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仏教における徳積みとは?

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徳積みが大切だと言われますが、徳とは一体何で、徳を積むとはどういうことを指すのでしょうか?徳積みとは徳を積むことすら意識することなく自然に見返りなく相手のためにすることだと思うのですが、私はどうしても欲が出て、人に認められたい、見返りがほしいと思ってしまうときもあり自己嫌悪に陥ることもあります。

2013年5月14日 22:58

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

徳のある坊さんになれよ!・・・同級生の言葉

MK様。
泰庵と申します。

得度をして30年近く経つ身ですが、「〇〇とは何ぞや?」との問いに人は答えられないのではないかという気が最近してきました。
「人生の意味とは?」「幸せとは?」「ご利益とは?」「生きがいとは?」などなど。。。

質問の文章を拝見しましたが、徳を「相手のためにすること」と定義してしまうと、どうしても相手を意識せざるおえないようになってしまいます。
なので「誰かに認めてもらいたい、誰かからの見返りがほしい」と思ってしまうのは自然な成り行きだと思います。

求めようとしても求められない苦しみ、、、釈迦の覚った真理のひとつにそんな状態があったような気がします。

つたない私の経験で感じるのは2つ。
1つには、徳積の目的を「自分のためだけにする」と決意することです。
自分のためにやった徳だから自分に返って当たり前。他人への影響はおまけだ。
あるいは周りの人の受け取り方は様々だから気になるけど、私が行うことは徳につながるという固い信念を持って行うようにすると自己嫌悪は少なくなります。

2つめは、現在形で考えるのではなく過去形で考えること。
「徳とは何ぞや?」ではなく「今までの行動を振り返り、徳といえることはどんな場面やったかなぁ?」と時間軸を考慮して振り返る中でイメージを探ること。そうすると、自分の与えたつもりの徳=相手が感じた徳 ではないことに気づきやすくなると思います。
自己嫌悪がゴールではなく、自己嫌悪の先にどんな振る舞いが私にはできるか。自己嫌悪のあとに自分がどう行動できるか。。
その繰り返しはしんどく大変ですよ。

「徳のある坊さんになれよ!」
余談ですが、これは数年前、同級生から言われた言葉です。
自分自身、徳のある振る舞いで法務を勤めることができていたのだろうか?
僧籍をもって30年経ちますが、どんな先輩や師匠の言葉よりも自分の歩みがこれでよいか考えさせられ、いつも自分に問いかけている言葉です。。

徳とは?の答えがMKさんなりに出ることがありましたら、わたしにも聴かせてください。

2013年5月16日 10:39
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有り難し
おきもち

『助けて』 「当たり前だ!」 って海賊みたいに強い敵を蹴散らす...

「無所縁の慈悲」に基づいた「善徳行」

MK様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

徳積みは「功徳」とも言い、徳は「善徳」と「善」を付けて表す場合もございます。

「善徳」行は、「慈悲・利他」を旨として成立し、善業として善(楽)果の因となるものであります。

「徳を積むことすら意識することなく自然に見返りなく相手のためにする」・・これは、「三輪清浄・三輪空寂」として、「空」を理解することによる「無所縁の慈悲」に基づいた「善徳行」が、悟りを目指す上においての菩薩行として求められることを示します。

「無所縁の慈悲」に関しましては、下記各拙考察の中において扱わせて頂いております。

「空と縁起」
http://t.co/xXe6DBOf

「追善供養・功徳回向の考え方について」 1~5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html

勝義方便メモNo.5-8
http://togetter.com/li/365326
http://togetter.com/li/375650
http://togetter.com/li/442609
http://togetter.com/li/456916 (考察途上)

問題は、「空」ではあるが、では、いかにして「一切法」(あらゆるモノ・コト)について、「縁起」として措定した上にて説明するのかというところが重要となります。「空」というのは、「何もない」という「虚無・絶無」を表すものではありません。確かに存在は存在していますが、そのありようはいかなるものかということについて考える必要があります。

このことにつきましては、「世俗有・言説有・唯世俗」として説明される中観帰謬論証派における存在措定に関しての見解を学ぶ必要があり、ここで詳述することは致しませんが、あらゆる一切は「空」ながらにも、様々な「縁」に依りて成り立っている私たちのこの「縁起」の世界のありようをしっかりと理解することと併せて、その上にて「菩提心」を起こしての確かなる慈悲に基づいた善徳行が求められる次第になると存じております。

「菩提心論」
http://t.co/aSBtLQQI

私たち凡夫において非常に難しいことではございますが、できる限りに努力する中で実践して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

2013年5月15日 11:37
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

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仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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徳について質問です。 徳を積む方法を知りたくて、動画サイトで、ある経営者さんの徳を積むことについてのお考えを聞きました。 ご本人に直接伺うことができないので、お坊さん方のお考えを聞かせて頂きたいです。 その方は、周りの人が笑顔になるように行動すればいい、周りの人を不快にさせるような行動はダメというような事を仰っていました。 故意に人に不愉快な思いをさせるのが良くないのは わかりますが、わざとでない場合はどうなるのでしょうか? 私は外斜視で、手術を受けたものの矯正できるギリギリ限界まで筋肉を切除しても治りませんでした。 電車に乗っている時など、自分では正面を見ているつもりでも、気が付くと向かい側に座っている人から凄い顔で睨まれていたりして ⁇ となり、後になって「あ、斜視で知らない間に私の方から相手の人を凝視したと思われたんだ」とわかるのですが、知らない人に「私、斜視なんです。あなたを見てたわけじゃないんです」と言うのも変ですし。 でも、人を不快にさせたのは事実なわけですから、この場合 私の徳はどうなるのか知りたいです。 人前ではなるべく下を向くようにしていますが、時々忘れて このようなことになります。

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