おおらかになりたい
いままで培ってきた経験に基づいた性格は
変えられるのでしょうか。
いくらがんはったところで、既に周りの人に与えてしまった自分の印象は変えられないのではないかと…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつでも新しく生きる性格になりましょう。
本当は性格なんてありません。
どこかに「これがわたしだ」なんて、決まりきった固定的な貴女があるわけではありません。
ただ単に、習慣的な行動パターンがあるだけです。
それを変えればイイだけです。(^<^)
ただ単に、物事への反応の仕方が、毎回同じようなマンネリ反応しているだけかもしれませんよ。
「性格を治す」というあいまいな表現ですと、具体的に何をどう変えてよいやらわからなくなると思いませんか。
「一期一会」という言葉の意味ならば、誰でも知っています。
簡単に言えば、どんな出会いも、一生に一度っきり、その時、その場、その限りということです。
これを知識として知っているだけでは役に立ちません。
この心身が、いつでも真新しい、二度とない、人生はじめて、初もの出逢いをしているということに、目の前の出逢いを通して目覚めるべきです。
もう前のあなたはいません。前の様子もどこにもありません。
いつも同じ電車に乗っているとしても、そこで同じ乗客が乗り合わせる事は二度とありません。
あなたが気にする、評価というものも同じです。
私にとって評価は、精神的な残りカスです。残りカスですから、本体でも、実質でもありません。本当に実りのある方は、評価ではなく、今から始まる実質なのです。
わたしがここで回答したものは、あなたの所に届くころには、❝情報化❞されたものです。
私自身は、ここで記した、記事とはまるで別のところで存在して、独立闊歩しています。
あなたも、あなたへの評価がどこで、どう浮かぶことがあっても、その評価とは無関係、無縁に、独立闊歩しています。現代人は、評価、情報の方があたかも主体であるかのように思い違いをしていますが、本物は、この記事を見ている、あなた自身、本体です。
本体を見失って、情報の方を主体とさせていることが以下に過ちであるかに、今ここで気づいて、どーでもいい評価に振り回されんようになることです。
【情報はアナタではない。情報を取り扱っているノーミソのある所がアナタである】了叡
経験からきているのであればこれからの経験で変わるでしょう
周りに与えた印象は変えなきゃいけないのでしょうか。他人にどうこう思われて悪いことはありますか。
性格、考え方は、変えることはできると思います。そうしたことで、自然と印象は変わるのではないでしょうか。
しかし、誰かに憧れあの人のようになりたい、とあまりにも強く思うと、自分と比べ、私はなんでこうなのか。ダメな人間だと、自分を責めるようになってしまいかねません。
無理はせず、自然体が一番いいのだと思いますよ。
変えることができます
ひろ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「性格」も含めて、私たちのこの世界におけるあらゆるモノ・コトというものは、独立自存なる実体としてはあり得ておらず、全ては「縁起」により成り立っております。
「縁起」にも幾つかの考え方がございますが、一番わかりやすいのは、「因縁果」の理であり、最近の下記の問いでも扱わせて頂いております。
問い「死ぬほど苦しい」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1030488117.html
『・・「因」とは「原因」(直接的要因)のことで、「縁」とは、「条件」(間接的要因)のことで、「果」は、「結果」のこととなります。そして、「因果応報」とは、善き因と縁が調うと、善き果がある、逆に悪い因と縁が調うと、悪い結果があるということであります。この世におけるモノ・コトというものは、突然に何もないところから生じたりするものではありません。必ず、モノ・コトには因縁があり、その結果として生成、生滅していくものとなります。また、その結果も何かの因縁となって更に結果となり、また更にその結果も何かの因縁となって・・と続いていく流れが無常というものとなります。・・』
ひろ様の性格も、何もないところから、因や縁なしにして、突然にそのようになってしまわれているわけではありません。やはりその因縁によって今のひろ様の性格に至られている次第でございます。
もちろん、それはこれからの因縁の努力次第において幾らでも変えていけることができるということでございます。
「性格は変えられるのでしょうか。」・・はい、変えることができます。
「自分の印象は変えられないのではないかと」・・大丈夫です。これも変えることができます。
変えるためには、そのための因縁を調えていくことが大切になりますが、「おおらか」ということを目指すのであれば、何事にもゆったりと、余裕を持って取り組み、焦らない、冷静な心を保ち、懐の深い、包容力、許容力を養い、温厚に、穏やかに、くよくよせず、こだわりやとらわれを少なくし、前向きに過ごせるようにと心掛けて、そのように意識的に言動を少しずつでも調えていかれると良いのではないだろうかと存じております。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌