われたような気がしました。 このような仏教の教えを深く知りたいですし、それによって誰かを救いたい、仏教こそが私の幼少の頃より目指していたものだと感じました。 今現在、得度すら終えていませんが、このような考えで僧侶になってもいいものでしょうか? 出家するのなら、恐縮ですが善い僧侶になりたいと思います。 ご回答よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 48
回答数回答 4

信徒さんの言葉

 何回かここで悩み相談をさせて頂いている者です。 厳しいながらも温かいお言葉を頂いて自分に決心がつき覚悟を持ってことに臨んでいきたいと思っています。 今回は悩みというより疑問に感じたことがあります。  過去の質問を見てい頂けると分かるのですが、私の母は、結婚に反対しており、彼女やそのご両親が合わないと感じ、後々私が苦労するだろうと直感し、ある仏教の信徒さんに相談しに行ったそうです。  信徒さん(母が言うには、神様のお告げ)の答えが母自身が感じてた通りの答えとなり、この結婚をないことにするためには、私と彼女が喧嘩別れをするのが良いと助言されたそうです。  神様のお告げの割には随分乱暴な助言だと思いました。話を聞くうちにその信徒さんは、真言宗の方らしいです。  真言宗には、十善戒という戒律があると知りました。その中で"不両舌:他人を仲違いさせない"という教えがありました。    私は、宗教の教えには疎いのですが、その教えを受けている筈の信徒さんがどうして十善戒の戒律に反するような助言を母にしたのか疑問に感じました。決して真言宗の方を批判するわけではないので誤解されないでください。  もしかすると何か本当の意味があるのかとも思いました。出家されていない信徒さんは、未来が見えたり、神様のお告げ聞けたり、相談に乗るということをするものなのでしょうか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 1