おおらかになりたい
いままで培ってきた経験に基づいた性格は
変えられるのでしょうか。
いくらがんはったところで、既に周りの人に与えてしまった自分の印象は変えられないのではないかと…
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いつでも新しく生きる性格になりましょう。
本当は性格なんてありません。
どこかに「これがわたしだ」なんて、決まりきった固定的な貴女があるわけではありません。
ただ単に、習慣的な行動パターンがあるだけです。
それを変えればイイだけです。(^
経験からきているのであればこれからの経験で変わるでしょう
周りに与えた印象は変えなきゃいけないのでしょうか。他人にどうこう思われて悪いことはありますか。
性格、考え方は、変えることはできると思います。そうしたことで、自然と印象は変わるのではないでしょうか。
しかし、誰かに憧れあの人のようになりたい、とあまりにも強く思うと、自分と比べ、私はなんでこうなのか。ダメな人間だと、自分を責めるようになってしまいかねません。
無理はせず、自然体が一番いいのだと思いますよ。
変えることができます
ひろ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「性格」も含めて、私たちのこの世界におけるあらゆるモノ・コトというものは、独立自存なる実体としてはあり得ておらず、全ては「縁起」により成り立っております。
「縁起」にも幾つかの考え方がございますが、一番わかりやすいのは、「因縁果」の理であり、最近の下記の問いでも扱わせて頂いております。
問い「死ぬほど苦しい」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1030488117.html
『・・「因」とは「原因」(直接的要因)のことで、「縁」とは、「条件」(間接的要因)のことで、「果」は、「結果」のこととなります。そして、「因果応報」とは、善き因と縁が調うと、善き果がある、逆に悪い因と縁が調うと、悪い結果があるということであります。この世におけるモノ・コトというものは、突然に何もないところから生じたりするものではありません。必ず、モノ・コトには因縁があり、その結果として生成、生滅していくものとなります。また、その結果も何かの因縁となって更に結果となり、また更にその結果も何かの因縁となって・・と続いていく流れが無常というものとなります。・・』
ひろ様の性格も、何もないところから、因や縁なしにして、突然にそのようになってしまわれているわけではありません。やはりその因縁によって今のひろ様の性格に至られている次第でございます。
もちろん、それはこれからの因縁の努力次第において幾らでも変えていけることができるということでございます。
「性格は変えられるのでしょうか。」・・はい、変えることができます。
「自分の印象は変えられないのではないかと」・・大丈夫です。これも変えることができます。
変えるためには、そのための因縁を調えていくことが大切になりますが、「おおらか」ということを目指すのであれば、何事にもゆったりと、余裕を持って取り組み、焦らない、冷静な心を保ち、懐の深い、包容力、許容力を養い、温厚に、穏やかに、くよくよせず、こだわりやとらわれを少なくし、前向きに過ごせるようにと心掛けて、そのように意識的に言動を少しずつでも調えていかれると良いのではないだろうかと存じております。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌