回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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出家って何をすることか分かっていないから
師弟関係は一生モノです。
弟子をとる側としては養子にして生涯あらゆる面倒を見るくらいの覚悟が必要なんです。なのに出家したいと言う人の9割は「あなたの弟子にして下さい」ではなく「誰でも良いから出家させて下さい」なんですよ。自分がお坊さんになりたいだけで、師なんか誰でも良いんです。舐めてんじゃねぇぞと。
あなた、今までの人生で学んだ全てを棄て、たらい回しになったお坊さん一人一人の色に染まる覚悟ありました?そのお坊さん達は生涯お仕えするに相応しいほど尊敬できましたか?そんなこと考えたことあります?
その温度差です。
だから私はhasunohaでいつも言ってるんですよ。色んな宗派、色んなお寺で坐禅会のような行事に足繁く通い、「一生この人について行きたい」と思えるお坊さんに出会えたら、その時出家するかどうか考えなさいと。
追記
もう1つのご質問であなたが悪霊と言った途端、お坊さん達の投稿がピタッと止まりました。これが現実です。出家することそのものが悪霊退散することでは無いんです。やはりそこはご了承下さい。
なのにお坊さん自身が率先して「誰かが何とかしてくれるだろう、だって出家は万能だもん!」と夢を見る。お坊さんの世界がどんなに闇が深いか一番知ってるくせに。だから盥廻しにされてしまうんです。残酷です。
それでもお坊さんは救われるためにどうすべきか書いていますよ。
「出家という形にとらわれずにお坊さんと同じように修行しましょう」
「どうして悪魔にとりつかれたと感じているのですか?具体的に新しく質問を立ててください」
私も「坐禅会のような行事に足繁く通いなさい」という事を書いていますし、遠回しに感じられるかもしれませんが「目の前のお坊さん一人一人に向き合いましょう」という事を書いています。
自分のイメージで物事を見做し、自分がやりたい事ややってほしい事ばかり主張していると、そういう自分自分自分の心を餌にして悪霊に狙われます。
身体の健康が日頃の生活習慣で大きく変わるように、霊性の健康も日頃の心のあり方で大きく変わります。
救われたいなら、お坊さんがこうしましょうと言った対処法をやってみて下さい。
厳しいこと言って申し訳ありません。でも、あなたが行こうとしている道は違うんです。救いがあるのはそっちじゃありません。
寺の息子はリスクとともに生きている。
おそらくあなたの言う出家とは、ただ「僧侶の資格を得ること」ですよね。まぁ、寺の息子であれば確かに簡単です。親が師匠になってくれますし、コネもありますから。
僕も寺の息子なんで、在家の人には高校生の時からいろいろ嫌味を言われました。「楽でいいな」「努力しなくても跡を継げていいな」と。
正直その通りだと思います。が、今の仏教界、僧侶が少ないと言いながら、実際のところ跡を継げるようなお寺の方が少ない。お寺にお金がないんです。
昔は、お寺に需要もあればお金もあったんで、一つのお寺が多くの弟子を抱えることができたんですが、今はどこもお金がないから弟子をとれない。だから僧侶になりたくてもなれない人が多くなる、僧侶は血縁に跡を継がせる、教えも広まらない・・・
お坊さんなんて、斜陽業種ですよ。これから20年で、現在の寺院は半分になるといわれています。残ったお寺も、厳しい時代になるでしょうね。
その現状をしっかり把握して、それでも出家したいというなら、やはりそれなりの覚悟が必要だと思います。坊主丸儲けなんて時代は、とっくに終わっています。ただ、一途に仏道のみを探求したいなら、どの宗派だって絶対にそんな人を放っておきませんから、出家できないなんてことはないんではないでしょうか。
僕ら寺の息子は、ある意味で生まれた時点である程度は「お寺を継いで、次に引き継ぐ」という使命を背負っているわけですから、ある意味リスキーです。年を取ってから寺がつぶれて無職になるというリスクを背負って修行し、寺院に属しているわけです。もはや他に生きる道なんてありません、寺とともに滅ぶ思いです。
それでも、仏教が好きだし、この教えを自分の時代で終わらせたくない。僧侶である自分に誇りをもっています。
その覚悟がありますか?「在家得度が~」といいますが、なんとなく僧侶になりたいとか、楽そうだからとか、ただ記念で・・・とかいうのなら、お坊さんになんてならないほうがいいと思います。正直、お坊さんにも才能というものがあります。仏教では「機根」といいます。よっぽどのスキルがなければ、生きていけませんよ。
※追記
「救いを求めて出家」といいますが、僧侶は「救う側の人間」です。出家しただけでは救われません。悪しからず。
お辛いと思います。
初めまして。本多清寛と申します。
盥回しにあい、ハスノハに相談しても否定され、心中穏やかではいられないとお察しいたします。嫌でしたよね。
ただ、じんさんが出家を願い続ける以上、必ず叶いますのでご安心ください。今は、その怒りを静めないと、日常生活が辛いと思います。ですから、まずは怒りをどうにかしましょう。
まず、相手を尊重してみてください。盥回しにしたお寺は、どうしてじんさんを認めなかったのでしょうか。きっと、理由があるはずです。それがどんな理由であれ、許してください。ポイントは、許すと決めた上で理由を考えることです。お寺のくせにとか、お坊さんだからとか、相手が何者であっても、無理やり許して下さい。
もし、許すことができたら怒りは湧いてこないと思います。ただ、それはけっこう難しいものです。どうしても許せないのであれば、許せない自分を許してあげて下さい。他人に怒りを持つ自分を、寛大なじんさんが許してあげるのです。イメージは仏様。あの穏やかな顔している仏様の表情を真似しながら、怒っている自分を許してあげてくださいね。
残念ですが、確かに排他的です。
私は在家出身ですが、
親戚に後継者のいないお寺があったので、
すんなり僧侶になれました。
でも普通は難しいと思います。
さて、他の宗派と比べたら、
浄土真宗なら比較的楽だと思います。
それでも、
全寮制の学校に1年間通うか、
通信教育を3年間受ける必要があります。
それに浄土真宗寺院の住職の推薦も必要になります。
東本願寺
http://www.higashihonganji.or.jp/news/collection/21371/
西本願寺
http://www.chubutsu.jp/index.html
僧侶になりたい熱意があれば、
推進してくれる住職は見つかると思います。
あきらめないで。
発願利生
こんにちは。
「発菩提心(ほつ ぼだいしん)」という言葉があります。
自分だけでなく、あらゆる人々が、皆共に幸せを得られるよう願いつとめるということです。
この心があれば、お坊さんと一緒です。
あらゆる人々が、皆共に幸せを得られるよう願いつとめるためには4つの行いがあります。
・布施(ほどこしの心)
・愛語(いつくしみの心)
・利行(親切な行い)
・同事(相手の立場になる)
これが、お坊さんとしての行いです。
これらの事をしていればすでにお坊さんですが、このような行いをしているうちに他のお坊さん達と一緒に修行(出家)するご縁ができてくると思います。
なぜそんなに「出家」という形にこだわるのでしょうか?その「こだわり」の心がまた出家から遠ざかっていることに気がつきましょう。
ちなみに、学費は用意できますか?
僧侶の資格をとるためには、それなりの学費が必要です。(私は僧侶になるために大学に行きました。)
他人である師匠が、そのような学費を簡単に出してくれるとは思えません。
あなたが学費を用意できるなら、師匠になってくれる僧侶を探せるかもしれません。
あなた自身が僧侶になりたい気持ちも必要ですが、あなたを僧侶にならせたいという周囲の人々の力も必要です。
本来は、僧侶は托鉢・布施(他人からの支援)だけで生活・修行をしていたわけですからね。
日本の場合は、他人からの支援だけではやっていけないお坊さんが多いので、別の職業をやりながらお坊さんをやってる人が多いのです。
質問者からのお礼
救いを求めてです、ただ私は救われなかった、私は悲しい
伝わるわけがなかった、お寺の実情なんて散々調べたのでよくわかってます、でも心を尽くして返答してくださりありがとうございました