hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

出なくてもいいの?

回答数回答 3
有り難し有り難し 56

数年前に旦那の母親の母が亡くなりました

その時に義母と義母の妹の話が聞こえてきました

妹が『旦那の母親が死んだんだけど、葬式出たくなかった。嫌いだし嫌がらせされたから』

それを聞いた義母が『そんなの出なくていいだよ。嫌いな人の葬式なん行かなくていい』

と言っていました。

私は衝撃を受けました。

旦那の親なら出るのが当たり前だと思ってたのですが、嫌いだからという理由で出なくてもいいのですか?

出なくていいのなら
私も義母に
『なんであの子と息子は結婚しなかったのかなぁ』と受け入れられてないので
出たくないです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

角を立てると自分のスネに直撃する。目指せバリアフリー人生

本当はですね、嫌いな人の葬儀こそ参列すべきなのですよ。
生前に嫌がらせをされました。嫌いだからお葬式に出ませんでした。法事にも出てやりません。思い出すたびに腹が立ちます。それって、故人の死後もずっとずっと嫌がらせを引きずり続けているだけです。故人はもう死んでいなくなっているのに、ずっとずっと嫌な気持ちになってセルフ嫌がらせを受け続けるだけです。バカバカしいでしょう?そういうのを自業自得と言い、比喩して怨念と言うのです。その逆が成仏です。

そういう心に溜まった負の蓄積を清算し、良い蓄積は大切にし、故人との関係性をキレイに昇華させるためにお葬式や法事をするわけです。
嫌いな人の葬儀なんか行かなくていい…そうやって簡単に縁を切る癖をつけると、どこに行ってもあの人が嫌、この人が嫌、嫌よ嫌よで自分自身が窮屈になってしまいます。それでは自分で自分を幸せから遠ざけてしまいます。あっちこっちにバリアー張って弾かれるのは実は自分の心の平穏なんです。
他の回答僧さまがたもおっしゃっていますが、お葬式にはたくさんの意味があるから大昔からずっと続いているのです。

生前に仲良くできなかったからこそ、せめて亡くなった時くらいは親切にしてあげましょう。いつかその時が来て、もしも難しいなと感じたらこう思ってください。この人はもう、あのお義母さんでは無くなったんだ。お義母さんではなく、ご先祖さまなんだ…と。

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

葬儀には世間の付き合いの意味も

葬儀には、故人との関係だけでなく親族や近所との付き合いの面もあります。
そういう世間体でドライに考えてみてはいかがでしょうか。

世間一般の付き合いが葬儀にもあるということで考えると、
義母でなく義母の母ですから関係は少し遠くなります。
お子さんのことや仕事のことなどで参列しにくいということで夫に夫婦を代表して参列してもらうこともありかもしれません。
一応、親族や近所の周りの反応も想定しつつ、ですよ。

もちろん、生きている人に対しても故人に対しても「お付き合い」ででも何かしてあげれば、その善行為の結果=功徳は自分の心に刻まれます。

やらなくても悪行為ではなく、やれば善行為という程度の軽い気持ちで、参列不参列を計算してみればいかがでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。 先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。

葬儀の意義について

HAKKA様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

葬儀には、大きく二つの意義があると考えております。

一つは、亡くなられた方が、受戒や引導により、仏縁を確かにして頂きまして、仏道をしっかりと歩まれていかれるように調えるため。(※但し、浄土真宗さんでは、受戒や引導は扱われません。阿弥陀如来様への仏恩報謝・仏徳讃嘆の儀礼が主に成されます。)

もう一つは、葬儀のことを「津送儀」(しんそうぎ)という表現もありますように、「津」とは、昔の港のことで、亡くなられた方の悟りへと向けた、これからの仏道修行という航海の無事を見送るという意味合いとして、亡くなられた方への惜別と共に、別れの現実的な受けとめと併せて、「頑張ってね」という励ましの意味も込めた見送りというものになると考えております。

葬儀への参列というものは、後者における仏道修行へ向けた「励まし」として、色々と生前におけることでの複雑な想いもあるかもしれませんが、色々な想いはあっても、例えば、「色々とあったけれども、仏さんのところで、しっかり修行されて善い心となって下さいね」ぐらいで、見送って頂けましたら、誠に有り難くに存じております。

また、他人の死(無常)について思うことは、自分の死(無常)をも考えることになり、無駄にして、怠けずに、日々を大切に生きていくためのご縁にもして頂きたいところとなります。

お釈迦様もご入滅を前にされて、「もろもろの事象は過ぎ去るもの(無常)である。怠ることなく修行を完成なさい。」とおっしゃられています。

もし宜しければ、これを機縁として、生き方、日常において、仏教を学び活かしていくことについてもお考えを頂けましたら幸いに存じます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

藤本晃様 川口英俊様 大慈様回答ありがとうございます。
出なくていいと言ってた義母が本当に信じられません。
私は葬儀に出るのは当たり前だと思っていました。
亡くなったらもう嫌がられをされることはなくなりますよね?
私は嫌な人でも関係があったのなら葬儀には参列させていただいてます。
義母の言っていることは聞き流していきたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ