hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

死について、考え過ぎて毎日が暗いです

回答数回答 2
有り難し有り難し 39

はじめまして。私は、先日高校生になったばかりの者です
最近、ISやシリア内紛の残酷な話を見たりしていて、ふと親が居なくなってしまったら、とか考えてしまうようになりました。
そうすると、どうにも毎日いろいろしてもらっていることとか全てが虚しく、悲しいように思えてしまうようになりました。
子どもでいられなくなることが怖いし、いつまで一緒に旅行とかに行けるのかとかこわくてたまらなくなります
また、家を空けることが多いため、寂しくなるね、とか言われると申し訳なくなります。
最近、エスカレートしてきて友達などを見ても、いつかは皆居なくなってしまう時が来るし、自分もそうなる時が来るなどつらつら考えがいってしまうのです。
考えること自体が失礼なことなんだなと思ったりして、最近明るくなれないです


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

良き変化の前触れ

reimeireiさん
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也ともうします。

残酷なニュースを見たことで、いつか親や友達もいなくなってしまうんだな、と考えてしまうのですね。
また、自分がいつまでも子どもでいられないことが怖かったり、親に「寂しくなるね」と言われると申し訳なくなったり、明るい気持ちになれないのですね。

私はreimeireiさんのお気持ちを読んでいて、「今まで当たり前だと思っていたものが、そうではないと気づいた」のではないかと感じました。

多くの人は、自分や周りの人がずっと生きているのが「当たり前」だと思って暮らしています。誰もが命を終える、なんてことは怖くて考えたくないのです。

「当たり前」の反対は「有り難い」です。「有り難い」とは「有り得ることが難しい」という意味です。reimeireiさんは、命の本質に気づいて苦しんでいらっしゃいますが、それは身の回りのことを「有り難い」と思えるようになる通過点のように感じます。

私には、良い変化の前触れのように感じられますが、いかがでしょうか。

話は変わりますが、残酷なニュースなどを見聞きした時、ダライ・ラマ法王の言葉を思い出します。よろしかったら以下ご覧ください。

《たとえば東京には、何百万人もの人たちが住んでいて、時にはニュースで見るような殺人事件も起きているかもしれませんが、それは何百万人もの子供たちや病人、老人たちが、人間の愛と慈悲によって、行き届いたケアを受けていることに比べると、その数は微々たるものにすぎません。
つまり、愛と慈悲の心の方が、人間社会の中において、ずっと優勢を保っているのです。》

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

「不死」の境地を目指して

reimeirei様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

いずれ誰もが避けられない「死」ということについて、お考えになられておられまして、少し悲観的、虚無的なところに陥られてしまわれているのではないかとお察し申し上げます・・

「死」については、誰もが生きている中で、必ずどこかで考えることでございます。もちろん、拙生もそうでございます。

ただ、日常の喧騒、忙しさ、目の前のことやあるいは享楽事などにて紛らわしながら、騙し騙しに避けつつ、または隠そうとして過ごしてしまっているのではないかと存じております。

しかし、それが戦争や災害による多数の死、また身内の死など、少し身近に死が感じられた時、自ずとまた自分の死について意識して考えることとなります。実は今年に入って拙生の身内が二人亡くなりました・・その際に、改めて拙生も死について真摯に真剣に考える機会を持たせて頂きました・・

「死」につきましては、これまでにも下記の各問いでもお答えさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319030.html

『・・死への恐怖の乗り越え方につきましては、仏教における「空と縁起」ということの理解が大きな要諦になるのではないかとは存じております・・』

仏教ではよく悟りの境地を表す際に、「不死」の境地とか、「不生」の境地、「不生不滅」の境地などという言葉が出て参ります。

これらの境地は、まさに死への恐怖や不安、あるいは生への恐怖や不安を超えたところを意味しており、私たちもしっかりと仏教を学び修して、その境地へと至ることで、乗り越えることが求められるものとなります。

誠に難しいことではございますが、是非、これを機会に仏教につきまして学びを進めていって頂ける機縁となりましたら有り難くに存じております。

また、最近の下記問いの拙回答も是非ご参照下さいませ。

問い「寿命は自分で選べないのですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1026358792.html

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

なごみ庵 浦上様
ずっとネガティブな事として私の中に沈んでいたことを、新しい視点でポジティブな方向に向けてくだったことで少し、軽くなったような気がします。終わるということに囚われるのではなく、その過程にある愛や面白いことにも目をむけていたいと思いました。
暖かい回答、浦上様が大切にされている言葉を教えていただき、ありがとうございます!

「死ぬのが怖い」問答一覧

とにかく死が怖いです

初めて質問させて頂きます。 幼い頃から【両親の死への恐怖】が止まらないです。 最近さらに増したように思います。 私は一人っ子のため、相談できる兄弟も居らず、今苦しい時間を過ごしています。 両親とは離れて暮らしていますが、とても仲が良く、月に1度は長距離を移動して会っています。母とは毎日電話をするほどです。 しかし、元気だった父の反応が最近鈍ってきたように思い、病気で逝ってしまったらどうしようと思い始めたのが死への恐怖が増したきっかけです。 長年透析をしている母はいつまで元気で居てくれるのか。 さらに今年出産をして、両親だけではなく、自分の家族への死の恐怖も覚えてしまいました。 隣で寝息を立てている息子に何かあったらどうしよう。 いつもしっぽを振って懐いてくれる犬はいつか居なくなってしまうのかと、そんなことを考えては涙が止まらないのです。 夫は良い人で話を聞いてくれますが「悩んでも仕方ないんじゃ?」との答えばかりです。 大好きな家族との別れを考えては涙し、不安になり、体調を崩しそうになります。 先のことを考えてばかりではダメ、今を生きなければと分かっているのですが…。 拙い文章で申し訳ございません。 どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

自己愛が強すぎて死ぬのが怖いです。

私は相当な自意識過剰で、表には余り出せず当たり障りのない振る舞いをしていますが、おそらく普通の人の何倍も自己中心的な考えをしています。 そのため、自分がいつか死ぬ、という事実がとてつもなく怖いです。私にとっては今ある私の意識が全てなんです。それがいつか消えて二度と戻ってこないなんて考えただけで気が狂いそうになります。 「個性を大切にすること」「自分の個性、主張をはっきりさせること」 というような教育を受けて育ってきました。私は、そういった価値観に馴染めず、その理由はあろうことか臆病なまでの自尊心にあるのです。ナイーブでネガティブ、なのに自分が死ぬのだけは耐えられない、こんな自分勝手な自分が嫌になります。死ぬのが怖いなんて思うのはいやなんです。 どうしようもないことだし、辛いし、それだったら他のことに時間を使った方がいい。分かってるのに不安で押しつぶされそうです。そしてそう言った考えが引き延ばされて、過去の行いを悔やんだり、自分のゴミみたいな性格を呪ったり、どうしようもないことばかり考えてしまい、負のループが延々と続いてしまいます。 私はこの異常な自己愛を捨て去りたいです。せめて人並みに落ち着かせたいです。どうすればいいんでしょうか。それで全てが解決するような気がしてなりません。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

大切な人の死といつかが怖いです。

ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る