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なぜ在家から出家することがこんなにも難しいんですか?

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なぜ在家得度はこんなに難しいんですか?たらい回しです


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出家って何をすることか分かっていないから

師弟関係は一生モノです。
弟子をとる側としては養子にして生涯あらゆる面倒を見るくらいの覚悟が必要なんです。なのに出家したいと言う人の9割は「あなたの弟子にして下さい」ではなく「誰でも良いから出家させて下さい」なんですよ。自分がお坊さんになりたいだけで、師なんか誰でも良いんです。舐めてんじゃねぇぞと。

あなた、今までの人生で学んだ全てを棄て、たらい回しになったお坊さん一人一人の色に染まる覚悟ありました?そのお坊さん達は生涯お仕えするに相応しいほど尊敬できましたか?そんなこと考えたことあります?
その温度差です。

だから私はhasunohaでいつも言ってるんですよ。色んな宗派、色んなお寺で坐禅会のような行事に足繁く通い、「一生この人について行きたい」と思えるお坊さんに出会えたら、その時出家するかどうか考えなさいと。

追記
もう1つのご質問であなたが悪霊と言った途端、お坊さん達の投稿がピタッと止まりました。これが現実です。出家することそのものが悪霊退散することでは無いんです。やはりそこはご了承下さい。
なのにお坊さん自身が率先して「誰かが何とかしてくれるだろう、だって出家は万能だもん!」と夢を見る。お坊さんの世界がどんなに闇が深いか一番知ってるくせに。だから盥廻しにされてしまうんです。残酷です。

それでもお坊さんは救われるためにどうすべきか書いていますよ。
「出家という形にとらわれずにお坊さんと同じように修行しましょう」
「どうして悪魔にとりつかれたと感じているのですか?具体的に新しく質問を立ててください」
私も「坐禅会のような行事に足繁く通いなさい」という事を書いていますし、遠回しに感じられるかもしれませんが「目の前のお坊さん一人一人に向き合いましょう」という事を書いています。

自分のイメージで物事を見做し、自分がやりたい事ややってほしい事ばかり主張していると、そういう自分自分自分の心を餌にして悪霊に狙われます。
身体の健康が日頃の生活習慣で大きく変わるように、霊性の健康も日頃の心のあり方で大きく変わります。

救われたいなら、お坊さんがこうしましょうと言った対処法をやってみて下さい。
厳しいこと言って申し訳ありません。でも、あなたが行こうとしている道は違うんです。救いがあるのはそっちじゃありません。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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寺の息子はリスクとともに生きている。

おそらくあなたの言う出家とは、ただ「僧侶の資格を得ること」ですよね。まぁ、寺の息子であれば確かに簡単です。親が師匠になってくれますし、コネもありますから。
僕も寺の息子なんで、在家の人には高校生の時からいろいろ嫌味を言われました。「楽でいいな」「努力しなくても跡を継げていいな」と。

正直その通りだと思います。が、今の仏教界、僧侶が少ないと言いながら、実際のところ跡を継げるようなお寺の方が少ない。お寺にお金がないんです。
昔は、お寺に需要もあればお金もあったんで、一つのお寺が多くの弟子を抱えることができたんですが、今はどこもお金がないから弟子をとれない。だから僧侶になりたくてもなれない人が多くなる、僧侶は血縁に跡を継がせる、教えも広まらない・・・
お坊さんなんて、斜陽業種ですよ。これから20年で、現在の寺院は半分になるといわれています。残ったお寺も、厳しい時代になるでしょうね。

その現状をしっかり把握して、それでも出家したいというなら、やはりそれなりの覚悟が必要だと思います。坊主丸儲けなんて時代は、とっくに終わっています。ただ、一途に仏道のみを探求したいなら、どの宗派だって絶対にそんな人を放っておきませんから、出家できないなんてことはないんではないでしょうか。
僕ら寺の息子は、ある意味で生まれた時点である程度は「お寺を継いで、次に引き継ぐ」という使命を背負っているわけですから、ある意味リスキーです。年を取ってから寺がつぶれて無職になるというリスクを背負って修行し、寺院に属しているわけです。もはや他に生きる道なんてありません、寺とともに滅ぶ思いです。

それでも、仏教が好きだし、この教えを自分の時代で終わらせたくない。僧侶である自分に誇りをもっています。

その覚悟がありますか?「在家得度が~」といいますが、なんとなく僧侶になりたいとか、楽そうだからとか、ただ記念で・・・とかいうのなら、お坊さんになんてならないほうがいいと思います。正直、お坊さんにも才能というものがあります。仏教では「機根」といいます。よっぽどのスキルがなければ、生きていけませんよ。

※追記
「救いを求めて出家」といいますが、僧侶は「救う側の人間」です。出家しただけでは救われません。悪しからず。

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お辛いと思います。

初めまして。本多清寛と申します。

盥回しにあい、ハスノハに相談しても否定され、心中穏やかではいられないとお察しいたします。嫌でしたよね。

ただ、じんさんが出家を願い続ける以上、必ず叶いますのでご安心ください。今は、その怒りを静めないと、日常生活が辛いと思います。ですから、まずは怒りをどうにかしましょう。

まず、相手を尊重してみてください。盥回しにしたお寺は、どうしてじんさんを認めなかったのでしょうか。きっと、理由があるはずです。それがどんな理由であれ、許してください。ポイントは、許すと決めた上で理由を考えることです。お寺のくせにとか、お坊さんだからとか、相手が何者であっても、無理やり許して下さい。

もし、許すことができたら怒りは湧いてこないと思います。ただ、それはけっこう難しいものです。どうしても許せないのであれば、許せない自分を許してあげて下さい。他人に怒りを持つ自分を、寛大なじんさんが許してあげるのです。イメージは仏様。あの穏やかな顔している仏様の表情を真似しながら、怒っている自分を許してあげてくださいね。

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本多清寛
本多清寛と申します。 答えではなく、応えを出して行きたいと思っております...
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残念ですが、確かに排他的です。

私は在家出身ですが、
親戚に後継者のいないお寺があったので、
すんなり僧侶になれました。
でも普通は難しいと思います。

さて、他の宗派と比べたら、
浄土真宗なら比較的楽だと思います。
それでも、
全寮制の学校に1年間通うか、
通信教育を3年間受ける必要があります。
それに浄土真宗寺院の住職の推薦も必要になります。

東本願寺
http://www.higashihonganji.or.jp/news/collection/21371/

西本願寺
http://www.chubutsu.jp/index.html

僧侶になりたい熱意があれば、
推進してくれる住職は見つかると思います。
あきらめないで。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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発願利生

こんにちは。

 「発菩提心(ほつ ぼだいしん)」という言葉があります。
 自分だけでなく、あらゆる人々が、皆共に幸せを得られるよう願いつとめるということです。
 この心があれば、お坊さんと一緒です。

 あらゆる人々が、皆共に幸せを得られるよう願いつとめるためには4つの行いがあります。
 ・布施(ほどこしの心)
 ・愛語(いつくしみの心)
 ・利行(親切な行い)
 ・同事(相手の立場になる)
 これが、お坊さんとしての行いです。

 これらの事をしていればすでにお坊さんですが、このような行いをしているうちに他のお坊さん達と一緒に修行(出家)するご縁ができてくると思います。

 なぜそんなに「出家」という形にこだわるのでしょうか?その「こだわり」の心がまた出家から遠ざかっていることに気がつきましょう。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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ちなみに、学費は用意できますか?

僧侶の資格をとるためには、それなりの学費が必要です。(私は僧侶になるために大学に行きました。)
他人である師匠が、そのような学費を簡単に出してくれるとは思えません。
あなたが学費を用意できるなら、師匠になってくれる僧侶を探せるかもしれません。
あなた自身が僧侶になりたい気持ちも必要ですが、あなたを僧侶にならせたいという周囲の人々の力も必要です。
本来は、僧侶は托鉢・布施(他人からの支援)だけで生活・修行をしていたわけですからね。
日本の場合は、他人からの支援だけではやっていけないお坊さんが多いので、別の職業をやりながらお坊さんをやってる人が多いのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

救いを求めてです、ただ私は救われなかった、私は悲しい

伝わるわけがなかった、お寺の実情なんて散々調べたのでよくわかってます、でも心を尽くして返答してくださりありがとうございました

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

僧侶になり、お坊さん便に加盟したいです

 現在60です。  最近、退職しました。これから浄土真宗本願寺派の僧侶になって、できたら死ぬまで僧侶として働きたいと考えてます。  まず、僧侶になるためには、得度を許可し所属寺になってくださる師僧さんを探さなくてはいけないこと、そしてそれがかなり大変なことは調べて分かりました。その難関をなんとかクリアーできたとして、その後の僧侶としての生活について教えて頂ければ嬉しいです。  どこかの所属寺に所属する教師僧侶になれたとして、その後、そのお寺に雇って頂くということをまず考えました。しかし、最近では、他人を雇うほど余裕のあるお寺はあまりないと考えました。そこで、自分でネット(イオンやお坊さん便)などを利用して、法事の機会を与えてもらいつつ、修行&生計を立てることができれば、色々良いのではないかと現在考えています。  そこで教えて頂きたいのですが、お坊さん便などを利用して、所属寺外で法事を営むことは、所属寺から許可してもらえるでしょうか?また、許可してもらえるとして、やはり収益の何割かをお礼として喜捨させて頂けば良いのでしょうか。  僧侶になることは真剣に考えています。そこから、生活できるくらいの収入をもちろん得たいと考えていますが(年金が少ないので)、残りの人生を他の人に貢献するために使い切りたいという気持ちが強くあります。ご相談頂ければ大変うれしいです。

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田舎の寺を継いだが辞めたい

はじめまして。 地方の田舎の寺を親から継いだ40代独身です。 20代で修行を終え、最近登記も済ませ、住職となりました。 姉(独身)と父(もう高齢化してきてます)と私の3人でやってます。 母親は檀家の紹介でお見合いし、父と結婚。しばらくアパートで暮らしてましたが、姉が産まれ、しばらくして、弟である私が産まれました。 その後、寺に入ってほしいと祖父母からの要望で、田舎の寺で祖父母と同居となりました。 母はそこそこ有名企業で収入もよく、当時結婚が当たり前の時代、相手はほかにもいたというのに、なぜ寺なんかに嫁いだのか・・・。 私らの子育てがあったので、仕事をやめ、寺で生活してましたが、慣れない祖父母との同居生活、加えて急に来る檀家の対応等で精神疾患となりました。 どうしても無理だと思った母を見かね、父は私らを連れて寺を出ることになりました。寺から1時間程度離れた別の場所に家を建て、そこで私らは育ちました。住所変更も済ませ、学校などもそちらの地元を出ました。 その後、私は専門を出て就職したのですが、父が病気にかかり、寺を継いでやってくれと頼まれまして、仕事をやめ、そのまま修行を終え、寺に入って住み込みで約10年ほどやってきました。 田舎の檀家寺になりますので、近辺のほとんどが昔からの檀家です。 付近の住職死亡後誰もやらなくなった無住の寺を代務でいくつも抱えており、その負担が私に全部来るようになってます。 朝でも夜でも電話もなく、いきなり急に来る檀家が多く、毎回相当なストレスを感じてしまいます。少しでも出れなかったり、いないと、なんでいないんだ?どうなってるんだ?と怒鳴る檀家もいて、もう寺にいたくないとさえ思うことが多いです。 葬式が入れば、戒名いらない、葬式だけ1日でやってくれ、寺に親が昔勝手に建てた墓があるから仕方なく、住職を呼ばないと納骨ができない・・・そんな感じの檀家がほとんどで、毎回対応するのがものすごい大変です。 今はまだなんとか父がいますので、いろいろ聞きながら、私が檀家の接客電話担当、姉は裏方で主婦みたいな感じでやってます。 もう姉も私も結婚は難しいと思ってますし、檀家は全部あわせると400件ほどおり、次はいったいだれがやるのか・・・。 できることなら私と姉はやめて、寺から出ていき、よそから住職呼んで継いでもらいたい・・・甘い考えなのでしょうか?

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今年24歳になります。色々とあり発達障害、鬱病の診断を前々からされています。 もともと10代の頃から、おばあさんになって自分のやりたいことが出来なくなったら仏門を学んでみるのもいいかもしれないと思っていました。 通信制の学校を卒業し、やっとやりたいことをみつけ、SNSや動画を作ったり個人で活動をしていましたがメンタルも体調もよくならずやっと3年続けて折れてしまいそうです。 こんな自分を変えたいと思い、筋トレを始め、たまに仏教や神様のことについて調べて、自分を愛す、諦める、という方法を試したつもりでしたが 自分はだめだ、という固定概念が覆せずやりたい事、今まで楽しかったこともダメになってしまい これでは人を笑顔にするのはおろか、自分のことも幸せには出来ないと嘆いてばかりです。 バイトを始めれば人間関係が上手くいかず、働かなければ罪悪感に苛まれ、休むこともままならない中、 修行僧を募集しているお寺さんがあることを知りました。 ここで2つ疑問があります。 自分は、仏教について趣味程度の知識しかなく、学校にて学んだことはありません。 精神病について悩んでいる方も迎える、と言ったお寺さんがあることも知っていますが 自分を変えるため、自分のため、と言った理由でも、履歴書をちゃんと書いて、ゆくゆくは人の為に祈りたいと仏門に入ることは許されるのでしょうか。 また、大学に入って学ばなければ修行僧としての受け入れは、やはり難しいでしょうか。 まずは家でやれる写経や座禅、やってみました。 近くのお寺では説法会?など予定が何年も前からずっと更新されず体験出来ていないのが現状です。 頭の硬い私にはなかなか効果がでず、悪い言い方になりますがいっそ 厳しい世界でシバいて だめならシバかれた経験を生かし自分に強く生きていきたいと思っています。 女の体として生まれたので壁もある世界かもしれませんが、頑張りたいと想ってもいいのでしょうか。 お坊さん本職の方から意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

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女性の在家の出家を認めてくれますか?

禅の独自の方法で集中的に在家修行をして、3年以上になります。6年前に大学院在籍中に、気づきの瞑想の型を習得し、研究で理論を創造し、理論を実践の内容とし、禅の独自の方法として理論を修行に応用化させました。 今の境地を顕すなら、宇宙の理を見ることができるようになりました。私がどういう仕組みで、どういう自然の流れで生かされているのか、理解できるようになったのです。この真理の構造を知る事によって、他者や物理的法則がどういう意識、又は秩序の構造か、知る事も可能になりました。 今、困っているのが、食欲が減退し、ご飯は無理矢理食べています(死にたくないからです。)、睡眠欲が完全に無くなり(今、書いている時間帯まで眠れません)、性欲も気持ち悪くなってから、追求しなくなりました。他者に配慮したり、他者のペースに迎合すると、忽ちに気力が無くなってしまいます。この時、呼吸も乱れて、身体に力が入らなくなり、動けなくなります。今は、生きるのに思うようには行きません。 出家したら、自分の主体が乱れるのも危惧していますが、このまま一人で暮らせば、誰も加護してくれない場合、私は生きていけるのか、漠然としたシコリがあります。出家の本来の意義は、生きるか死ぬかの狭間で、世に殺されない為、即ち、世との軋轢で自殺しない為にあると、ささきしずか先生の本で見たことがあります。私は、日本社会の隅っこで、唸り続けながら、死ぬしかないのでしょうか。出家するしかないのではないか、といつも思っていますが、何故か今は、念仏して拝みたい欲に駆られて、仏様の側に居たい気持ちでいっぱいです。誰か、助けてください。

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