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ボランティアの価値とはなんでしょう

回答数回答 3
有り難し有り難し 38

私は地方の大学に通っています。元々もっと自宅に近い大学に通い、東京の方へ出るつもりでした。しかし受験で失敗し、結果現在の大学に通っています。

地元から離れたこともあり、高校時代の友達関係も薄いです。仲いい人は仲いいですが、それ以外の人とはほぼ会いません。そこはまぁ気にしてませんが。

ただこないだ久しぶりに会った、都内の大学に通う友人Aに夏休みをどう過ごしているかについて聞かれました。

私は今大学での有志学生によるボランティア団体に所属しています。さらに授業の一環でもボランティアに参加したり、個人的に伺ったりもしています。
夏休みはその活動と塾の講師のバイトでほぼいっぱいいっぱいでした。

そのことを伝えると、友人Aはよくボランティアなんかできるね、と言いました。利益も出ないものによく時間を費やせるね、との言い方でした。

悔しかったです。彼女の家庭は家よりも裕福なので自然とそういった考えになるのか、と思いましたが、何よりもそれに反論出来ない自分にも苛立ちました。

彼女は家庭が裕福で、夏休み中はバイトもせず、1か月間留学し、金持ち彼氏と都内で遊びほうけています。学生としては華やかだと思います。

ボランティアを行っていて得るものは大きいです。ボランティアの必要性も大変感じてますが、それをあの子に伝えるほどのことが出来ていません。

あの発言で自分のやっていることが否定されているような気がしました。
私の価値観はおかしいのでしょうか。
結局ああいう子が成功して、私は誰かのため、と言ってそのまま時が過ぎて行ってしまうのでしょうか。

きっと不安と嫉妬があります。
自分の行いに自信を持てるような助言をいただけたら幸いです。
お願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず、友人と比較するのをやめましょう。

あなたが不安や嫉妬を感じるようになったのは、友人Aという「比較対象」が生まれた(友人Aと自分の人生の違いが「比較対象になった」)からでしょう。それまでは比較対象がなかったため、大学でボランティア活動に出会って、その活動に取り組むことにあまり疑問はなかったんじゃないでしょうか。

他者との比較を始めると、名聞(みょうもん)・勝他(しょうた)といった煩悩が目を覚まします。名聞とは「人から良く思われたい」と思う煩悩で、勝他とは「人に勝ちたい」と思う煩悩のこと。自分の活動を否定されたような、悔しい思いをしたりするのはそのためでしょう。

乱暴な言い方になりますが、ボランティアの意味・価値なんてものは、やる人が自分で見つけて自分で解ってればいいんです。
(※もちろんボランティアの輪を広げていくために、しっかりと伝えていくことも大切ですが、「理解できない」って人にムリに伝えることでもありません。無理矢理解らせたところでそれはボランティアではありませんからね)

そもそも、楽しく遊んで暮らす大学生活も送れていたでしょうに、なぜ今の大学でボランティア活動に携わろうと思ったのでしょうか。改めてその原点に立ち返ってみてください。そして、これまでのボランティア活動を通して何を得て、これからどうしていきたいと考えているか、ボランティア仲間達と意見を交わしたり、自問してみたり、時に悩んだりして下さい。(他人と比較してる間は、本当の意味での「自信」にはつながらないでしょう)

…もしかすると、友人Aもあなたに対して「ボランティア活動に取り組むだなんて、大学で人間的に成長してる!それに比べて私は…」みたいな嫉妬や不安を感じてたのからあんな否定する言葉になったのかもしれませんよ?

充実した大学生活・ボランティア活動を送られますよう、応援しております。

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2016年5月より登録させていただきました、新米回答僧です。 浄土真宗の...
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心の財

ボランティア…
私も学生の頃に雪かきボランティア行ったなぁ。
そしたら、たまたま撮影中の女優さんがそこに来られて写真を一緒に撮りましたっけ。

話がそれましたが、ボランティアは善行です。
ですが何のためにするかの想いで価値は変わります。
渡辺上人の仰る通り、価値観の違う人と比較しても仕方ありません。

祖師の言葉を一つご紹介。
【蔵の財より身の財、身の財より心の財が大事】
蔵の財(お金)より身の財(健康)より、心の財が一番大切という言葉です。

では心の財とは?
色々考えられますが、ボランティアによって育まれる優しい気持ち、喜んでもらえたこと、培われた人間関係、そして損得に縛られず活動できるあなたの人格。
すべて心の財として、蓄えられていることです。

お金主義のその友達は、おそらく一生ボランティアという経験をすることはないでしょう。
彼女が一生かけても知り得ない体験と心の財を得ているんですから、自信をもってこれからも取り組んで下さい(^_^)

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困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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「ミスターボランティア」の反省

smileniko様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生も二十代中頃から三十代中頃まで、福祉・NPO・NGO・まちづくり・市民活動と、いくつもの活動を無償ボランティアで掛け持ちして、「ミスターボランティア」と呼ばれるぐらいでした。

でも、やがて、時間・労力・お金と、正直、続かなくなりました・・気が付けば、プライベートと仕事と貯金に全く余裕がなくなってしまっていましたね・・

そして、一度全てを辞めました。

辞めて、しばらく振り返って、「ボランティア」について考えた時に、キーワードとなったのが、「志」と「ご縁」でした。

良い志、良いご縁・・これだけは、正直、お金で買えるようなものではありません。

もちろん、ボランティアの世界だけではなくて、世間一般の社会においても良い志、良いご縁もあるでしょうが、損得勘定、お金・利得・名誉・称賛やらと、打算の入ってしまっている場合、偽善の場合も多くあり、そういったものを抜きにして、純粋な気持ちで取り組む姿勢や志高く取り組む姿勢を学んだり、醸成できたりするのは、やはり、ボランティアの世界の良いところではないだろうかとは思います。

今では、このhasunohaもそうですが、仏教に関連しての利他活動を中心としていますが、とにかく、ボランティアをするにしても、バランスが大切になります。

「自利利他」の円満な成就を目指すのが仏教でもあり、自利だけでもダメ、利他だけでもダメ、双方をバランスよく進めていくことが必要になります。

利他(ボランティア)は、この支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いの世界で生きていくためには、当然に大切なことです。でも、あまりに自分のことを犠牲にしてまで、偏り過ぎてはいけません。無理せず、あまり頑張り過ぎず、自利とのバランスを取って、取り組んで参りたいところとなります。

とにかく、ボランティアをしてたこと、していることは、必ずいずれどこかで役に立ちます。「情けは人の為ならず」です。

でもあまり無理せずに。もう少し余裕も持って取り組んで参りましょう。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

多くの回答誠にありがとうございます。

なぜボランティアをすることを選んだのか、恐らくこれといった理由があったわけではありません。
しかし、いろいろな経験をしていく中でボランティアにはまっていったのは確かです。
ボランティア先で私の存在を必要としてくれる人たちが多くいたことで、幅広いボランティアに手を広げていきました。

皆さまのアドバイスを読んで、それを思い出しました。
簡単な事ですが、それでも皆様のおかげです。

私はすぐ人と比べてしまいます。
自分に自信を持っている反面、自分より上だと感じてしまう人を強く意識してしまったり、自分の行いを否定されるとすぐ自信を無くします。

頂いたアドバイスを元に、自分の「心の財」を豊かにできるよう精進します。

初めてこのような場でご相談をしましたが、ご丁寧な対応、本当に感謝しています。
改めて、ありがとうございました!

「嫉妬・蔑み」問答一覧

推し活で嫉妬します。

2023年に海外アーティストのライブに行きたかったのですが、チケットが取れず行けませんでした。 グループで活動するアーティストが、最初で最後のソロライブを開催し、日本にも来てくれたり、海外でライブを開催しましたが、ライブに行く希望は叶いませんでした。 そのグループは活動休止中で、来年活動再開予定ですが、チケットが人気すぎて、いつ会えるのか保証は全くありません。5年、10年は待つ覚悟はしないといけないくらいです。 チケットが取れず、もがき苦しんで自分の不運を憎み、行けなかった悔しさに心が荒み、当選した人を妬み、今でも思い出すだけで辛くて涙が出てきます。 人気のアーティストで、チケットが取れなかった人もいますが、自分の周りの9割は、アメリカや東南アジア、日本でのライブチケットに当選して現地に行き、ライブを楽しんだ話を今もしています。 私だって行きたかったのに、落選した人の悲しみや苦しみを分かってほしい。落選した人は当選した人より数倍も傷ついて、今でも苦しんでいるんだぞと、気持ちをぶつけたいです。 もちろん自分が当選したら、落選した人の辛さも分かりますが、当選した人が落選した人の分まで楽しむなんてことはあり得ないです。 ライブ中に、落選した人の分まで私は楽しんでいるんだわ!と思うことなんてないのが、その証拠です。 今でもこんな気持ちが蘇ります。もう2度と開催されないライブに行けなかった苦しみを、SNSに時々呟いていますが、今まで仲が良かった人(今回のライブに当選した人たち)は、これまでどおり接することもしなくなりました。 ライブに行けた人は勝ち組で、推しに声援やメッセージをうちわ等で直接送ることが出来て、熱気も味あえて、羨ましいです。 ライブの当落に勝ち負けはないと言っても、行けなかった人は結局、推しに会えない、メッセージも声援も送れない点から、落選したが負け組なのは事実です。 落選した人の声なんか、アーティストには一切届くことなんかありませんから。 グループ活動再開まで、当選した喜びに浸っている人と、会いたくても会えなくて落選した苦しみにもがき苦しむ私とでは、私の方が何倍も苦しんで傷ついています。 1年経って、少しは傷は癒えてきましたが、ちょっとした時にぶり返しています。 私はどうするべきでしょうか?

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