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興味と愛情

回答数回答 3
有り難し有り難し 16

私はいろんな宗教の教えに興味があります。その中でも特に仏教に興味を持っています。

海外では激しい宗教対立がある中で日本では独自の均衡を保っているように思い非常に素晴らしいことだと感じています。

しかし教えを拝聴することも有り難いのですが、等身大で「話し合える」お坊さんとお酒でも飲みながらぶっちゃけトークをしたいと常々思っていました。

ところで、私の両親は敬虔なクリスチャンのはずなのですが、幼い頃から私を殴ったりののしったりして、彼らが思う通りにした時だけ「愛してる」と言われてきたので、「相手の思う「何か」をしないと私はいてはいけないんだ」と思うのが当たり前でした。

そして心身ともに病んでしまい、病院に通うも長年の投薬の副作用でホルモンバランスを崩し体重の激しい増減を繰り返し、免疫力がなくなり肝臓、腎臓、皮膚疾患、病気になりやすく転職を繰り返しています。
そんな私を両親はののしり、私は自分自身の不甲斐なさに落胆しています。

何回も挫折を繰り返してきましたが自分や病気、誰かのせいにするのではなく心の平穏を得たいと前から気になっていたお寺に通い始めました。

最初はただ境内を歩いたりするだけでしたが、本堂でお経を読む会に参加したりお坊さんとお話をするようになりました。
そして少しずつ前向きになり転職先も決まりこれからという時に
檀家さんの派閥争い?の様なものに巻き込まれ、悪口を耳にし凄く悲しい気持ちになっています。
なぜ同じ「仏」「神」を信仰しているはずなのに、他人の行動を批判するのか?
私には解らないのです。
また同年代のお坊さんの考えや展望など率直な意見を交わしたいのです。

そんな思いの中、少し年下のお坊さんでフランクな対応をして下さる方に最初に記述したお酒を飲みながらぶっちゃけトークをこの方なら出来るのではないかと思い連絡先を渡し飲みに行きたい旨をお伝えしました。

今はこれが知的好奇心、興味なのか恋慕なのかわからなくて混乱しています。

そしてそれが相手のご迷惑になっているのか不安です。

皆様からしたらこういう事は迷惑でしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

偽・神仏 と 本当の神仏 

毎月うちのお寺に某キリスト系の新興宗教の勧誘がやってきます。そのキリスト様と神様は、どうやら私の知っているキリスト様とも神様とも違い、とてもケチな神様です。(笑)
なぜなら自分たちのチラシは「読んでください」とは言っておいていきながらも、こちらの布教書は読んではならない、受け取ってもいけないという、ケチな神様です。完全な洗脳プログラムですね。(笑)  
私の友人が信仰している神様とキリストさまは、もっとおおらかで、規制はありません。同じキリスト系でも、神様に性格の違いがあるんですな。

以前、某お寺の坐禅会では古参のガンコじいさまが坐禅会を牛耳っておられまして、彼が信じている仏サマも、非常に料簡の狭い、ケチな仏さまです。座席の上下を気にする、押しつけがましい、偉い・偉くないがある。自分の座席、立場は譲らない。せっかく仏道業界に入ってもやっている事が世間とまるで変わらん、では仏の名をかたっても救いようがありまへん。(笑)
では、なぜ、仏も神様も、そんなショボいものになってしまうのか。
それは、個人が神仏の名をかたって、その人が、そこに「自分」をミクスチャーしてしまうからです。自分流、わたくし流、ワタクシ化された、セルフカスタマイズされた都合のいい神・仏であるからです。そういうたぐいは、ラベルには神OR仏と書いてあっても、偽の神仏。中身は完全な❝エゴ❞。MYボトケ。おれおれボトケ・オレオレゴッドですから、神仏より自分のほうが偉くなっちゃったという、文字通り、御~前ゴッドです。
よって、敬虔な信者であるように見えても、自分が、自分が、という自分の都合の良い悪いがある内は、結局エゴイズムでしかないという、残念な信仰の姿なのです。
信仰というのは、そういう自分のエゴの恐ろしさに気づいて、磨きをかけていくものです。
芸術も最初の内は作品が自己主張ばかりが強い。だんだんそれが練れてくる。だんだん本物になる。人間も同じです。
飲みながらお話をしたいのか、その人とお話をしたいのか、仏教のお話を詳しく聞きたいのか。それによって、方向が変わってくると思います。
当山の坐禅会は、リアルぶっちゃけトークがメインです。
お近くでしたら、とっくり片手に絡んできて下さい。
おまけ
禅のクイズ(公案)です。
「神仏が、とても立派な格好でやってきた。
どうやって、その真偽を見極めるべきか?」

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お坊さんも人の子

迷惑かどうかは、相手次第だと思います。連絡先を渡された時の反応。
その後の相手のお坊さんから連絡はあったのか??

個人的にはお会いする度に反応をみて、判断されるのがよいと思います。

お坊さんも人の子。日本には数十万人のお坊さんがいます。考え方は人それぞれ。なまけものさんによきご縁がありますように。 合掌

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小黒澤 和常
大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティ...
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お坊さんとは何か?

浄土真宗のお坊さんは俗にいう「お坊さん」とは全く違います。
全く修行していませんから、全く同じただの人です。
でも「お坊さん」です。

では、浄土真宗のお坊さんって何なのか。
浄土真宗のお坊さんは、浄土真宗を信仰し勉強し他に薦めなおかつ宗門から資格を頂いた人です。
信仰して勉強して他に薦めている人なんてたくさんいます。
だから「お坊さん」と言えるのは、つまるところ宗門の僧侶資格を持っているかどうかの問題です。

浄土真宗のお坊さんはただの人です。
でもそれでいいのです。
特別な人になる必要などありません。

仏教は、私の考えから離れ、お経にどう説かれているか、仏様はどうおっしゃるか、まさに仏様の教えを聞くことが大切です。
他人の意見を聞いてもそれは仏教ではりません。

お坊さんはただの人です。
しかし、そのお坊さんが頂いている御法義はとても素晴らしいものです。

恋愛や人付き合いは、うまくいくもいかないもご縁です。
いいご縁になることを願っております。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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質問者からのお礼

小黒澤様

早々のご返答に感謝致します。
飲みに行こうと誘った際は
「いいですよ」とおっしゃって下さいましたが
まだ連絡はありません。
なので迷惑と感じていらっしゃるかもしれません。
寂しいです。

良きご縁を祈って頂き感謝致します。
お坊さんから教えを請うだけではなく
お笑いから宗教など幅広い話まで出来る友が欲しいです。

ありがとうございました。

丹下様

ご返信ありがとうございます。

禅のクイズ(公案)です。
「神仏が、とても立派な格好でやってきた。
どうやって、その真偽を見極めるべきか?」

私の答えは
粗末なお茶を笑顔で出します。

私はそのお坊さんと飲みたいのかと言ったらそうではないですw
でも、上がり症の私はその方が自分の緊張がほぐれ話しやすいからです。
お話に関しては仏教のお話もその人の趣味の話も多角的に話したいです。
全ては何か通じる所があると思うからです。

丹下様の所は毎週日曜日に座禅をされているのですね
少し遠いのですぐにはお伺いできませんが
機会があったら伺いたいです。

自分のエゴを捉え無くすのは一時的にはできるかもしれません。
でも一生となると難しいですね。
私の両親も最初は純粋な信仰心で動いていたと信じたいです。

私のお坊さんと話したい思いもエゴではなく
信仰心の始まりと思いたいです。
しかし今は好奇心の方が強くそれが恋慕の様なものか
解らない状態です。

ただ知りたいだけなのに
いろんな思いが表れるのでしょうね。
難しいです。

散文になってしまい申し訳ございません。
丹下様この度は丁寧なご返信ありがとうございました。

釈心誓様

ご返信頂きありがとうございます。

なるほど他人の意見では仏教ではない。
確かにその通りだと思いました。
私は仏教のアンチョコを知りたかったのかもしれません。

しかし、お坊さんが普通の人ならば尚更
普通の人、そしてお若い方が俗世間とは少し違った
お寺での生活を選んだのでしょうか?
ご家庭の事情等色々あるかとは思いますが
それを断り別の道も歩めたはずです。
しかし今現在、お寺にいらっしゃる。

普通の人がそこに至ったお気持ちを
きっかけを知りたいのです。

私よりも若くぱっと見は少々やんちゃそうなお坊さんです。
なので尚更不思議なのです。

これがどのようなご縁かはわかりません。
でもどちらにしても良いご縁になるように願っています。

釈心誓様のお答え、心に留めて接してみようと思います。
ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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