死について、考え過ぎて毎日が暗いです
はじめまして。私は、先日高校生になったばかりの者です
最近、ISやシリア内紛の残酷な話を見たりしていて、ふと親が居なくなってしまったら、とか考えてしまうようになりました。
そうすると、どうにも毎日いろいろしてもらっていることとか全てが虚しく、悲しいように思えてしまうようになりました。
子どもでいられなくなることが怖いし、いつまで一緒に旅行とかに行けるのかとかこわくてたまらなくなります
また、家を空けることが多いため、寂しくなるね、とか言われると申し訳なくなります。
最近、エスカレートしてきて友達などを見ても、いつかは皆居なくなってしまう時が来るし、自分もそうなる時が来るなどつらつら考えがいってしまうのです。
考えること自体が失礼なことなんだなと思ったりして、最近明るくなれないです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良き変化の前触れ
reimeireiさん
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也ともうします。
残酷なニュースを見たことで、いつか親や友達もいなくなってしまうんだな、と考えてしまうのですね。
また、自分がいつまでも子どもでいられないことが怖かったり、親に「寂しくなるね」と言われると申し訳なくなったり、明るい気持ちになれないのですね。
私はreimeireiさんのお気持ちを読んでいて、「今まで当たり前だと思っていたものが、そうではないと気づいた」のではないかと感じました。
多くの人は、自分や周りの人がずっと生きているのが「当たり前」だと思って暮らしています。誰もが命を終える、なんてことは怖くて考えたくないのです。
「当たり前」の反対は「有り難い」です。「有り難い」とは「有り得ることが難しい」という意味です。reimeireiさんは、命の本質に気づいて苦しんでいらっしゃいますが、それは身の回りのことを「有り難い」と思えるようになる通過点のように感じます。
私には、良い変化の前触れのように感じられますが、いかがでしょうか。
話は変わりますが、残酷なニュースなどを見聞きした時、ダライ・ラマ法王の言葉を思い出します。よろしかったら以下ご覧ください。
《たとえば東京には、何百万人もの人たちが住んでいて、時にはニュースで見るような殺人事件も起きているかもしれませんが、それは何百万人もの子供たちや病人、老人たちが、人間の愛と慈悲によって、行き届いたケアを受けていることに比べると、その数は微々たるものにすぎません。
つまり、愛と慈悲の心の方が、人間社会の中において、ずっと優勢を保っているのです。》
「不死」の境地を目指して
reimeirei様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
いずれ誰もが避けられない「死」ということについて、お考えになられておられまして、少し悲観的、虚無的なところに陥られてしまわれているのではないかとお察し申し上げます・・
「死」については、誰もが生きている中で、必ずどこかで考えることでございます。もちろん、拙生もそうでございます。
ただ、日常の喧騒、忙しさ、目の前のことやあるいは享楽事などにて紛らわしながら、騙し騙しに避けつつ、または隠そうとして過ごしてしまっているのではないかと存じております。
しかし、それが戦争や災害による多数の死、また身内の死など、少し身近に死が感じられた時、自ずとまた自分の死について意識して考えることとなります。実は今年に入って拙生の身内が二人亡くなりました・・その際に、改めて拙生も死について真摯に真剣に考える機会を持たせて頂きました・・
「死」につきましては、これまでにも下記の各問いでもお答えさせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319030.html
『・・死への恐怖の乗り越え方につきましては、仏教における「空と縁起」ということの理解が大きな要諦になるのではないかとは存じております・・』
仏教ではよく悟りの境地を表す際に、「不死」の境地とか、「不生」の境地、「不生不滅」の境地などという言葉が出て参ります。
これらの境地は、まさに死への恐怖や不安、あるいは生への恐怖や不安を超えたところを意味しており、私たちもしっかりと仏教を学び修して、その境地へと至ることで、乗り越えることが求められるものとなります。
誠に難しいことではございますが、是非、これを機会に仏教につきまして学びを進めていって頂ける機縁となりましたら有り難くに存じております。
また、最近の下記問いの拙回答も是非ご参照下さいませ。
問い「寿命は自分で選べないのですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1026358792.html
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
なごみ庵 浦上様
ずっとネガティブな事として私の中に沈んでいたことを、新しい視点でポジティブな方向に向けてくだったことで少し、軽くなったような気がします。終わるということに囚われるのではなく、その過程にある愛や面白いことにも目をむけていたいと思いました。
暖かい回答、浦上様が大切にされている言葉を教えていただき、ありがとうございます!