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出なくてもいいの?

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数年前に旦那の母親の母が亡くなりました

その時に義母と義母の妹の話が聞こえてきました

妹が『旦那の母親が死んだんだけど、葬式出たくなかった。嫌いだし嫌がらせされたから』

それを聞いた義母が『そんなの出なくていいだよ。嫌いな人の葬式なん行かなくていい』

と言っていました。

私は衝撃を受けました。

旦那の親なら出るのが当たり前だと思ってたのですが、嫌いだからという理由で出なくてもいいのですか?

出なくていいのなら
私も義母に
『なんであの子と息子は結婚しなかったのかなぁ』と受け入れられてないので
出たくないです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

角を立てると自分のスネに直撃する。目指せバリアフリー人生

本当はですね、嫌いな人の葬儀こそ参列すべきなのですよ。
生前に嫌がらせをされました。嫌いだからお葬式に出ませんでした。法事にも出てやりません。思い出すたびに腹が立ちます。それって、故人の死後もずっとずっと嫌がらせを引きずり続けているだけです。故人はもう死んでいなくなっているのに、ずっとずっと嫌な気持ちになってセルフ嫌がらせを受け続けるだけです。バカバカしいでしょう?そういうのを自業自得と言い、比喩して怨念と言うのです。その逆が成仏です。

そういう心に溜まった負の蓄積を清算し、良い蓄積は大切にし、故人との関係性をキレイに昇華させるためにお葬式や法事をするわけです。
嫌いな人の葬儀なんか行かなくていい…そうやって簡単に縁を切る癖をつけると、どこに行ってもあの人が嫌、この人が嫌、嫌よ嫌よで自分自身が窮屈になってしまいます。それでは自分で自分を幸せから遠ざけてしまいます。あっちこっちにバリアー張って弾かれるのは実は自分の心の平穏なんです。
他の回答僧さまがたもおっしゃっていますが、お葬式にはたくさんの意味があるから大昔からずっと続いているのです。

生前に仲良くできなかったからこそ、せめて亡くなった時くらいは親切にしてあげましょう。いつかその時が来て、もしも難しいなと感じたらこう思ってください。この人はもう、あのお義母さんでは無くなったんだ。お義母さんではなく、ご先祖さまなんだ…と。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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葬儀には世間の付き合いの意味も

葬儀には、故人との関係だけでなく親族や近所との付き合いの面もあります。
そういう世間体でドライに考えてみてはいかがでしょうか。

世間一般の付き合いが葬儀にもあるということで考えると、
義母でなく義母の母ですから関係は少し遠くなります。
お子さんのことや仕事のことなどで参列しにくいということで夫に夫婦を代表して参列してもらうこともありかもしれません。
一応、親族や近所の周りの反応も想定しつつ、ですよ。

もちろん、生きている人に対しても故人に対しても「お付き合い」ででも何かしてあげれば、その善行為の結果=功徳は自分の心に刻まれます。

やらなくても悪行為ではなく、やれば善行為という程度の軽い気持ちで、参列不参列を計算してみればいかがでしょうか。

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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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葬儀の意義について

HAKKA様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

葬儀には、大きく二つの意義があると考えております。

一つは、亡くなられた方が、受戒や引導により、仏縁を確かにして頂きまして、仏道をしっかりと歩まれていかれるように調えるため。(※但し、浄土真宗さんでは、受戒や引導は扱われません。阿弥陀如来様への仏恩報謝・仏徳讃嘆の儀礼が主に成されます。)

もう一つは、葬儀のことを「津送儀」(しんそうぎ)という表現もありますように、「津」とは、昔の港のことで、亡くなられた方の悟りへと向けた、これからの仏道修行という航海の無事を見送るという意味合いとして、亡くなられた方への惜別と共に、別れの現実的な受けとめと併せて、「頑張ってね」という励ましの意味も込めた見送りというものになると考えております。

葬儀への参列というものは、後者における仏道修行へ向けた「励まし」として、色々と生前におけることでの複雑な想いもあるかもしれませんが、色々な想いはあっても、例えば、「色々とあったけれども、仏さんのところで、しっかり修行されて善い心となって下さいね」ぐらいで、見送って頂けましたら、誠に有り難くに存じております。

また、他人の死(無常)について思うことは、自分の死(無常)をも考えることになり、無駄にして、怠けずに、日々を大切に生きていくためのご縁にもして頂きたいところとなります。

お釈迦様もご入滅を前にされて、「もろもろの事象は過ぎ去るもの(無常)である。怠ることなく修行を完成なさい。」とおっしゃられています。

もし宜しければ、これを機縁として、生き方、日常において、仏教を学び活かしていくことについてもお考えを頂けましたら幸いに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

藤本晃様 川口英俊様 大慈様回答ありがとうございます。
出なくていいと言ってた義母が本当に信じられません。
私は葬儀に出るのは当たり前だと思っていました。
亡くなったらもう嫌がられをされることはなくなりますよね?
私は嫌な人でも関係があったのなら葬儀には参列させていただいてます。
義母の言っていることは聞き流していきたいと思います。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

有り難し有り難し 5
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ