取り憑かれている人
幼少の頃、テレビ番組で怖い話をやっていたときの1シーンでこのようなことを見て覚えています。
詳細は忘れたのですが、身の周りで幽霊をみたり奇妙な現象が起こって困っている人が歩いていると、お坊さんがその人を見て、あなた大丈夫ですか? と取り憑かれているものが見えるような感じで話かけ、お祓いか供養のようなものをして、その人は奇妙な現象や幽霊を見なくなったみたいな。
この話は投稿者からの話。
この話に限らず、お坊さんには見えないものが見えるてきに描写された奇妙な話というのは見たり聞いたりするものです。
実際こういうことはあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当に取り憑かれているものの正体をきちんと知っているのです
世の中には「私は親とうまくいっていない」とか「精神のバランスが崩れている」というよりも、「私は悪霊に取り憑かれている」という表現のほうが、その人にはしっくりくる、というタイプの方が実に多くおられるのです。
阿弥陀様も「無量寿無量光」といってもピンとこない方には阿弥陀様、と人格化するほうが身近に感じられるのではないでしょうか。
心に闇を抱えたご本人が抱えておられるお悩みが、言いづらいことであったりするので、あえて第三者的な存在に“代わって”憑いてもらったことにして、それを取り除くという行為を通じて、その人の悩みを祓う、心理的な負担を軽くする、というものです。
ですから、最初から祓うべきものは、心の憂い、苦しみ、言うに言われぬ悩みである、と決まっているのです。
それがきちんと最初から見抜けていて精神衛生面でも、迷いのない方向へ導ける僧侶は、力のある僧侶であると言えましょう。
供養やお祓いというのは、その人が心の中に抱えておられる迷い、苦しみ、恐れ、怒りなどを取り除く一面もあります。
占い師でなくとも、相手の様子をみれば悩んでいるかいないかくらいは分かるものです。
電車の中で人の表情を見ていますと、その表情でだいたいどういう心の状態であるかは心の専門家はである僧侶であれば見抜けるものです。
コールドリーディング、プロファイリング、骨相学等をご検索いただくとさらに理解がますと思われます。
弾切れリボルバー様
僧分として…と括りをしてのお話と致します。
常日頃から霊的なものが観えると仰って居られる方も居りますし、将又修法に入って其れが感得出来るお方も居られる様です。但し、少数派ですが…
「憑依」や「霊感」に関連すること
弾切れリボルバー様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
これまで、「憑依」や「霊感」に関連することは、下段参照の各問いの回答にても扱わせて頂いております。
丹下覚元様のご回答と同様に、本当の問題は結局のところ、それぞれが抱えてしまっている迷い・苦しみ(無明・煩悩・悪業)の心が生み出してしまっているものであると考えております。
とにかく、「霊感」や「憑依」やらと言ったことについては、人の不安、恐れ、弱みにつけ込んでの「破壊的カルト」の問題が常につきまとってくるものでもあり、実に気を付けなければならないと存じております。
基本的に、「霊感」や「憑依」について、拙生は「無記なる問題」として扱うべきであるとの立場ですが、たまに拙寺においてのご相談でも「偶然にしてはあまりにも・・」、「状況的にやはり疑わざるを得ない・・」と言った感じにて頑なに信じていらっしゃってどうにもならないといった場合がございます。
この場合、まずはその不安や悩み、恐れなどを取り除く上での、一つの方便として、もちろん古来より伝わる正式なお祓いや祈祷の修法などにて、その信じておられることを否定はせずに、一度受け入れた上にてご対応を致してから、聞き入れて頂けるような状態となったことを確認して、ようやくに本質的な解決方法についてのアドバイスを行うということをさせて頂いたこともあり、いきなり「霊感」や「憑依」を安易に否定して対応してはいけないと思ったことがあります。
ある意味での「プラセボ効果」を図ることで、それで心の安心・安定に繋がり、すぐに解決したり、本質的な解決へ向けた段階へとスムーズに到れたりとなる場合もあるかと存じております。
ただ、それが「破壊的カルト」にあたるようなことが無いように、また、「破壊的カルト」に騙されることがないように、常に慎重に見極めていくことが求められると存じております。
「霊感ってあるのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/68
「妻との信仰のすれ違い」
http://hasunoha.jp/questions/67
「信仰と不安」
http://hasunoha.jp/questions/84
「見えない力がはたらく」
http://hasunoha.jp/questions/100
川口英俊 合掌
見える人もいれば見えない人も
坊さんだから見えるとは限りません。見えない人の方が多いでしょう。普通の人でも見える人はいます。
人が死んでその魂が本来行くべき所に行けなくてさまよっている霊もあるでしょう。そういう霊が人に取り憑くこともあるでしょう。そういう霊が悪さをすることも有るかもしれませんが、必ずしもそうだとは限りません。しかしれ本来行くところに行かなければいけません。現世に未練を持ったままだとなかなか成仏できないかもしれません。私の供養でそういう霊を正しい道に導ければと思い、毎日の勤行をしております。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
沙門様
なるほど、少数派でも霊的なものが見えると仰っているかたもいらっしゃる事実があるのですね。また、そうした修法もあるというのは初めて知りました。
丹下様
苦しみ、悩み、不安、また、心には思ってなくとも片隅にあるものが表情として出ていて、それが“取り憑かれている”という感じでしょうか。なるほどですね。そうおっしゃられるとピンときますね。“供養やお祓いというのは、その人が心の中に抱えておられる迷い、苦しみ、恐れ、怒りなどを取り除く一面もあります” こう言われるとよくわからないお祓いや占いよりも自分も実際にお坊さんに見てもらいたいなと思います。
川口様
ご回答ありがとうございます。悪霊や憑依を安易に否定してはいけないというところから、まずは否定からはいらず、受け入れてから対応するというそこまでお考えの上でご対応していることに大変すばらしいと感じました。
質問と回答とは別の話にはなりますが、聞く耳をもつ、受け入れた上で解決策に導くというお坊さんの姿勢はたいへんすばらしいとご回答から感じました。
破壊的カルトはその逆かもしれませんね。現状やその人を否定した上で解決策を押し付けるというか。
仏教って押しつけではなく、自然体で受け入れる姿勢をきちんともっているのでいいものだなと感じました。
ありがとうございます。