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適当にお経を読まれていたのでしょうか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 22

先日主人の母方の法事があり結婚後初めて出席しました。
主人からみて
ひいお爺様のお父様、ひいお爺様、ひいお婆様の法事でした。
お経を読んでくださったお坊様は私の子どもたちに走り回ってても良いととても優しくしてくださいました。しかし、袈裟を着ず、お経を読み始めると中盤は、なむなむだ、なむなむだ、なむなむなむなむなむだと聞こえるような(発音はお経の読み方のように一字一句伸びのあるような)お経が続きました。お経が書かれた本のようなものを決まった間隔でめくっていたのですがペラペラと2ページめくることもありました。
親戚のおばあちゃん達はこんなお経聞いたことない、人を馬鹿にしてるのかと言ってる人もいました。
いろいろな宗派があり、お経もそれぞれだとは思いますが、上記のようなお経はきちんとした読み方なのでしょうか?それとも適当に読まれたのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これをきっかけに本当にお経の中身を求めましょう

まず、その僧侶はどーでもいいとして(どうでもよくないでしょうけど)あなたの為にQ&Aを作りました。
ご一読頂き、あなたの中での仏道修行が始まることを祈ります。

怒りや問題点が、その僧侶にあるのか、それとも❝何処❞にあるのかが明確になれば幸いです。

お経ありがたいッスわ。
どーしてですか?

お釈迦様の有り難い教えが説かれてるッス。
どんな事説かれてるんですか?

自分で求めんかい。
何処に求めればそれが手に入るんスか?本屋っスか?お寺ッスか?

ただいたずらお寺行っても観光かポケモンGETにしかならん。
じゃ、どーすればOK?

仏の心を求める菩提心を持つことです。それ無しにお寺門を叩いても仏教を学んでも徒労に終わります。ですが、ポケモンはGETだゼ!
以前、本屋でお経の訳本を読みましたが意味が分かりません。

それは訳した人が修行や悟りの確信なしに知識だけで訳そうとした本だからであるか、ちゃんとした指導者無しに学ぼうとするからです。
知識では成仏できないのですか?

本やネットの知識をため込んで成仏できるもんなら林先生などの知識人は皆仏さまじゃ。
ならどのような事が説かれているのですか?

人間が不幸にならんようなことが説かれておる。
どうして人は不幸になるのですか?

変な坊さんがやってきて変なお経を聞かされて疑わしいイヤな気持ちになって心が晴れなくなったりするのはどこの誰のどのあたりのことか。
私ん中です。

なぜですか?
その僧侶のせいです。

いいえ。実はあなたの中で問題が生じたのであって、100%非が相手にあるのではニャイ。
え?その僧侶のせいでしょ?

相手によってそうなったのであれば、その相手がさえこの世にいなかったならばあなたの人生は今後も安らかですか?
いいえ、今後も何が待ち受けているかわかりません。

では、どうすれば一生、安楽ですか。
仏教、お経の内容を知ることでしょうか?

そうです。だから、ここでもっと突っ込んだ質問をしましょう。あなたの仏教はそこから始まります。
その謎のナムナム僧侶のお経を無駄無駄無駄無駄にさせない為にもあなた自身が主体性をもって仏教の真意を説いてくれる僧侶を探し、問うべきです。

私は人様の読むお経では満足できなかったものでしたから真意が明らかになると、成程と合点が行きます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

不安にさせてお許しください、補足

宗派はどこでしょう?
浄土宗でしたら、中盤辺り、お経を読んだ後に「念仏一会」という、ただひたすら平な鐘あるいは木魚を叩きながら「南無阿弥陀仏」とお称えする場面があります。
法要の中で一番大切なのはこの念仏一会であります。
お経を読むのは補助的なものです。
お経をペラペラめくっていたのは、確かにあまりよろしくないですね。しっかり前を向いて、仏様の方を向いて念仏に集中しないといけませんからね。
ただ、お経を見ながら念仏をお称えする方が雑念が浮かびにくいという一面もあるのです。
もしそうだとしたら、まだまだ修行が足りないなと思ってどうかお許しください。

また、他の宗派や地域の習慣、お寺さんの習慣など他の理由があるのかもしれません。
それについては分かりかねますので省略させてください。

南無阿弥陀仏

補足
そのタスキみたいなものは恐らく伝道袈裟だと思います。袈裟の一種です。
その他疑問などあればそのお坊さんに直接何でも遠慮なく聞いてみてくださいね。仏教に興味を持って質問される事は、お坊さんからすれば嬉しいものなのですよ。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

「なみあみだぶ」ではなかったですか?

浄土宗で、南無阿弥陀仏の念仏を連続で唱える場合、「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ」と一定リズムでかなりの回数をとなえる場合があります。
それではありませんでしたか?

ただ、気になるのは、袈裟を着ていなかったという点です。
どんな服装でしたか?
洋服バージョンの僧侶服にネクタイみたいな太さの袈裟を首にかけるだけのスタイルもありますが、法事であれば、和服タイプの衣に袈裟を着けるのがほとんどのはずです。

そもそも、お寺のお坊さんだったのでしょうか?
仏教系の新興宗教ではありませんか?

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

お答えいただきありがとうございます。
不動産屋もないぐらいど田舎のお寺なのでスマホで調べて出てくるか心配でしたが、ご指摘通り浄土宗でした。きちんと読経していただいてたんですね。
服装は洋服、和服はわかりませんが、その服装なら袈裟をしているのが普通なのでは?とゆう服装でした。しかしお経を読む前に首に紫色のタスキのようなものをかけました。

人それぞれ十人十色、お坊様も、お経もそれぞれ個性があるんですね。
お坊様は主人が3歳くらいの時のお葬式でお経を読んでいただいたとき主人は隣でずーっと木魚を叩いていたみたいです。そのときも怒ったり、邪魔がったりせず、お坊様にするので、引き取っても良いですか?と冗談を言っていたみたいです。子どもに優しい立派なお坊様なんですね。

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