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「浄土真宗」問答(Q&A)一覧

2025/03/05

読経、火葬後に別のお寺で戒名…

ネットの他所でも投稿させて頂いており、マルチ投稿になってしまう事をお許し下さい(そのサイトでこちらを紹介して頂けました)。また場にそぐわない見当違いな投稿内容かも知れませんがその場合もお許し下さい。返答もこのサイトのシステムがよく分からないのですができる限りします。 <br> 母が他界→直葬で火葬直前に依頼した浄土真宗の僧侶さんに来て頂き短い読経を上げて頂く(お布施代3万包みました)(親戚関係者10人弱程度で見送りました)→地元のお墓に納骨した <br> で終わりのはずだったのですが、 <br> 県跨ぎの所に別居中の姉が母に戒名が無いのがいたく気に入らなかったらしく、持ち帰った遺骨で相談無しで姉の近場のお寺で母の戒名をして貰う(←父が同席していたので後で私が知った。戒名の大きい札のようなものも自宅にあります)→四十九日に私が依頼した住職さんにお墓の前で読経して欲しいとの事。 <br> 質問は ・この場合火葬前の読経はどういう扱いになるのか ・その読経をして頂いたお坊さん(住職さん)に再度依頼するのは失礼では無いのか。かなり憤慨されるようなことになってもおかしくないのではないか。別の浄土真宗のお寺に依頼した方が無難では無いのか。その場合宗教的にNGという事は無いのか。 <br> です。補足として、火葬のお坊さんとは家の距離も近く、お寺にも一度来訪しており今後も考えてあまり良くない感情を持たれたくないのです。 <br> ただ、県跨ぎの向こうの僧侶さんに着て頂くのはお車代や移動の負担を考えてやりにくいのも分かります。 <br> なので姉の方でこちらの地域の別の僧侶さんに依頼して貰ってはどうかと思ったのです。私が全く関与しないでやって貰った方がまだ筋が通るように思えるからです(姉に対しては怒りの感情はありません。戒名したいのならこちらに相談してくれればまだ良かったように思います。その方がまだ話の流れがある程度自然だったのでこちらのお寺にも相談しやすかったと思うからです)。 <br> なお姉が戒名したお寺は曹洞宗、20万円で戒名しています。

有り難し有り難し 28
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2025/01/03

往生を信じ切ることができそうにありません

ご覧いただきありがとうございます。 数日前から浄土の教えについて学び始めた者です。 先に質問を記載させていただきます。 1. 阿弥陀様や往生を疑う気持ちがわずかでも残っている場合、念仏しても往生できないのでしょうか? 2. 阿弥陀様や往生を疑う気持ちをなくしていくにはどういった心構えや方法があるのでしょうか? 3. もし、この疑う心について掘り下げた聖人の書物やお言葉等がありましたら、ご教示いただけないでしょうか? 以下、経緯等です。 今、法然上人の『選択本願念仏集』を読んでいる途中なのですが、往生するためには三心を具えなければならないと書かれていました。 この点について『一枚起請文』では次のように書かれているようで、疑念を持たずに信じることで自然に具わるとのことでした。 > ただし三心・四修と申もうすことの候は、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり。 ただ、正直に申し上げますと、本当に心の底から阿弥陀様と往生を一切の疑いなく信じることは、現時点ではできそうにないと思っています。 徹底できるのであれば、それはもはや凡夫ではなく聖人だと思ってしまいます。 初めて真剣に「南無阿弥陀仏」と口にした時は、ふと心が軽くなり涙が出てきたので、阿弥陀様は「いらっしゃるかもしれない」と思えました。 ただ、それも最初だけの出来事ですし、「かもしれない」という程度で留まっていますし、これを確信であると自分を騙すのも無意味だと思われます。 また、念仏も熱心に唱えられるわけでなく、気が向いた時に小声で口にするような怠け者です。 これまで色々な思想を試してみましたが、「本当に素晴らしい考えだけど自分には徹底して行うのは到底無理だ」と挫折し続け、紆余曲折で浄土の教えにたどり着き、希望を持って学び始めました。 ただ、そこでも自分には難しいという現実に直面してしまいました。 『徒然草』には「疑ひながらも、念仏すれば、往生すとも言はれけり」との文があるようですが、これも本当にそう法然上人がおっしゃられたのかは不明で、これまた自分には信じ切ることができません。 自分では何もできないにもかかわらず、かといって何も信じ切ることや頼り切ることができず、どんなことも徹底できない自分が浮き彫りになり、絶望しています。 どうか、ご助力いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 12
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2024/09/10

お仏壇の買替えとご本尊の引っ越しについて

お仏壇の買い替えとご本尊の引っ越しについて教えて下さい 私の実家に据え置きの浄土真宗の仏壇があります。 仏壇は高さが150cmくらい、幅が65cmくらいです。 位牌は繰り出し式のお位牌で祖父母、父が入っており最近母が亡くなりまして 母もその繰り出し式のお位牌に入っています。 実家は母が無くなり空き家になったため仏壇(お位牌・ご本尊・脇侍)を 実家から私の自宅に移そうと考えています。 私の自宅は狭いので、仏壇は上置きのものを新規に購入して、 実家からお位牌・ご本尊・脇侍を自宅へ持ってくることを考えています。 実家のご本尊・脇侍(どちらも軸のタイプです)の大きさを確認したところ、 ご本尊で高さ34cmくらい、幅が14cmくらい。 脇侍が二つとも高さ27cmくらい、幅が13cmくらいのものでした。 このご本尊と脇侍を実家から私の自宅へもってきて新しい上置き仏壇に収めるとなるとご本尊と脇侍がおおきいため収まらないことがわかりました。 そこで、私の自宅で新規に仏壇、ご本尊、脇侍をあたらしく購入して 準備するという方法を考えました。 その場合ですが、 (1)実家にある仏壇の魂抜きですが、繰り出し式のお位牌のみの魂抜きになりますか? (2)ご本尊、脇侍についても魂抜きをおこなうことになりますか? どのような対応になりますでしょうか? なお、実家の仏壇は位牌を私の自宅に移したのち、時期を見て処分する予定です。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 19
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2024/09/03

犯罪者を慈悲の心で救うと考えるのは誤り?

私は人間には業を作らなければならない宿業という物があると思ってます。 定められた宿命の様な業バージョンの自分で作った造語です。 ※宿業という言葉はもう既に存在してる事は知ってます。 その宿業を持った人間と他者を繋ぎ止める縁、即ち業縁もあると考えています。 世の中、良いご縁ばかりがある訳じゃありません。 悪いご縁も勿論あるのです。 ただし、宿業と業縁の相互が見事にマッチした時、間違いを選択してしまうか否かはその人自身によって変わります。 強い人は打ち勝って状況を良くしようと邁進するでしょうが弱い人はここで堕落してしまいます。 分かりやすく言うと犯罪者になるという事です。 ありとあらゆる可能性を分析してそのレベルが低い人は人間社会における負け組になる傾向にある訳です。 生まれた環境が悪く、能力もさほど高くなく、宿業と業縁がマッチしてしまう人は犯罪に手を伸ばしてしまう人が多いと思います。 自分はそんな人達が本当に可哀想だと思います。 はっきり言うと世の中救いようのない人間は誰一人居ないと思います。 浄土真宗の本願誇りだってそうです。 悪い事をしまくっても救ってくれるという解釈違いを生んでしまう、その状況が悪い訳でその人自身が悪い訳ではないと思います。 人生において色々重要視するポイントはありますが縁(人と人との繋がり)は最重視しても良い位だと思います。 ここで冒頭に戻りますが宿業といっても人それぞれ大小異なると考えてます。 虫を殺してしまう宿業を持って産まれてきた人だったり人を殺めてしまう宿業を持って産まれてくる人だったり人それぞれですが必ずしも業を作る訳ではないと言えるのもまた事実です。 本質に近い宿命すら何の課題を持って産まれて来たのすら分からないまま達成する事なく亡くなる人や知らず知らずのうちに達成して成仏する人も居ると思いますし。 犯罪を助長したい訳じゃないです。 悪い事はきちんと償うべき。 私のこの文を読んで業縁で繋がった人が解釈を間違えて非行に走る前に念押しでもう一度言います。 犯罪はするべきではないです。 千字ギリギリまでダラダラ文字打ちしましたが何を言いたいのかというと業にも縁があって人を殺めてしまう人とそうでない人の違いはその縁があるかないかだけだから平和に過ごせてる人は犯罪を犯してしまった人を慈悲の心で助けるべきだと思う私の考えは誤ってますでしょうか?

有り難し有り難し 2
回答数回答 1
2024/08/17

僕の仏道を見つけたかもしれない

家の宗派に捉われず、自分個人の考えに合う仏教宗派を求めてグルグルと何周も思考の旅だったり実際にあちこちに足を運ぶ物理的な旅だったりを繰り返してきました。 基本的には僕は称名念仏の徒ですが、それだけで本当にいいのだろうかという疑いのような気持ちがあって、でも禅や密教などできる気もしなくて、それらのスピリットを念仏の中に包含した総合仏教みたいなオールインワン念仏を説く宗派はないかなと思っていました。その候補として浄土宗西山派、時宗、天台真盛宗など考えました。 ただ、ふと思ったのです。仏教宗派はよく登山道に例えられますが、それを一人で網羅する必要はないんじゃないか。オールインワン念仏でなくても、自分の道が称名念仏であるなら他の道を通る時の景色は絶対に見なきゃいけないということはないんじゃないか。 伝教大師が好きなのですが、例え天台宗に入っても法華や禅や密教を自分でやるとは思えず、やっぱり天台宗内の念仏行者にしかならないと思います。じゃあ浄土宗(鎮西義・知恩院)でいいんじゃないのか。 ただ、浄土宗は生きている間の生き方への教えが弱いかなと思うのです。 「現世を過ぐべきようは、念仏の申されん方によりて過ぐべし」ぐらいしか無いように思いますが、平安鎌倉の時代は良くても現代人にはこれだけでは生き方指南としては弱過ぎはしないか。 この点が浄土宗の弱点だとずっと思っていましたが、そこで好意を持っている伝教大師の教えを援用するということを思い付きました。そう、あの有名な「一隅を照らす」。 仏道修行としては浄土宗の念仏しかしませんが、人間としての生き方としては「一隅を照らす」を座右の銘とする。浄土・天台の併修と言えるほど本格的なものではありませんが、この両宗派を菩提宗とした僕の尊敬する徳川家康公のお心にも叶うかと思うのです。 僕が見つけたこの仏道、お坊様方から見てどうでしょうか? なにぶん素人の横好きからの考えですので、未徹在な点があればご指摘ください。

有り難し有り難し 15
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2024/08/08

現世利益とは

十年来の悩みを解決するためにあちこちの寺社を巡り、現世利益を説かない浄土真宗(現生十種の利益というのがあるのは知っていますがそういうのじゃなくてもっと即効性のある即物的な現世利益が欲しい)を辞めてまで理想の宗派を探している者です。 ただ、割と現世での救いに力を入れて説いていらっしゃるイメージがある日蓮宗のお坊さんに聞いても「現世利益とは久遠本仏を悟り安らかさを得ること」という答えだったので、ちょっと仏教における現世利益を根本から考え直さなければいけないのではないかと思ってしまった次第です。 歴史的に浄土系は来世にしか救いがないと批難してきたはずなのに日蓮系自慢の現世での救いも心の安らかさを得るだけなら浄土系と五十歩百歩ではないのか(阿弥陀念仏だって心の安らかさは得られますから)。 結局のところ仏教における現世利益ってどこの宗派も「直接的に奇跡が起きて悩みが解決するわけではないが、心の持ちようで悩みが軽く感じられるようになる」程度のものなのかと思えてきました。このあたりのお坊様方の現世利益の捉え方(具体性の程度)をお伺いしたいです。 仏教に願いを叶える現世利益は無いとまでは言い切れないでしょうが、自分の努力で一進一退を重ねても最後の決め手に欠けるという時にずっと傍観していた神仏が最後の一手だけ手を貸してくれるというようなものだと思った方がいいでしょうか?

有り難し有り難し 15
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