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仏教における徳積みとは?

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徳積みが大切だと言われますが、徳とは一体何で、徳を積むとはどういうことを指すのでしょうか?徳積みとは徳を積むことすら意識することなく自然に見返りなく相手のためにすることだと思うのですが、私はどうしても欲が出て、人に認められたい、見返りがほしいと思ってしまうときもあり自己嫌悪に陥ることもあります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

徳のある坊さんになれよ!・・・同級生の言葉

MK様。
泰庵と申します。

得度をして30年近く経つ身ですが、「〇〇とは何ぞや?」との問いに人は答えられないのではないかという気が最近してきました。
「人生の意味とは?」「幸せとは?」「ご利益とは?」「生きがいとは?」などなど。。。

質問の文章を拝見しましたが、徳を「相手のためにすること」と定義してしまうと、どうしても相手を意識せざるおえないようになってしまいます。
なので「誰かに認めてもらいたい、誰かからの見返りがほしい」と思ってしまうのは自然な成り行きだと思います。

求めようとしても求められない苦しみ、、、釈迦の覚った真理のひとつにそんな状態があったような気がします。

つたない私の経験で感じるのは2つ。
1つには、徳積の目的を「自分のためだけにする」と決意することです。
自分のためにやった徳だから自分に返って当たり前。他人への影響はおまけだ。
あるいは周りの人の受け取り方は様々だから気になるけど、私が行うことは徳につながるという固い信念を持って行うようにすると自己嫌悪は少なくなります。

2つめは、現在形で考えるのではなく過去形で考えること。
「徳とは何ぞや?」ではなく「今までの行動を振り返り、徳といえることはどんな場面やったかなぁ?」と時間軸を考慮して振り返る中でイメージを探ること。そうすると、自分の与えたつもりの徳=相手が感じた徳 ではないことに気づきやすくなると思います。
自己嫌悪がゴールではなく、自己嫌悪の先にどんな振る舞いが私にはできるか。自己嫌悪のあとに自分がどう行動できるか。。
その繰り返しはしんどく大変ですよ。

「徳のある坊さんになれよ!」
余談ですが、これは数年前、同級生から言われた言葉です。
自分自身、徳のある振る舞いで法務を勤めることができていたのだろうか?
僧籍をもって30年経ちますが、どんな先輩や師匠の言葉よりも自分の歩みがこれでよいか考えさせられ、いつも自分に問いかけている言葉です。。

徳とは?の答えがMKさんなりに出ることがありましたら、わたしにも聴かせてください。

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宗派は浄土真宗 なむあみだぶつです。 北陸の小さな田舎町で住職して...

「無所縁の慈悲」に基づいた「善徳行」

MK様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

徳積みは「功徳」とも言い、徳は「善徳」と「善」を付けて表す場合もございます。

「善徳」行は、「慈悲・利他」を旨として成立し、善業として善(楽)果の因となるものであります。

「徳を積むことすら意識することなく自然に見返りなく相手のためにする」・・これは、「三輪清浄・三輪空寂」として、「空」を理解することによる「無所縁の慈悲」に基づいた「善徳行」が、悟りを目指す上においての菩薩行として求められることを示します。

「無所縁の慈悲」に関しましては、下記各拙考察の中において扱わせて頂いております。

「空と縁起」
http://t.co/xXe6DBOf

「追善供養・功徳回向の考え方について」 1~5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html

勝義方便メモNo.5-8
http://togetter.com/li/365326
http://togetter.com/li/375650
http://togetter.com/li/442609
http://togetter.com/li/456916 (考察途上)

問題は、「空」ではあるが、では、いかにして「一切法」(あらゆるモノ・コト)について、「縁起」として措定した上にて説明するのかというところが重要となります。「空」というのは、「何もない」という「虚無・絶無」を表すものではありません。確かに存在は存在していますが、そのありようはいかなるものかということについて考える必要があります。

このことにつきましては、「世俗有・言説有・唯世俗」として説明される中観帰謬論証派における存在措定に関しての見解を学ぶ必要があり、ここで詳述することは致しませんが、あらゆる一切は「空」ながらにも、様々な「縁」に依りて成り立っている私たちのこの「縁起」の世界のありようをしっかりと理解することと併せて、その上にて「菩提心」を起こしての確かなる慈悲に基づいた善徳行が求められる次第になると存じております。

「菩提心論」
http://t.co/aSBtLQQI

私たち凡夫において非常に難しいことではございますが、できる限りに努力する中で実践して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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