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理不尽な事にどのように接すればいいでしょうか。

回答数回答 2
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よろしくお願いします。
私の失敗した失敗と同じ状況で同じ失敗を他人がした時、私の方が風当たりが強いです。

私が集合時間に3分遅れた時はものすごく嫌な顔をされます。
しかし、他の仲間が10分遅刻した時はその人に対して誰も何も言いません。

叱られるのは期待されているからだ、という言葉がありますが、このようなケースは絶対に違うと思います。
ただ、粗探しをして攻撃をすることによって優越感に浸りたい人の標的にされているだけではないでしょうか。
他人の不幸は蜜の味、まさにそれです。
私をバカにして良い気になって何が楽しいのでしょうか。
人の不幸は蜜の味?何それ食えんの?そんなに美味しいの?
胸糞悪いです。
穏やかではありません。
不幸の人見て優越感に浸るほど私は偉くありません。そのような人たちはなぜそんなにエライのでしょうか?
また、自分と他人が同じような結果を出した時、毎回自分の方が低い評価を受けます。

どうも私はそういうのに標的にされやすいようです。幼稚園に通っていた時くらいから、社会生活続けてきてずっとそんな感じです。
世の中理不尽である、そして自分は搾取される側だと幼いながらも悟っていました。

本当に理不尽極まりないと思います。
そんな世の中生きていくためにはどうすればいいでしょうか。
面白くありません。

かといってこれらのことが解消されたとしても自分はまだ文句ばっかり言うのではないかと思います。
少し話題がそれましたが、そんな性格も直したいです。
アドバイスいただけましたら幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分だけを見つめて

「他人の過ちを見てはいけない。
他人のしたこと、しなかったことを見るな。
ただ自分のしたこと、しなかったことだけを見なさい。」
お釈迦様の言葉です。
他人のやった事や評価に心を奪われてはいけません。
自分がやった事やそれに対する自分の評価だけを見つめてください。
自分がやるべき事をやる。それだけでいいのです。他人の評価などに価値はありません。
あなたが尊敬する人のあなたに対する評価には意味があるでしょう。
しかし、そうでは無い人のいい加減な評価など全く意味がないのです。
意味の無い評価に揺さぶられない真っ直ぐな強い心を持ちましょう。

この世は理不尽な世です。
なんの罪も無い人が殺される事もあります。
しかし私達は生まれてきてしまいました。
もう後戻りはできません。
ならば覚悟を決めて、揺るぎない自分の心とお釈迦様の教えを道標に、この理不尽な世界を命が尽きるまで歩んでいこうではありませんか。

もう一つお釈迦様の言葉を贈ります。
「百万の敵を倒す事より、自分に勝つ者こそ真の勝利者である。」

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

条件付けを無くす

多分アンタその人たちから嫌われてるんスよ。ぶっちゃけ。浮いてるんス。
協調性が低いのでしょう。全然OK。自分にしかできない道が見つかるまでは傷のなめ合いやなれ合い集団に属さなくても結構。
私はこの回答僧の中では蜜の味ではなくスパイス系ですあしからず。
←何それ食えんの?いいえ、食えない奴という意味で耳に痛い回答で聞く人内心穏やかではありません。人間、立場で接してくる人はみな理不尽。こちらの都合オカマイナシ。
こちらにも自分の都合があるから衝突する。
こちらが無私で冷静であれば、衝突はZERO。
どこの業界でもそうですが、あなたの自我が強ければ出る杭は打たれて当然ですよ?
まず、そこを自覚することです。
世界遺産や国宝建造物の修復も手掛ける匠の集団「鵤公舎」では宮大工を志して入社する者は年間100名程だそうですが、本当に続く者は指折りだそうです。
その中でも真のプロ中のプロ、匠職人になれるのは、数名。
うちのお堂を立ててくださった遠藤さんという方と昨日お話ししました。当時現場棟梁でわずか31歳。立派に責務を勤めました。仕事はできるし、謙虚な人です。
一緒にいて毒がない。そういう人を目指すとイイですね。
Q「すぐにやめてしまう人の特徴はありますか」
A「怒られた時に、自分が先に立つ人です」
💡
お悩み相談でもこの人聞く耳を持ってないなぁと思う人は沢山います。
人にお悩み相談する段階にない人です。
「自分が正しい!アイツらが間違っている」と言っているだけ。
そこに同調してもらいたがるエゴのカタマリ。グサリ(゜-゜)
私は、そういう人間には厳しいのは気づいて変われば見込みがあるし治して改善する力があれば立派な人間だからです。
我の強い人は、こちらが回答しても気に入る答えでないとはねのける。
そのはねのける自分の強硬な自我こそが問題の根源であることを気づかせるために坊さんはきついことも言います。自我の同調なんぞしたってナンも人生かわりゃしない。
群れる道より、独自の道を選ばれるならば、あなたの自我は通用しない。
能は無くても現場で一番偉そうな人を立ててペコペコヨイショしてればスネオくらいにはなれます。それが嫌なら自分の頭の中の図式から離れてものを見ることです。
自分が評価されていないと思うビジョンも自分を中心としたものの見方が生みだしているからです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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