それでも生きる意味。
父親から過去に性的嫌がらせを受け
姉には現在進行形で虐待を受け
他の家族はみんな助けてくれない
結婚前提だった恋人は暴力団に騙され借金、破局
信じていた友人に裏切られ、無職
唯一の支えである男性との関係は年の差によりいい顔をされない
精神科に何年も通院しても治らない
そんなあたしに生きる意味、ありますか。
ここは、救いの場だと、思っていました。
でもあたしが思う救いとは違うようですね。
あたしにはいつも回答が一件。
お礼をしたら回答受付中のアイコンなんて無意味。誰にも相手にされない。
他のみなさんには複数件。
それは、あたしの伝え方が下手だからだけでしょうか。
あたしは違う気がします。
みんなの注目が集まる質問ばかり回答がくる。
そこで、回答すればみんながそのお坊さんのことを知るきっかけになりますもんね。
今回もどうせ回答なんて一件だよね。
たくさんのお坊さんの意見なんて聞けないんだよね。だって注目されない質問だもの。
現実もネット上もダメ。
あたし死にたいです。
説教、苦情いりません。
毎日言われているので、これ以上傷付けないでください。
まだ生きる意味、ありますか。
あたしはなんでこんなにも人生が苦しいのでしょうか。
*先ほど同じ様な質問をしたのですが、画面が真っ白になり、質問できなかったようなので、再度質問をしました。重複していましたらすみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間の優しさと、仏の優しさ
ご相談拝読しました。これまでたくさんお辛い思いをされてきましたね。またhasunohaでも不快な思いをしたとのこと申し訳なく思います。
しかし、あなたの周りのあなたに説教する人も、ここで厳しい回答をする僧侶もあなたを傷つけたくてそうしているわけではありません。自分の力で立ち上がってほしいと願うからこその行動です。
優しい言葉は耳触りがよいでしょう。嬉しくもなるでしょう。それで救われることもあるかもしれません。
しかしその救いは一時的です。その優しさにはある意味責任がないのです。
「辛かったね、大丈夫だよ」「きっとこれからいいことあるよ」
と声をかけられ立ち上がっても、本人が変わっていなければまたすぐ倒れます。世の中は厳しいことばかりだからです。また同じ試練に立った時、
「やっぱり嫌な事しかない、神も仏もない」
となってしまいます。それが人間の優しさ(慈悲)の限界です。一生優しい言葉をかけ続けられるわけでも、そばにいれるわけでもない、だから責任を全うできない。
しかし仏の慈悲は違います。
たとえ厳しく感じる言葉をかけてでも正しい事実を伝え、本人が目覚める事によりどんなことがあろうと引き受けていけるようになってほしいと願っているのです。
あなたのために世界を変えるのでなく、あなたが変われば世界が変わる。
そうすれば何があろうと生きていける。満足して死んでいける。それこそ徹底された責任ある優しさです。
気持ちのいい優しさは甘さかもしれない、聞きたくない言葉をかける厳しさにこそ優しさがあるのかもしれない。
まずは素直に聞く耳を持ってください。
生きる意味はあります。それはこれから作るのでなく、あなたが変わると今までも意味があったことに気がつくのです。
変われというのはあなたが悪いから良くなってほしいというのではない。あなたはそのままでいいんだけど、仏様の願い・慈悲を知ってほしい、気がついてほしいということです。
あなたが大変つらい思いをしてきたのは事実でしょう。でもその世界にはあなたを包んで離さない優しさがあふれているのも事実です。
どうぞこれからもお話をお聞かせください。
あなたの中で生きない。
質問する前、行動を起こす前にあなたの中で期待する言葉や、期待する対応つまり答えのようなものを用意していませんか。そうした生き方、考え中心的な生活は自分を苦しめるだけで、救いの道とは程遠いものになります。
お釈迦様の見つけられた救いの道は、あなたが考えるようなことではないでしょう。
過去の話はすべて捨て去りましょう。記憶としてあっても今現在目の前にはもうありませんから、そちらを大事にしてください。
あなたはご自分の都合や考えを中心に生きておられます。お釈迦様の気づかれた道は、考えではなく、体を使って感じたリアルを大切に生きる、思いより事実に生きることを説いています。
あなたが朝味噌汁を飲むそこには味噌汁の味があるだけ、美味しいとかまずいとか、こんなに熱い味噌汁誰が飲めるか、とかそんな価値評価は味噌汁にはついていません。もちろんあなたの舌もやっていないはずです。あなたはその直後の思いの方をいま握りしめる癖がついています。
まずは事実と思いの違いに気づき、事実に生きてください。そこに救いの道があります。お釈迦様は坐禅をして悟りを開かれました。ぜひあなたも坐禅してみてください。
「生きる意味」について
あお様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
どうしても拙生は、色々な制約下で、一日、1、2問ペースの回答となっておりまして、一日40問ほど頂く中においては、それぞれになかなかご回答できないこともございまして、この度のことも、誠に申し訳ない次第でございます。
色々大変な中をお過ごしになられておられ、お心を痛められておられますこと、お察し申し上げます。
「生きる意味」についてでございますが、本来は、「これだ」とはじめから言えるような何か実体的なものがあるわけではなく、色々な因縁(原因と条件)によって成り立っているものとなります。
どうしても、今までの因縁によって、結果的に今は、つらい立場、しんどく苦しい状態に心が陥られてしまわれているかもしれません。
しかし、つらく、しんどく、苦しい立場というものも、何もないところから生じているものではなく、やはり、そのような心の状態となられている因縁があってのことになります。
もちろん、過去の因縁はもはや変えられません。変えられないことをどうにかしようとしても、それは所詮無理なこととなります。
ただ、過去は無理であったとしても、現在、今、そして、これからの因縁(原因と条件・動機と行動)は自分次第においても変えることのできるものとなります。
種をまかずに、水をやらずに花は咲きません。何とか少しなりにも「幸せ」の花を咲かせるために、調えていけるものから調えて参りたいものとなります。
虐待については、下記の相談所にも是非ご相談なさられてみて下さい。
法務省・人権常設相談所
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken20.html
長引く精神・心の病の問題については、もしかすると身体的な機能の不調(ホルモン・副腎機能、免疫機能)にも、もしかすると何か原因があるかもしれません。
心だから身体は関係ないとあまり思われずに、少し身体的な不調についても思い当たるところがあれば、お調べなさられてみて下さい。
そして、良き因縁を積むためのヒントが、仏教の教えにはたくさんございます。
是非、これを機会に少しずつでも仏教の修習にも努めていって頂けましたら有り難くに存じます。
良き意味が見い出せていけますことを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。