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諸行無常について

回答数回答 3
有り難し有り難し 48

よく仏教の教えとして「全ては諸行無常であり、変化しない物はない」と言いますが、これについて少し疑問に思う所があります。
たとえば仏教の中道では相対概念の一方に囚われる考えを執着として否定しますが、
「変化する」という概念も「変化しない」の相対概念ですから、
変化しないものを全面的に否定する「全ては変化する」という考えも執着とは言えないでしょうか?

また、これらの言葉を「固定・流動」と置き換えて、龍樹の論理に当て嵌めて解説して頂いても構いませんでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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法則は行ではない

なんだか懐かしいですね。諸行無常なら仏も諸行無常も無常なんだから嘘だ!と言う人は昔はよくいたのですが、そういえば最近見かけなくなりましたね。この手の回答は久々です。

一切無常ではなく諸『行』無常であることに留意しましょう。行とはsamskaraという歴とした仏教語です。同義語は有為(うい、造作されたもの、同じくsamskara)です。造作されたものと言っても「人工の」という意味ではありません。現象のことです。私たちの身体も原因の足し算によって積み重なっている現象です。
ここで諸行無常という法則自体は現象ではありませんので、諸行無常も諸行無常であるというのは飛躍になります。質量保存の法則で「全ては気体・固体・液体と形を変えても質量は変わらない」と言っても「質量保存の法則自体も質量が変わらない」とはなりませんね。それと同じです。

「変化しないものを全面的に否定する」というのも言い過ぎです。諸行無常・諸法無我はアートマン(ずっと輪廻し続ける永遠の魂のようなもの)へのアンチテーゼだったものですから、「執着すべき現象は何も無い」というメッセージで受け取らないと話が変わってしまいます。

中道にしても「両極端を避けなさい」と言ったからといって「真ん中を取れば良い」というわけではないのです。「来世は有るか・無いかという軸に対して因縁生起」というような第三の答えでもあります。つまり今問題視されている軸自体から離れて、あるがままに見なさい。それ以上 or それ以下に膨らませてはいけませんよ…ということです。

さて、大学入試か何かに出題された現代文の問題をその著者がやってみたところ赤点になり、著者が怒ったということが昔あったそうです。著者の意図するメッセージと、断片断片の論理は必ずしも一致するわけではないわけですね。一語一語の解釈を拾っていくのではなく、メッセージの部分を確実に押さえていく学びが肝要です。そのためには一度論蔵を離れ、現代のお坊さんがメッセージの部分を強調した読み物で仏教的な感性を養ってみてはいかがでしょう。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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二諦の理解が必要

akbcde様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「諸行無常」については、世俗諦的な教えであると理解してます。

「全てのモノ・コトは、因縁によりて変化していく」という意味合いとなります。

しかし、本来は因縁(原因と条件)にも実体はなく、「空」なるものであって、どの因も縁も、あるいは果も、固定して言及しようのないものであるため、一応は、言語慣習に依拠して、措定して方便的に述べられている教えであると「諸行無常」も理解するのが妥当であるものだと考えています。

ですから、当然に、「変化する」、「変化しない」、「流動」、「固定」とも、それらが仏教において言われていることも、それぞれ方便的な意味合いで用いられている場合があるため、その概念に対してとらわれて、執着することも、本来はできないもので、また、「諸行無常」のみならず、仏教の教えにおいては、便宜的、方便的な教えに留まらざるを得ないという限界が、どうしても付き回ることにはなってしまいます。

その限界の先を何とかして言葉、論理によって指向しよう、超えていこうとして論究なさられていったのが、龍樹大師をはじめとした中観派の論師たちとなります。

特には、「二諦」(世俗諦と勝義諦)の理解が大切となります。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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悩み苦しみの解決に役立つかどうか

仏教は、悩み苦しみの原因を制御したり消したりして、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えだと思います。
そのために無常だと気づいた方がよいものに対しては、無常だと思えばよいのです。
一方で、悩み苦しみの解決に関係ないものについては、無常かどうを考える必要さえないのかも知れませんね。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

初歩的な勘違いをしておりました・・・。お恥ずかしい限りです。
回答して下さった皆様に感謝致します。
有り難うございました。

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