hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

なんで産まれたかわからなくてつらい

回答数回答 4
有り難し有り難し 53

高校1年ですよね母が離婚しシングルマザーで、家が貧しいため我慢することや挑戦したいことが出来ません。勉強する環境も良いとは言えません。僕は進学したいのですが、高校に行くにも奨学金を利用しないと行けないぐらいの環境です。友達との格差を感じる時があります。

不満を親に伝えると「だったら出ていけ」「うちでは無理だね」などと答えられてしまい、親の考えが理解できません。原因は母が貧しいためなのになぜ母はこんなにも無責任なのでしょう?

またそんな時決まって僕は生まれた意味がわからなくなります。こんなに辛い環境にいるくらいなら死んだ方が・・・と思うことも最近増えました。僕はなぜ生まれたのでしょう?教えてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

奨学金返済坊主より

私の家はお寺ですが、貧乏寺で、他の仕事と兼業しないと生活できません。
私も高校生のときは進路で悩みました。
奨学金をもらって仏教系大学に行き、お坊さんの資格をとりましたが、本当は他に行きたい大学がありました。しかし、学費が高かったために断念したのです。
家が裕福じゃなかったので、行きたい大学に行けないなら就職すると親に言いましたが、お寺なので仏教大学に行けと言われ、なんとなく流されて入学しました。
しかし、奨学金はいつか返済しないといけないし、バイトしないと学生生活を維持できないしで、親や貧乏を恨みました。
現在は、就職し、お坊さん以外の仕事で生計を立て、毎月奨学金を返済しています。
就職してしまえば、奨学金は返せない額ではありませんが、「したくてした借金じゃないのに」と思うことはあります。
ただ、高校生のとき就職していたら仏教を学ぶ機会がなかったかもしれないので、結果的にはよかったと思います。
しかし、高校生のとき行きたかった医療系の資格をとって活躍している同年代の人を見て、「あのときお金があったら自分もこうなってたのにな」と思ったりもします。
結局、お金も含めた自分の与えられた選択肢の中で頑張るしかないのだと思います。
そこで頑張れれば、後から、まぁこの道も悪くはなかったな、と思えてきます。
自暴自棄になって、第一希望じゃないからもう人生終わったとヤケになったら駄目です。
未来には、予想外に良いこともたくさん起きます。起こせます。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

足元に幸せはありますよ

高校に行き学びたいと思う気持ち。素晴らしいことです。
しかし、お金の面で難しいのであれば、アルバイトなどをしながら、通信や夜間で学ぶことなども考えられるのではないですか。

あなたは、周りのお友達と比べて、同じ境遇でないことに苦しみ悩んでいらっしゃるのでしょう。
お母様も同じように悩み苦しんでいるからこそ、その苦しみが強い口調になり、あなたに向けられているのです。

イライラしたり怒鳴ったり、強い口調で話しているときは、苦しんでいるときです。救って欲しいと願っているのです。きっとあなたを周りの子と同じようにさせてあげたいけれどできないことに苦しんでいられるのだと思います。

あなたは、学びたいと思っている。そして、親に愛されている。それが生きる意味ではないですか。
お金が無いと生きにくい世の中ですが、そういった環境だからこそ気付ける幸せがあなたの足元に沢山あると思いますよ。マイナスを見つけるのではなくプラスを探してみてください。決して周りと比べてはいけません。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

母ちゃんは母ちゃんの人生。あなたはあなたの人生

世の中、なにも、すべてお母ちゃんだけじゃありません。
ですが、お母さんとの時間が密であったからこそ、お母さんの一言一言の影響力が強いのではないでしょうか。お母さんお一人であなたを育ててこられた分、あなたにとってもお母さんの影響力は強く、絶対的な存在でもあるのかもしれません。
「あなたにとって」はお母さんがとても大きな存在。ですが、それはあなたにとって、だけなのです。
「あなたにとって」だけ、お母さんの一言一言が、自分に大きく影響するものです。
でもそれは、あなたにとってだけ。
他の人は、別にあなたのお母さんの言葉に左右されることもありません。
よって、徐々に…で出結構です。
自分と母親とは、存在的にも別々であるのですから、反発をしない程度に、またお母さんからの反感を買わない程度に自分の意見を伝える事をやってみましょう。
ある人は35歳を過ぎた頃「あなたはアナタの人生なのだから好きにやっていいんだよ」と言われた時、初めて親の呪縛が解けた、と言っておられました。
それまで、ずっと親の言いなり居するべきことが自分のつとめであると思い込んでいたそうです。
別にお母さんは何もあなたの人生そのものを縛っている訳ではありません。
あなたがこうしたいと思う事でお母さんが経済的にこれは「無ー理ー。」と言っている所の中間ぐらい、間をとって、いいアイデア、イノベーション、活路を見出しましょう。
壁にぶつかりそうなら、よける。ぶつかっても先に進む。壁が壊れたら修理する。石につまづいたら立ち上げる。傷が出来たら治療する。これ以上は進むなと言われても、進めば進む。進んだ先に何があるか。なにをしたいのか。それをみたければ、さぁて、どうするか。別に、それをするな、とは言っていませんでしょう?
不満をただ単に伝えるのではなく、母親との上手なコミュニケーションをとることも大切です。世の中はコミュニケーション能力が全てです、と言っても過言ではないくらいコミュニケーション力は大切です。デキる人は、まず家族と争いません。争わないコミュニケーション能力を身に着けています。あなたが何をやるにしても、まず、家族と争わないコミュニケーション能力を身につけましょう。今アナタの課題はまず、そこにあると感じています。 

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「自灯明、法灯明」

数数様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

なぜ生まれて、そしてここにいるのか、また、どうして生きるのはこんなに苦しくつらいのか・・

本当に疑問に思いますよね・・拙生もそうでございました。

正直、すぐに答えは出ないですし、そう簡単にも答えは出ないと思っておくのがまだ良いのではないかとも存じます。

また、答えは出たとしても、それが果たして真に正解かどうかというのも問題となります。

更には、そもそも正解があるのかどうかさえも疑わしいものでもありますし、その正解も何も一つではなく、それぞれにおいてあるとも言えるものでございます。

とにかく、「生まれたから生まれた」、「生きているから生きている」、もちろん、それには必ず因縁(原因と条件)があるというのは確かなことでございます。

突然、何も因縁なしにして、生じたり、滅したりするようなものは、この世にはあり得ません。この世における全てのモノ・コトというものは、複雑ながらにも無数の因縁果の流れによって成り立っています。

そして、その因縁の一つの流れを明らかにされましたのが、釈尊でございます。

その最も有名であるのが「無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死」の「十二縁起」となります。

迷い苦しみの流れ、連環を代表的に十二の項目にまとめられたものとなりますが、ただ、その項目はあくまでも大きな分類であり、本当はもっと複雑なもので、本来は、一人一人に応じて、その複雑な流れについてパズルを解くように解明して、そしてそれぞれに対して、迷い苦しみの解決へと向けた処方箋が必要となります。

そして、その問題を解決するのは、結局のところ最終的には自分次第となります。あくまでも他は他であって、他のことを考えたり、比べたりしても所詮は仕方がありませんし、あまり意味がありません。それに、まあ、他も他で、無明(根本的な無知)・煩悩により、大小少なからず同じように変わらず迷い苦しんでいるものであるとお考え下さいませ。

ただ、その問題の解決へと向けたヒントとなる教えが仏教にはいっぱいございます。それが前述のことと併せて、いわゆる釈尊の遺言としての「自灯明、法灯明」というものとなりますが、是非、これからも仏教に興味を持って、学びと修習を進めて頂けましたら有り難いことでございます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ