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死について、考え過ぎて毎日が暗いです

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有り難し有り難し 42

はじめまして。私は、先日高校生になったばかりの者です
最近、ISやシリア内紛の残酷な話を見たりしていて、ふと親が居なくなってしまったら、とか考えてしまうようになりました。
そうすると、どうにも毎日いろいろしてもらっていることとか全てが虚しく、悲しいように思えてしまうようになりました。
子どもでいられなくなることが怖いし、いつまで一緒に旅行とかに行けるのかとかこわくてたまらなくなります
また、家を空けることが多いため、寂しくなるね、とか言われると申し訳なくなります。
最近、エスカレートしてきて友達などを見ても、いつかは皆居なくなってしまう時が来るし、自分もそうなる時が来るなどつらつら考えがいってしまうのです。
考えること自体が失礼なことなんだなと思ったりして、最近明るくなれないです


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

良き変化の前触れ

reimeireiさん
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也ともうします。

残酷なニュースを見たことで、いつか親や友達もいなくなってしまうんだな、と考えてしまうのですね。
また、自分がいつまでも子どもでいられないことが怖かったり、親に「寂しくなるね」と言われると申し訳なくなったり、明るい気持ちになれないのですね。

私はreimeireiさんのお気持ちを読んでいて、「今まで当たり前だと思っていたものが、そうではないと気づいた」のではないかと感じました。

多くの人は、自分や周りの人がずっと生きているのが「当たり前」だと思って暮らしています。誰もが命を終える、なんてことは怖くて考えたくないのです。

「当たり前」の反対は「有り難い」です。「有り難い」とは「有り得ることが難しい」という意味です。reimeireiさんは、命の本質に気づいて苦しんでいらっしゃいますが、それは身の回りのことを「有り難い」と思えるようになる通過点のように感じます。

私には、良い変化の前触れのように感じられますが、いかがでしょうか。

話は変わりますが、残酷なニュースなどを見聞きした時、ダライ・ラマ法王の言葉を思い出します。よろしかったら以下ご覧ください。

《たとえば東京には、何百万人もの人たちが住んでいて、時にはニュースで見るような殺人事件も起きているかもしれませんが、それは何百万人もの子供たちや病人、老人たちが、人間の愛と慈悲によって、行き届いたケアを受けていることに比べると、その数は微々たるものにすぎません。
つまり、愛と慈悲の心の方が、人間社会の中において、ずっと優勢を保っているのです。》

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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「不死」の境地を目指して

reimeirei様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

いずれ誰もが避けられない「死」ということについて、お考えになられておられまして、少し悲観的、虚無的なところに陥られてしまわれているのではないかとお察し申し上げます・・

「死」については、誰もが生きている中で、必ずどこかで考えることでございます。もちろん、拙生もそうでございます。

ただ、日常の喧騒、忙しさ、目の前のことやあるいは享楽事などにて紛らわしながら、騙し騙しに避けつつ、または隠そうとして過ごしてしまっているのではないかと存じております。

しかし、それが戦争や災害による多数の死、また身内の死など、少し身近に死が感じられた時、自ずとまた自分の死について意識して考えることとなります。実は今年に入って拙生の身内が二人亡くなりました・・その際に、改めて拙生も死について真摯に真剣に考える機会を持たせて頂きました・・

「死」につきましては、これまでにも下記の各問いでもお答えさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319030.html

『・・死への恐怖の乗り越え方につきましては、仏教における「空と縁起」ということの理解が大きな要諦になるのではないかとは存じております・・』

仏教ではよく悟りの境地を表す際に、「不死」の境地とか、「不生」の境地、「不生不滅」の境地などという言葉が出て参ります。

これらの境地は、まさに死への恐怖や不安、あるいは生への恐怖や不安を超えたところを意味しており、私たちもしっかりと仏教を学び修して、その境地へと至ることで、乗り越えることが求められるものとなります。

誠に難しいことではございますが、是非、これを機会に仏教につきまして学びを進めていって頂ける機縁となりましたら有り難くに存じております。

また、最近の下記問いの拙回答も是非ご参照下さいませ。

問い「寿命は自分で選べないのですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1026358792.html

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち


質問者からのお礼

なごみ庵 浦上様
ずっとネガティブな事として私の中に沈んでいたことを、新しい視点でポジティブな方向に向けてくだったことで少し、軽くなったような気がします。終わるということに囚われるのではなく、その過程にある愛や面白いことにも目をむけていたいと思いました。
暖かい回答、浦上様が大切にされている言葉を教えていただき、ありがとうございます!

「死ぬのが怖い」問答一覧

死への恐怖が辛いです

何度かご相談させていただいていますが、また失礼いたします。 最近、「死」への恐怖が以前に増して強くなっています。 心療内科で「強迫性障害」(軽度)と診断されています。 死に直結するような病気にかかったかもしれない、かかるかもしれない、そんな不安が絶えません。 これまで気にしなかったようなこともすべて死ぬことに結びついてしまうのではないかと、不安になります。 先日実家に少し帰った際、いっそう「死」への恐怖が増しました。 親より先に死にたくない、これで今生の別れになりたくない。 そんな感情が溢れてきて、駅に向かう道すがら、新幹線の中、居住地付近に戻ってからの通勤電車の中、帰宅後と泣いてしまいました。 この不安が「強迫性障害」から来ているのはよくわかりますし、不安を感じたときは抗不安薬でなんとか抑えることはできています。 しかし、やはりどこか根本的な意識を変えなければならないのだろうと思います。 仏教の方面から「死」の恐怖への打ち勝ち方、ないしは恐怖の受け入れ方、といったところを是非アドヴァイスいただけませんでしょうか。 いまこの文章を書いているときも、直前の行動が不安でたまりません。 そんな不安は馬鹿げていると思える自分と、不安に震える自分が拮抗し、震えるほうがすこし優位になっているような感じです。 拙い文章で恐縮です。 何卒よろしくお願いいたします。

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やっぱり、死が怖いです。

何度も失礼します。 最近生活していてやはり、死が怖くなりました。 感染症の影響で多くの人が亡くなり そのことが、あたかも自然なように 連日報道され、人の死が生活の中で より身近(不謹慎ですみません。) に当たり前のようになってきていて いつ死ぬかわからない、まだ自分はやるべきことができてない という負の感情がブクブクと浮かび上がってきてしまいます。 また、これは先ほどのものと違うのですが、 9月3日の夜に見た夢で、夕方に 一人で習い事(文化系)の練習をしていると、 習い事の先生(故人)が先生の住む母屋から出てきて、 自分の隣に座って話すという夢を見ました。 先生にいくらかの自分の悩み事を聞いてもらった後、 「向こうでは、どうしているのですか」 と聞いたところで先生が答える前に 目が覚めてしまって、そこから 「先生が何を言おうとしていたのだろう」と モヤモヤが続いています。 以前の質問で死と向き合って、 そこから生きていく意味を見つける というお知恵をいただいてとても参考になったですが、 自分自身が死と向き合うことができなくて 生きていく意味の追求も止まってしまっている気がします。 お坊さんの思う死の恐怖と向き合う、よける、折り合う方法や お坊さんが普段それと付き合う方法を教えていただきたいです。 先生がどのようなことを言おうとしていたと思われるのか、 ということもできれば教えていただけると嬉しいです。 お忙しい中申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 乱文失礼しました。

有り難し有り難し 1
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死にたいのか生きたいのかわからないです

私は10年ほど、死にたいという気持ちと一緒に生きてきました。 きっかけは他の方からしたらきっと些細なことだと思うのですが、 その後人付き合いが上手くいかず、 当時は全く問題なかった人間関係を上手く築けなくなり、 他にも辛いことが重なり、 死にたいと思うようになりました。 生きたい人が生きられない現実がある事もわかっています。 ある時から(プロフィール参照) 私は自分の手で人生を終わらせることが出来るんだ と思うようになり、 いつでも死ねるというのは 私の希望になりました。 ですが最近、死ぬ事が怖くなりました。 自ら命を絶つのが怖いのではなく、 事故でも病死でも寿命でも、 人間いつかは必ず死ぬ、 という現実が怖いです。 こればかりは絶対避けられない現実なのに 怖くて怖くて仕方がないです。 それなのに死にたい気持ちが無い訳でもない。 死にたいのか生きたいのかわからないんです。 今現在私が生きているということは 少なからず死にたくない、 という気持ちがあるんだと思います。 死にたいと思っても、死ぬのが怖い、 だから生きるのもこわい。 こんな矛盾に戸惑っています。 人間はいつか必ず死ぬ事、 どうしたら自分を納得させられるでしょうか。

有り難し有り難し 7
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